「古き良き物語。」映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア) Elgolviaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0古き良き物語。

2023年9月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

楽しい

知的

最近のドラえもんは大人が楽しめる物だった。
新恐竜やカチコチは複雑なタイムパラドクス、宝島はラスボスの行動の動機理解が幼小の子供たちでは無理だろうという欠点があった。

それを理由にもし藤子先生がご存命だったらこの3作品は(私個人的には好きだが)即刻ボツになっていただろうが、藤子先生も昔の方。進化し続けるには「ドラえもんは藤子先生離れをしなければならない」ので、これは一歩であると評価した。

しかし、今回はそんなにストーリーも複雑でもなく、途中から悪者も明確になったし、「個性を大切にする」という現代っ子に向けたメッセージも映画自体に添えられておりかなり好感を持てた。

もうゴツゴーシュンギクから作られるあのお薬でも飲んだんじゃないかと思う程な偶々偶然都合良い展開も久々でノスタルジーを感じた。

ただ一つだけ許せなかったのは「犠牲で涙を誘おうとした」ということである。
ドラえもん映画で犠牲感動はタブーだよ。。。
だから海底鬼岩城も嫌いです。
あれ…そうなるとふしぎ風使いも嫌いにならないと駄目か…
今のは全て忘れて頂いて結構です!!

さて、普通の評価はここまで。少し裏を読み解いてみる。
実は今回の作品、「人はそれぞれ個性を持っていてよい。パーフェクトでなくてもよい」というメッセージは実に重要と言ったが、おそらくスタッフも気づいていない重要なポイントがある。
これは「道徳的、精神的、教育的」という意味だけではなく「電脳技術」という面でも非常に重みを置かなければならない課題なのである。

現在、トレンドワードが量子コンピュータやAIで持ち切りとなってしまい埋もれてしまっているが、攻殻機動隊のような電脳技術の実現も日夜世界で研究が行われている。

もしもある一定の成果が出て人と人の脳をスター式もしくはハブ式に繋げることができるようになれば、人と人の理解の違いによる争いも無くなってゆくしとある命題に対して並列化された脳は繋げられた処理能力で最的な方法での手段を取るようになる。

しかし、どっかの魔法少女アニメでよく聞く「エントロピーの増大現象」は情報学においても言えることであり、人の脳が繋がった瞬間から長い期間を経ると人の知識と個人が持っていた処理ロジックが混沌化してゆき、やがて人は小説で言う「巨大なヒトリ」という存在となってしまう。

人の技術進化とは「過ち」や「方向違い」から全く別の発見、進化を遂げることも多く常に正解の道を選んで技術レベルがカンストしまうと「テクノロジーの進化」にも限界が訪れてしまうのである。

さて、その情報の統一を起こらないようにするためには人の脳の記憶野の仕組みを完全に解析し、人に提供する情報、「個」で持つ情報を電子的にパーティション化しなければならず、それをしえないうちに人の脳と人の脳を電子的手段で接続することは非常に危険と大きな損失の可能性を伴う。
故に、「個性を大切にする。パーフェクトでなくてもよい」とは電脳学的に見ても重要なワードなのである。

まあ、こんなことを考えるのは一部の馬鹿か変態だけだと思うけどっ!
さて妄想も終わったし、もう一回ドラえもんアニメランニングしてくる。

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Elgolvia