TAR ターのレビュー・感想・評価
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よくわからず疲れた
名門オーケストラで、初の女性首席指揮者になったリディア・ターは、天才的な能力とプロデュース力を持ち、マーラーの交響曲第5番の演奏とその録音に向けての準備によるプレッシャーに苦しんでいた。レズを公言してた彼女は、ある時、かつて彼女が指導した若手指揮者が自殺し、その要因がターだと告発され・・・てな話。
ケイト・ブランシェットは長いセリフも流暢に話してて素晴らしかったが、いかんせん、ストーリーがわかりにくい。
どうなるのだろうと観てたら突然別カットになって、モヤモヤが続いた。
最後はどこ?アジアのどこかに招かれたんだろうけど・・・難しかった。
女性でも名門オーケストラの首席指揮者になれる、という事で素晴らしいオーケストラの演奏が聴けるのかと期待して観に行ったら肩透かしだった。
好きな女性をコロコロ変えて嫉妬されたって事?
顔を怪我したのは男に襲われたらしいがそのシーンは無し?
難しくて、ずっと???な作品で疲れた。
分かりずらいオチといくつかの謎について!
カリスマ超有能パワハラ職権乱用レズビアン神経質指揮者の崩壊物語!!!
役が特殊過ぎて庶民的な人では合わないし出来る人ってジェンダーレスでカッコいいケイトブランシェットだからこそ この作品が実現したのだと思います、更に人類で18人しか成し遂げていないEGOT (エミー賞 ゴールデングローブ賞 アカデミー賞はオスカー トニー賞全てをとった人で全部の頭文字を合わせてEGOT)を獲ったという設定で説得力のある人って普通に思いつかないしこの役を出来る俳優は男女含めても地球上ではケイト以外出来る人は存在しないと言っても過言じゃないでしょう。
この役をもし本来の映画会社の要求通りに男が演じていたら恐らくセッション系セクハラパワハラスケベオヤジなだけになりそうですし監督がこの役ケイトにしてって言ったそうで正解でしょうね!
あとベースになる人物が居てそれを映画化した訳じゃ無いっての理解してないと ああいう凄い人が居ると完全に勘違いするくらいターの人物像は作り込まれていました、更に言うと普通なら努力して頑張る感動系か怒鳴ってしばき倒すセッション的な根性モノになると思いきや全く違っていて 完全な善人でも完全な悪人でも無いキャラクターで悪いやつなんだけど有能でカッコ良くて こういうやつのパワハラってしょうがないのかなあとか思わせられるような絶妙な人物にしていて このキャラ好きになって良いの?って困惑させられるような人物でもあるんですよね。
つうかケイトブランシェットじゃなくて完璧にリディアターだったというか実在するリディアターのドキュメントを見る映画って設定で 架空の人物だって言うのを忘れてカリスマターに魅入ってしまいますよこれ。
パワハラに関しては怒鳴ったりしないパターンのパワハラだし子供相手に100%で対峙してるしその時に私は父親よってハッキリ言ってるのも凄かったし実際家庭では子育てや家事は一才やらない父親的存在ではあったけど子供に関していいとこどりし過ぎていてこいつ色々と都合の良いところだけは自分て感じで やってんなお前とは思いました!
あと演技に関しては怪演度マックス濃縮還元400%プラス指の先から瞬きや顔のひきつりとか疲れた表情とかちょっとした仕草にに至るまで完璧に演技をしているのは凄かった、しかもドイツ語と英語を話しながら身振り手振り全開で細かく楽団を調整していく場面と演奏中の指揮してるシーンは素人の自分が見ても凄いのがわかりました。
あと 音がキーワードで音の仕事のプロがどんどん歯車が狂い皮肉な事に音に敏感になって睡眠不足になって徐々に壊れていく描写がホラー要素あってなんだか怖いしランニング中の叫び声はクリスタの声の可能性高いですよね。
最後の風俗の相手を選ぶ場所で5番の子がジーっと見て来て
自分はマーラーの5番をやってて あの5番の子にジーって見られた時に自分のやって来た事に嫌悪感を感じ完全に参ってしまったんでしょうね
それと娘は自殺したクリスタのお化け完全に見えてますよね、あとクライマックスの演奏の場面はターのコンサートじゃ無いしあの場所で直接指揮者を奪い取ろうとするとか完全にタガが外れてましたねー
この映画の1番ビックリするところは映画始まった瞬間にエンドクレジットが流れるところ。
案外アレがエンドクレジットだって分かって無い人も多いみたいですがなんで最初にエンドクレジットやるんすか?って思っていたら最後武装した人が座る客席が写りいきなりスパっと終わって????になるんだけど理由は全てあのラストあの終わり方にする為にわざわざ最初にエンドクレジットをやってたというのが発覚して 相当衝撃を受けました!
何故他国に行って温泉入って元気になって武装してる人が劇場に居て演奏が始まってカッコいい曲流れつついきなり終るので自分は最初元ネタを知らないから???ってなったんだけど そりゃあゲームが好きな人でモンスターハンターやった事ない人は分かる訳無いオチなので劇場に居たおじさんとおばさんと自分は最後唖然として映画おわるんだけど
見に行ったツレがそれ分かっていて映画終わってから元ネタがモンハンだよって説明受けてやっと理解出来た感じでした。
ゲームやり込んでるツレいわく宿行って温泉に浸かりながら敵が来ないように滝が流れている岩場で隠れつつターの居た所と同じ用な場所で休んで回復するらしくそこもまんまなんだそうです。
帰り道に前を歩いている若者もそれに気づいてモンハンだよねアレって会話していて
劇場から出る時のラストの元ネタが分かった人に説明を受けるのを含めてターという映画に含まれているんだなあと思ったら 凄い面白い作品だぞこれってなりました!
たしかにあのラストのあとでダラダラエンドクレジット流したら呆然としたまま劇場を出る事が出来ないですからその為の初めのエンドクレジットって訳なんです。
モンハンはそういう演奏するコンサートやってますよねそういや。
でラストに関しては あれだけの地位にいながらゲーム音楽の指揮者に落ちぶれたと考えるか見事に復活して良かったねと考えるか 更にいうと頭のおかしいターの妄想で有能な指揮者だと思い込んでたって可能性もゼロでは無いし解釈が変わると思いますが監督がモンハン大好きという事なのでアジアを見下してバカにしたオチでは無いと思います!
謎の送り主からターに送られて来た本を破り捨てたりしてましたが
あの本 同性愛カップルが別れてそれを悲観して自殺するって内容らしく そうなると送り主はクリスタだし自殺したクリスタってオーケストラ関係の事での自殺じゃなくてターと別れた事による自殺なんでしょうね!
自分はターがベッドで目覚めた時に自殺したクリスタが一瞬居るシーンや最初に生きてる時のクリスタらしき人が最初に居たとか全くわからなかったし最初の寝てるターを写しながらの携帯でのメールのやりとりの内容(オルガが携帯の人って分かった頃には終盤になってるから内容とかハッキリ覚えてないので2回見ないと理解出来ない構成にわざわざしてるし結局オルガはターを転落させる為の刺客もしくはクリスタ側の協力者がいてオルガを送り込んでるのかもしれない)など確認したい事だらけなので2回目をじっくり画面の隅々まで見て感想を更に書き直ししようと思ってます。
こんなに考察どころ満載の作品も珍しいと思うしこれでもまだ書き足りないくらいですから
それと最初は前半の会話シーンとか長くてなんなのよ?しかも専門用語ばかりで訳分からんとか思ってたけど最後まで見て思ったのが全く無駄が無いし後半を見たら前半部分のやりとりなど全てしっかり回収していて完璧な構成だったんだという結論に至りました!
とはいえ気づいてない部分かなりあると思うし 年に一回しか映画見ないような人向け感0%の超玄人向けでありつつ監督からの俺の意図した事をどれだけ気付くのかな?っていう挑戦状のような作品でもありますねこいつは!!!!!
この作品に関しては簡単に面白く無いって切り捨てて終わりにしないでネタバレを見て貰ってもいいから 色々理解した上で判断して欲しいです、それでも面白く無いならそれでいいんですが これだけ色々と仕掛けがあるってのはわかって欲しいですよ こんな凄い作品は中々ありませんから
自分の中ではスネークプリスケンやマックスやジョーカーやトラヴィスや座頭市と並ぶくらいのカリスマ性を久しぶりに感じるくらいのイカすキャラに出会ったって感覚あります。
最後に ターが気に入り過ぎてサントラ買ったら映画の中で撮影してた そのままの表紙で更にアマゾンだと大きいサイズの限定のジャケットのオマケもついてきて額に入れて飾ってますがなんだかんだ言っても結局はター最高ター最高ター最高。
人生の途中
主人公、リディアターの成功者から転落していく人生を描いたもの。
前半にリディアの指揮者に対する心構え、中盤に性事情の話を挟み込みその2つを軸に後半から終わりまで話を進めていくものになる。
リディアの人生の途中から描いているためか、十分には登場人物の説明はなく、話が展開していくごとに該当人物が現れるような構成で、話を結びつけるのが難しいと感じた。
性事情に関しては最初は誠実な人物かと思ったら移り目がひどく、音楽の才能がとびぬけたオルガが登場するとかなり入れ込むようなだらしなさ。最初からレズビアンだと思っていたら、パートナーが連れ込んだとぶっこまれあそこは少し笑った。
指揮者、作曲、家庭、楽団、多くのストレスにより、少しの異音でも目が覚めてしまうほど神経が過敏になり、薬を取らないと生活していけないような始末。話が進み成功者から転落しはじめ、少しずつ解放されていく中で、リディアの家で森の中で眠る演出はあそこが彼女のターニングポイントだったのかもしれない。
転落途中に実家に帰宅し自分の指揮者としての原点を再確認。自分は指揮者が好きなのだと再確認し、自分を採用してくれるような会社を探すために2か国ほど国を渡り、最終的にリディアはアジア圏のコスプレ集団が映像を見る中で生演奏のBGMを流すための指揮者として幕を閉じる。
リディアの指揮者でいることのこだわり、指揮者としてのこだわりを最後まで貫き、どんなところに行っても指揮者であり続けるという姿勢は良かった。また、リディアの人生が転落していく問題になったクリスカは最後までリディアにすがり、自分では行動せず最終的に自殺を選んだ心の弱さ、もしくはリディアの生き方への対比はどちらが正しいとは昨今では言いにくいが、もしかしたらリディアのような力強さも必要だと伝えたかったと思う。
クリスカは最後まで見るとリディアにたぶらかされたのかもしれないがそこについては本編ではわからない。
不満な部分は多く、リディアの人生の出来事を映していたためか、出来事の顛末を映すことなく物語が終わった。フランチェスカが辞めた真意、動画を作成していたのはオルガなのか誰なのか、訴訟の結末、名前だけ出てきた人物など。私がまだまだ未熟で理解していない部分が多いと思うがもう一度見てすべて理解したいと思う作品ではなかった。
タイトルなし
結末、アジア人としては胸糞じゃないですか?文化といえばゲームとコスプレ、性を売り物にする野蛮さ…へいへいわかりましたよ、としか思わないのだが。ターが自らの傲慢さを突きつけられるためにああいう演出なのだとしたら、そんなことのためにステレオタイプを強化するな、端的に制作陣の傲慢さの表れだと思う。
(追記)上記のような指摘に対して答える監督のインタビューも読んだが、典型的な「俺にはマイノリティの友人がいる」話法で笑ってしまった。この期に及んで『ロスト・イン・トランスレーション』のだめな部分を見せられるとは。
映画手法は斬新だが説明不足で観る人を選ぶ
どんな指揮者の半生を描くんだろうと思っていましたが、
無駄にレズビアンであること、気に入った女性スタッフをえこ贔屓しがちでひんしゅくをかっていること等。。音楽に直接関係無い本人の嗜好が何故か強調されて行き、
しかも途中の幻聴の理由説明が無い。
もしかしてオカルト映画?ホラー映画なのか??と困惑する演出が淡々と続き、
一応話の流れとしては意図しないスキャンダルで名声のあった指揮者が干されてゆき、最後はおそらく何でもいいから仕事しないと、となってアニメ映画か?ゲーム映画?のオーケストラの指揮で観客はコスプレOK上映をしている。。
もちろんマーラーやベートーヴェンとかの交響曲の演奏のほうが格式は高いかもしれませんが、例えばドラクエや鬼滅の刃のオーケストラコンサートなんかは凄く本格的なきちんとした演奏をするものだから、例え観客が世界観のコスプレOKの演奏会、上映会だったとしても「落ちぶれた指揮者の成れの果て」みたいな演出にゲーム音楽を充てるのはちょっと納得いきませんでした。
それと。。場面が唐突に変わりすぎ、説明無さすぎて観客はほっとかれるし。。この斬新な手法も面白いと思う観客だけが楽しめばいい、という監督の意図なのか???うーんちょっと私はこの映画手法はあまり好きになれませんでした。
自ら命を絶った若い女性の亡霊が為せるわざなのかなんなのか、何が言いたい映画かよく分かりませんが、
とりあえずターさん、この若い女性がロビーで「メールしてもいいですか?」って尋ねた時にはっきり「忙しくて返信出来ないのでメールはしないでね」と断らなかったくせに、結局スタッフが「またメール来てますがどう返信しますか?」の問いに「あぁ、返信しなくていいから」ってぶっきらぼうに。。。この部分だけは誠実さが無さすぎて、ターが落ちぶれていっても同情出来ませんでした。
返信する暇が無いなら、メールとか連絡はしないで、とちゃんと断っていれば、せめて途中にこれからはごめんなさい返信出来ないので、ごめんなさいね、と誠実に状況を説明していれば、若い女性は命を断つこともその両親が告発することもなかったのに、と残念でした。
同居しているパートナーにも事態を黙っていたとか。。。とにかく主人公も監督も説明しなさ過ぎる映画であまり面白くはなかったです。
ケイト・ブランシェットの無駄遣いだと思いました。。残念。
物音はドレミでしか聞こえません♪
色々なプレッシャーがかかり苦悩する天才女性指揮者の話。
冒頭から始まるインタビュー、余りにも長い会話で即寝落ちしそうな私。インタビュー終わったと思ったら喫茶店で話。(笑)
話が長いよー!!
作品観て音楽部分の感想するなら、作品が作品なだけにプロ側の話であって、軽く楽器かじってます位のレベルでは共感は出来ないと思った。作品を観てストーリーは把握出来ても、ホントに音楽をやってて、ある程度の領域、もしくはプロじゃないとわからない話の部分があるように思えた。(楽器の演奏部分、音楽関係者の話部分など)
あと凄いと思ったのは主役のター、白パン履いて貧乏ゆすりの天パーかパンチヘアの彼のシーン、あそこのセリフ相当長かったけどカット入らないで一連撮り?ごめんなさい私はプロではないので一連撮りという言葉であってるのかわからないけど。
個人的わがままを音楽作品だから音楽風で例えるけど、もうちょっと強弱ありの山あり谷ありが良かったかな!平坦な一本道って感じでちょっと時間が長いと感じてしまった。
先にパンフを読んでから鑑賞した方がわかりやすいかも
天才指揮者の話だが、物語の描かれ方もある意味アーティスティックで、一筋縄ではいかない。
一般的な映画なら物語が進むにつれて真実が明示されたり解決されるであろう謎が、本作の中ではほぼ解決しない。冒頭、メッセージアプリでやりとりしているのは誰なのか、リディアと彼女のプログラムの元生徒(だったか?)クリスタとの間に具体的に何があったのか。リディアの部屋に入って真夜中に戸棚の中のメトロノームを動かしたのは、娘が気配を感じていた存在は誰なのか。
多分こうなのかな、と観ていて思える程度のヒントはあるが、種明かしもすっきりした解決もなされない(幽霊だってことにしないと説明のつかない部分も?)。
リディアの指揮者としての意識高い日常描写が淡々と重ねられていく中で、彼女の才能だけでなく、その横暴さもだんだんと浮かび上がってくる。
娘をいじめた子供に静かな脅しをかけたり、年配の副指揮者を独断で追い出したり、若いチェロ奏者オルガへの依怙贔屓をしたりといった行動だ。
パンフレットの前島秀国氏によるレビューを読んだところ、リディアとコンサートマスターであるシャロンの関係は、もし女性指揮者と男性コンマスだったなら公私混同と非難され、公的な性格が強く世論に敏感にならざるを得ないベルリンフィルにおいては醜聞となっただろうとのことだ。ところが、全く同じ理由のために、レズビアンカップルであるリディアとシャロンの関係は黙認されていた。LGBTQコミュニティからの非難を恐れたということだ。彼女が指揮者として実力者であることもあいまって、リディアの身勝手なふるまいを止めるものはいなかった。
自殺したクリスタの両親から訴えられたり、ジュリアードの授業で男子学生を論破する動画をスキャンダラスに拡散されたりしたのち、リディアは常任指揮者の座を降ろされ、カプランのコンサートに乱入して、ベルリンフィルを去る。
最後にリディアは活動の場をフィリピン(とパンフの町山氏のレビューに書かれているが、地獄の黙示録がどうとか言っていたのでベトナム?よく分からなかった)に移し、モンスターハンターのサウンドトラックコンサートの指揮をとるところで物語は終わる。コスプレをした聴衆が、そこまで見てきたクラシック業界の高尚な雰囲気とかけ離れていて、ちょっとシュールなラストだった。
過去のLGBTQ映画を全て観たわけではないが、同性愛者である主人公の生き様について美化も言い訳もしない描き方をする作品は珍しい、という印象を受けた。
一昔前なら、これは完全に男性の主人公で描かれていた話だ。リディアの職場には元恋人(フランチェスカ)、現パートナー、彼女が新たにロックオンした若い女性がいてドロドロ、登場しないクリスタも恋愛絡みのトラブルだったのかと思わせる。マッサージ店を紹介してもらったら性的マッサージ店だった、というくだりも、昔の感覚で言えば男性の登場人物にありそうなエピソードだ。
リディアというキャラクターがバーンスタインとカラヤンをモデルにして創造されたためでもあるが、こういう役を女性が演じても特段不自然に感じない時代になったんだなあと思った。
そしてやはりケイト・ブランシェットは圧巻だ。
リディアの日常を描きつつも、その中で薄紙を重ねるように彼女のフラストレーションが堆積してゆく、それを学生の貧乏ゆすりや遠くで聞こえるチャイム音、悲鳴などの音で表す脚本も巧みだが、ケイト・ブランシェットだから160分持ったという気もする。
クリスタにまつわる謎がずっとチラ見せされながらスッキリ全貌がわかることなく話が進み、主にリディアの反応が描写されるばかりなので、これで物語の緊張感をずっと保つのは、実はなかなか技量がいることだと思う。
彼女の明らかに異常な行動は、終盤に自宅で騒音おばさんになったり(高級そうな住居なのに、向かいにああいう家族が住んでるのは違和感)、コンサート中のカプランをどつき飛ばしたりすることくらいなのだが、そこまでのいわゆるキチゲが溜まる描写や演技が丁寧なおかげで唐突感がない。
それを、抜群に美しくてカッコいい彼女が演じ切るので、クラシック業界のことがよく分からなくても見ていられた。
ただ、バックボーンを知った方がいろいろ腑に落ちるのは間違いない。マーラーの人生や実在の指揮者の実名からヴィスコンティの小ネタ(ドイツ語で字幕なし)まで、埋め込まれた蘊蓄が満載だ。業界事情に詳しい人以外は、多少のネタバレをいとわなければ、本作に関しては事前にパンフレットを読んでから鑑賞した方がすんなりと観られるかもしれない。
人を安易に傷つける人ほど脆い
ケイトの演技は素晴らしかったですが、リディア・ターという人物については全く共感することなく終わってしまいました。
正直、自業自得と言いますか。そりゃ近場の人と寝まくってたらそうなるだろうって感じですが、のし上がるために同性愛者を装って枕をやるしかなかったのか、単純に惚れやすい人間だったのかどっちだったのかは最後までわかりませんでした。
唯一言えることがあるとすれば…コンマス怖え。
自分が相手を切る立場の時は、相手の痛みなんてわからない。
自分が切られる立場になって、初めて痛みがわかるようになる。
それをわかりやすく描写した作品ではありましたが、なんにせよ、ちょっと脆すぎじゃないか主人公とは思ってしまった。
仕事人間としての自分とプライベートの自分に挟まれて我を忘れたとしても、さすがにどっちかの自分に対してはプライドを持ってるだろうとは思っていたので、転換期となったあの一件はさすがに落ちすぎだろと。
お前も終止線入れんなやとツッコミ入れてしまいましたが。
個人的に転換期のあの一件の強引さと、ラストのアレでなんだこりゃ?と思ったので3.5点と辛めにしました。
別の国の話なのに大阪人の指揮者という時点で変な悪寒がしましたが、やっぱり日本はアニメとゲームとコスプレの国だと思われてんだな全世界で…とエンドロールで思わず遠い目になってしまいました。
観ておいて本当に良かった
前情報なしで観たのだが、
想像以上にずっしりと重い映画で、
本当に気分が重い。
誰かと思えばトッド・フィールド。
流石ですわ…。
セクシャルマイノリティを加害者にすることは
NGだと思っていた。
しかし、この映画はやってのけた。
観客は進んでいるのだから、意図も分かるはず、そんな気概を感じさえした。
当然の話なのだが、どんな人物から向けられたって、暴力は暴力だし抑圧は抑圧なのだから。
しかし加害者だけにフォーカスを当てたこの映画が
本当に賞賛できるものかと言われれば微妙である。
被害者の姿は全く見せず、自殺したと口頭で伝えられるのみなのだ。
主題が別にある、と言われればその通りなのだが、余りにもそっけない。
(『ウーマントーキング』の予告後に鑑賞したせいもあって、余計にそう見えた)
映画として、一言で表すことは難しいが、
個人的には「ターはどのようにして加害者になったのか」的な見方をした。
ターは自身の権力を利用して周囲に圧力をかけ暴力を振るった。
ターの生活を見る限り、完璧なパワーカップルに見えるし、その生活や言動、ビジュアルからもカリスマ性を感じる。しかし、追っていくにつれて、そのヴェールが剥がれていく。まるで、ター自身が否定しているような男たちと同じような心根が暴かれ始める。
指揮者を目指してきたターは同じ指揮者の偉大な先人たちに憧れ、彼らのようになりたいと思って生きてきた。しかし、時代が時代だった。憧れた先人たちはほとんどが白人男性だった。社会が彼女をそうさせたのだ、とも言える。
最後には「地獄の黙示録」の遺物の話が持ち出される。ターがそういった社会の上で育ってしまった負の遺産だと言わんばかりに。
(加害者を擁護する訳ではなく、そういった背景がターにはあった、という話)
ただ、男に指揮をとらせない、と女が先頭に立つことは暴力や圧力無しにも全くもって可能な話だ、とは言いたい。言えるような社会になってほしい。それが本作の目的ではないだろうか。
鑑賞後、どこからターがおかしいと気づいていた?と挑発されるような作りの構成で、観客もモラルを問われる。(ヒザ触るのはアウトだし、ロボットなんて言ってた時点から怪しいのだけど)
最後の最後、発展途上国の残酷な女性たちの性的対象化を目にして、ようやく自分のしてきたことに気がつく。過去に自分がした言動は消えやしない。重石となり、残り続ける。それでも指揮棒を離さないター。この先、どこへと向かっていくのか。
リヴェラ・ターという人物像に関して、思い起こしたことがある。
アンジェリーナ・ジョリーが演じた『17歳のカルテ』の登場人物、リサだ。
彼女も、身につけてしまったカリスマ性を利用して、周囲を翻弄していた。(施設に長年いるという意味では権力者とも言える?)
リサも最後には、ボロボロの“悲しい人“と言われるような姿になっていた。
本作ではその過程を、ケイト・ブランシェットという超一流の役者が、本当に素晴らしく演じきってました。
追記。
これは「ロールモデルを持てなかった人の話」でもあるのかな、と思い始めた。
ある職種を目指すも、そこに自分と同じ条件で戦っている人間はいなかった。だから、戦い方が分からなかった。どう進めばいいか分からなかった。音楽に対して真っ直ぐに進むには、彼らの枠に自分を当てはめるしかなかった、そんな話かも。過去に実績の少ないことの難しさを示す作品でもあったのかなと。だから歪んでしまった。どんな理由があるにしろやってはいけないことだが、そんな背景があると思うと本当に絶望するよ。
音の演出を堪能して欲しい
音を際立たせるためか、劇中に無駄なBGMは流れません。
自宅に音響設備が整っていなければ、劇場で観ることをおすすめします。
内容はやや難しく長いですが、退屈せずに観終えることができました。
以下、個人的な愚痴です。
冒頭でスタッフのクレジットが出るのですが、そこでスタントが6名いることがわかってしまいます。
あー、そういうシーンがあるのねーって思うわけで。
スタントの方も画面に映るわけですから、キャストと一緒にエンディングで出して欲しかった。
ター‼️
前半の静寂な趣きから後半の喧噪に満ちつつ徐々に魅せられる展開に目が離せない。
頂点から転落へ、彼女の強烈な情熱がハラスメントとして社会からはじき出される、ハラスメントを利用した罠にはまってしまった。凡人しか育たない社会に警鐘を鳴らしている。
主人公の運命に納得することも同情することもできない
地位も名声も手に入れた女性指揮者の話なのだが、何を描きたいのかがなかなか分からない。
評論家とのトーク・イベントや同業者との会話、あるいは学生に対する講義などで延々と音楽論が交わされるのを観ていると、「独り善がりな規制で芸術の自由を奪うべきではない」みたいなことを言いたいのかと思ったが、そうでもない。
序盤こそ、主人公の華々しい活躍が描かれるものの、副指揮者をクピにしたことでアシスタントがやめ、教え子が自殺したことで裁判沙汰となり、若いチェロ奏者を登用したことでパートナーとの関係に亀裂が入るなど、どんどんと雲行きが怪しくなっていく。
ドアのチャイムやメトロノームの音だけでなく、冷蔵庫のモーターや車内の振動によって生じる生活音、あるいは実際の音とも幻聴ともつかない悲鳴などを巧みに使って、主人公が精神的に追い詰められていく様子が描かれるが、困難に直面しながらも作品を完成させようとする芸術家の話なのかといえば、そうでもない。
終盤になって、ようやく、これが「転落劇」であることが分かるのだが、コンサートが始まろうとするその時に、いきなりそのことが示されるくだりは、この映画の一番衝撃的なシーンと言えるだろう。
ただし、なぜ主人公がすべてを失うに至ったのかについての情報があまりにも断片的過ぎるため、主人公が受けた仕打ちに納得することも、主人公に同情することもできないし、ましてや、その結末に感慨を覚えることも、感動することもできなかった。
それ以外にも、全体的に事実をぼかして描いているようなところが多く、それが、上映時間の長さと相俟って、「余白」ではなく「説明不足」と感じられたのは残念だった。
【”マーラーの交響曲第5番。”優越的地位を濫用したベルリン・フィルの女性マエストロが、自業自得の絶頂から転落していく様をシニカルに、音響、視覚効果も取り入れて描いた作品。鑑賞後の重い余韻が嵌ります。】
ー 今作は、多少難解な部分もあるがそれを含めて、自身で色々と解釈しながら鑑賞するのが良いと思った作品である。-
◆感想< 可なり個人的な意見です・・。>
・イキナリ、エンドロールのようなスタイルで製作スタッフの名前が流れる。何だなんだ!、と思っていたら、ター(ケイト・ブランシェット)のインタビューシーン。
ベルリン・フィルの初の女性マエストロであるが故に、余裕の姿でインタビューに答えるター。
ー 当たり前であるが、あの貫禄は並の女優では出せないだろう。-
・だが、時折不思議なアングルの、スマホの動画で、ターを盗撮するシーンが挟み込まれる。チャットで交わされる会話。”彼女が熟睡している訳はないわ・・。”
ー 段々と分かって来るのだが、ターの現在の恋人は同性コンサートマスターのシャロン(ニーナ・ホス:変わらないなあ。)であるが、ターの秘書の様な役割をしているフランチェスカ(ノエミ・メルラン)が且つてはターの恋人であったのである。ー
・そして、一度もキチンと映されないターを信奉するクリスタの影。
ターは、彼女とトラブルを起こしたらしく、他の楽団にクリスタの異常性や精神的不安定さを伝え、クリスタは自死する。そして、彼女の両親はターを告訴するのである。
・更に、ターはジュリアード音楽院で生徒を指導している際に、バージェンダーであるマックスという青年を、微妙な言葉でネチネチと弄り、彼は憤慨して退席する。
ー この様も、誰かが密かに動画で撮っているのである。そしてSNSでその様は拡散していくのである。-
・一方、美貌のオルガを特別に楽団に招聘したり、副指揮者であるセバスチャンを一方的に退団させたり、シャロンの娘を苛めるドイツの少女には怖い目をして脅したり・・。
ー ターの遣りたい放題且つ怖いシーンが満載である。ターを演じる、ケイト・ブランシェットの眼が怖いです。-
・様々なトラブルを抱えながら、ストレスを溜めていくター。そんな彼女にフランチェスカから退職願いがメールで届く。苛つきは頂点に達し、普段は聞こえない筈の様々な音が・・。
ー 怖いなあ。けれど、自業自得でもある。そして、フランチェスカが密かにターに復讐していた事が分かるのである。ー
■だが、そのような所業によりターはベルリン・フィルを追われ、東南アジアの僻地で師であるバーンスタインのビデオを涙しながら観て、ベルリン・フィルとは全く違うコンサート劇場で指揮を執るターの姿。
そして、その姿を見るモンスター・ハンターの衣装を着けた観客たちの姿・・。
シニカルだなあ。
<いやー、今作、疲れたけれど面白かったなあ。
そして、優越的地位の濫用をバンバンした、横暴なベルリン・フィルの女性マエストロが転落していく様を、シニカル感溢れる描写や音響及び視覚効果(特に、メトロノーム。)も取り入れて描いた作品である。>
転落か再生か
完璧な女性指揮者が、身勝手さとそれがもたらす結果により苛まれ転落してゆく物語。
完璧なまでにコントロールされた映像と音響によってそれが描き出されるため、観客は目を離すことが出来なくなるほど。特に音響はごく小さな音が物語上の鍵となったりするため、充実した環境で観たいところ。配信ではダメだな…
カメラは終始主人公を追っており、しかも多くが音楽論を語るシーンなのにこれほど惹きつけられるのはケイト・ブランシェットの演技力の賜物だろう。しかし当初は男性が主人公として企画されていたというが、こりゃ彼女にしか出来ないや…
アシスタントの女性はどこかで見たことあると思っていたが、「燃ゆる女の肖像」の人だったのね。脇の役者陣も素晴らしかったが、演奏も演技もする楽団員の人たちはどういう人たちだったのだろうか…
劇場でこそ観るべき良作。
2度目の鑑賞で印象が大きく変わったので追記。
(以下ネタバレ)
評価も上方修正。
まず、登場人物の名前や関係性を理解した上で観ると、演出意図がはっきりと理解できるのに驚く。当たり前だが、すべてのシーンに意味があり、すべての台詞に意味がある。役者の表情にも効果音にもすべて意図がある。
あまりにも的確で、これ以上削れないのも宜なるかな。
そういう意味では完璧な出来。
また、ラストは『再生』を意味しているのだということもおそらく間違いない、という理解に至った。
リディア…いやリンダが実家で見るビデオの番組の中でバーンスタインが「音は次の音に繋がり、それこそが音楽であり尊いのだ」というような意味のことを語り、彼女が涙する。人生もまた次のステージに繋がり彼女はアジアに赴く。
そこで彼女は作曲家の意図を理解するために面会を希望するが大阪からの作曲家は来ない(カプコンのミュージックチームだから来る訳ない)。それでも彼女は楽譜を読み込み、演奏会に向かう。そして不安を抑える薬は必要ない。彼女は薬を飲まずにステージに向かった。
これが『再生』でなくてなんなのか。
マッサージのシーンはそこに異物として挟まれているが、あの「5番」の視線が彼女が過去に搾取していた女性たちからの視線としてリディアに向けられた、そのことで自分のやっていたことの醜悪さにようやく向き合った、ということではないだろうか。
自分の過去にも向き合い、音楽に真摯に向き合う姿勢を取り戻した(おそらく)リディアではなくリンダの『再生』の物語だと、今回は理解できた。
あの「バーンスタインに師事」というのも時期合うのかな?と思ってたが、あの番組で学んだ、という意味なんだろうな…
絶頂のその先
栄光を手にした指揮者が狂気の果てに得るものとは……という予告や、絶頂極まった瞬間を映しつつもどこか不穏な闇が目立つポスタービジュアルからして、私のオールタイムベストである『セッション』みたいなのを期待していたんですが、だい~~~~~~~~~ぶ変な映画だったな………!!
上映時間158分の長尺のうち、2時間は溜めに要したように恐ろしくスローペース、かつ現実か幻想なのか見紛う描写がちらほら見られ、解釈に異常に困る怪作と言えます。
僕が『セッション』大好きなのは、あのパワハラファッキンクソハゲが絶頂に至ったその瞬間に潔くエンドロールに入るという引き算を極めた構成にあります。
あのハゲも教え子のニーマンも、ぶっちゃけクズなままだし、正直あの後に2人とも大成するとも思えないんだけど、それでもあの最高の瞬間≪セッション≫を演奏できたんだ…!って部分に物凄いカタルシスを得てそのまま終わることができたわけです。
ところが本作に関しては敢えてその絶頂の続きを描いている。
暗転&スタッフロールに響き渡る民族歌……といきなりエンドロールを意識した画面から始まる辺りそれは顕著です。
その後も専門的な話が組み込まれた音楽の講演や授業を何の面白みもなく長回しで流し続けるなど、かなり挑戦的な作り。
これは本作が絶頂に至った主人公の女性指揮者ターの転落劇であるが故でしょうか。エンドロールを迎え、完成された理論を並べ立て、そしてそこから突き落ちていくだけ……という。
それにしても、その後も話の全容が見えないまま、多忙なマエストロの日々が描かれるのですから困惑しちゃうんですよね……
基本長回しだし、説明も少ないし、合間に本当にちょっとした奇怪な事や音が起きるといった調子なので、話の骨子を掴むのにも苦労しました。2時間かかってやっと「転落劇」だって理解しましたからね。疲れる……
アパートに響き渡る異音の正体など、物語が進むことで明らかになる「奇怪」もありますが、謎のまま終わってるものも多いので気にかかるところ。
本の送り主や深夜遅くにひとりでに動き出すメトロノーム、ランニング中に聴こえた悲鳴、オルガは何故あんな廃墟に住んでいるのか(もしくは最初からいないのか)、消えたスコアの行方……真相・暗喩諸々が画面のあちこちに仕掛けられており、悉くを見落としている感じなので焦ってしまうんだぜ……
だからといってこれもう1回観たいか?って言われたら、そこまでではないってのが正直なところなんだよなァ……本作は凄くスローペースかつ長尺だから単純に観返すのも苦労しますからね。あと、音楽の知識が必要とされる場面とかになると完全にお手上げ状態だし。
音の拘りに関しては滅茶苦茶感じられましたが、まさかオーケストラ以上に生活音とか雑音に力入れてるとは思いませんでしたね。
その中にターの精神異常を反映させた幻聴紛いのものまで混ぜるから余計に混乱させられます。要は突き詰めれば、究極「クラシックも所詮雑音に過ぎない」ってことなんでしょうけど。
その雑“音”をも“楽”しむ、言葉通りの「音楽」こそが真髄ですが、一度頂点に立ったターはそういう権威にまみれて本質を見失っています。
劇中で描かれる彼女の中にかいま見える選民意識や傲慢さ、そしてちょっとずつ明かされる女性関係のだらしなさやハラスメント疑惑ってのは、その副産物に過ぎないのかもしれません。
ただ、ターがクリスタという自殺した女性と関係を持っていたってことは事実っぽいんですが、微妙にその加害性の有無に関してはボカされているんですよね……
劇中でリークされた映像ってのは、冒頭の長回しに付き合った観客ならわかるように、かなり恣意的に編集されたものだったので。その辺のハッキリしなさがこの映画の骨子の見えづらさに繋がっていた気がします。
僕としてはあれだけ多くの奏者を束ねて、理想的な音のために引っ張っていく指揮者ってのはエゴイストであるべきと思っているんですよ。いや、もちろん『セッション』のハゲみたいなのは論外ですよ?
ただ、ハッキリ指揮者の人間性がクソって断言してる『セッション』と違って、本作はそのハッキリしない描写のまま「ターは傲慢である」って断罪しているようでこの演出はあまり好きじゃないんですよね……
こういう展開にする以上は、少なくとも「クリスタの自殺の遠因はターの加害性にあった」って部分はちゃんと突きつけないとフェアではないと思うんですよ。
あと、世界的権威だろうとなんだろうと、アパートでピアノを弾いたらそれは騒音だ……って隣人に突きつけられるのはかなり露悪的というか、夢がないなって。
ピアノの音がしたら、あまりに素晴らしい演奏だったんでアパートの皆が逆に窓を開ける『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』みたいな展開のが僕は好きなんですよね。それくらいには音楽に理想を抱いているんです。
そういう意味では本作のターが落ち切った先……の描写は個人的には希望と取れましたかね。
東南アジアのだいぶ田舎で、そして音楽的権威とは無縁そうなイベント(モンハンの劇判演奏なのかな?)で指揮を振るうという、これまで積み重ねてきたキャリアからしたら明らかに不釣り合いだけど、それでも純粋に音楽に向き合える場所は手に入れられたんですから。なんせ音に貴賤はないのだから、奏でられるだけで幸せとも思うのです。
音やリズムを支配したい主人公が、段々と調子を狂わされ、徐々に人生を...
音やリズムを支配したい主人公が、段々と調子を狂わされ、徐々に人生をコントロール出来なくなっていく様を、静かだけれどソリッドに、ダイナミックに描く。
キャンセルカルチャー、芸術至上主義vsポリコレ、ポストフェミニズムなど、幾重にもテーマが複雑に絡み合っているので、紐解きは大変。
・なぜ、モンハン?
・オルガが謎めいてよくわからない
・被害者側をfade-outさせることでそこに寄り添う話にはせず、加害者側メインで描く。ただし、反省などの心情は分からないまま。
・会話劇メインで画や会話で仄めかすものが多いので、読み取りや解釈が多く求められる。特に、会話での伏線や仄めかしが多い印象。
・燃ゆる女の肖像、パリ13区の、ノエミ・メルランが出ている。画的にすごく印象的。エマニエル夫人どう演じるのか気になる。
・東南アジアを都落ちに使っているが…
2度見るにしても、何かしらの解説を聞いた上でじゃないと意味ないと思える映画。
オルガ役のロシア人女性は何者?か気になった
教え子が自殺したっぽい…とわかってからは、リディアが追い詰められていく様子がケイト・ブランシェットさすがの演技力でぐぐぐっと引き込まれたけど、正直そこまでの前段が少し長いなと感じた。音楽の専門用語とか、知らない指揮者の名前とか連発でちんぷんかんぷんだったので、リディアはこんな感じのイケイケ女性指揮者なんだなーと雰囲気だけ感じ取りながら見てた。
それにしてもあのロシア人のオルガは女優さん?プロのチェロ奏者?女優さんにしてはチェロうますぎるし、チェリストにしてはチャーミングな演技うますぎるし、どっちなんだろう?どっちにしてもめっちゃオーディションとかしたのかなあ…とか思いながら見ていた。
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