ゴヤの名画と優しい泥棒のレビュー・感想・評価
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是非、フィオン・ホワイトヘッドにも注目を
1961年、当時のイギリスは階級社会における労働階級への差別に加え、インフレーションと失業率が昂進し、確実にイギリス(英国)病が国内経済を蝕んでいた。
このドラマの主人公であるケンプトン・バントンも労働階級であり、彼は「高齢者のために公共放送BBCの受信料無料化を求める」社会運動に熱心に取り組む活動家であった。
彼はよく喋るうえに時に痛烈な皮肉も混じるが、憎めない人柄ときちんとした知識、理念、信念を持っており、また口だけではなく自らが犠牲になってでも訴える人である。
冒頭からそんな彼の人となりが見える展開で進んでいくが、刑務所への収監を機に、妻ドロシーの説得に押されつつも「最後に一度だけ」とロンドンに赴くことになる。
ここで観ている私、ある出来事に一瞬「あれ?今気を失っていたか?」と自分を疑う映像的なギミックがある。実はこれが気のせいでなかったことが物語の後半で判るのだが、、、
ハドソン夫妻を演じるベテラン、ジム・ブローベントとヘレン・ミレンの演技は言わずもがなであるが、その夫妻の息子ジャッキーを演じるフィオン・ホワイトヘッドが、この夫妻が人生を「間違っていなかった」と思わせてくれる演技を見せてくれ、微笑ましく、そして清々しい気持ちになる一本です。
これは家族の物語
公共放送の受信料に異を唱える偏屈おやじが、庶民のヒーローとなる顛末が痛快。
その一方で、生活力はないくせに、言うことだけは立派な主人公のキャラクターは、「隣人」であるならば微笑ましいが、これが家族であったなら、面倒臭くて本当に大変だろうとも思わせる。だからこそ、家族の再生がきちんと描かれているところに好感がもてるし、切っても切れない家族の絆というものを強く感じとることもできる。
素材の良さを活かしきった実録ものとして秀逸。
愛おしい作品
とにかく全体にユーモアが溢れすぎてて、観ている間中、頬が緩みっ放しでした。特に夫婦の会話がまさに漫才の「ボケ」と「ツッコミ」の応酬で楽しくて仕方がない。国の税金の無駄遣い、差別問題、老後資金の問題など、現在にも通ずる様々な社会問題をそこここにうまく散りばめていて、それでいて決して暗くなったり重くなったりせず、笑いを交えながらテンポ良くお話しが進んでいきます。ラストのほうの裁判シーンは本当に笑いっぱなしでした。傍聴席にいる人たちや法廷にいる人たちも、演技ではなく自然な笑みがこぼれているようにも見え、皆さんいい顔をしていました。心の底から楽しめて、温かい気持ちにさせてくれるほっこりする作品でした。
75歳以上は受信料取らないで!
60年代のイギリスの街並み、服装、ご婦人の髪型なども見応えがあり、ユーモアに溢れてとてもいい気持ちになる話。英国映画の気品を感じる配役。
ロビン・フッドか?
ドン・キホーテの産まれ変わりか?
ちょっとうるさいぐらい弁が立つタクシー運転手(戯作者)のおじちゃんのあっぱれな行動力。
拍手喝采!
ラジオしかなかった戦前の放送法を盾にして、何十年も受信料を取り続けてきた某国の国営放送局。
夜の10時過ぎてから訪問して来て、ドアの隙間に足突っ込んで、受信料払えって脅すの止めてくださいね。怖いから。
何十年も放送法改正に指一本触れない国会議員たち。
おかしいと言い出さない国民。
最近、かなり変わった方がこれをネタに党名に掲げて国政選挙に出馬しましたなぁ。
75歳以上からは受信料取らない英断を
いぬえっちけーがするわけないと思うと、いい映画見たあとなのにちょっとさみしくなりますね。
額縁はギルティー!
なんでも鑑定団(テレビ東京)で、絵はニセモノでも額縁や箱の方が価値があるという先生方のイヤミなコメントをちょっと思い出しましたw
前半ダレてる感も最後の20分
想像していた映画とはだいぶ違ってました。シリアスな内容をこういうコーティングで見せるのかって感じ。
実話だというのが驚きです。
前半いろいろ出てきて、なんだかスッキリしないんですが、最後の法廷シーンはなかなかに圧巻。前半の伏線も的確に拾いきっているかと。
カメラワークも遊んでいて好きです。
地味目ですが、おすすめ
おしゃれ、軽妙、賑やかで。
観ているこちらが幸せな気持ちになる一本でした。
主人公の爺さん、微妙な距離感で見ている分には面白いが、身内にいたらめちゃくちゃ迷惑かもw
そんなユニークでお茶目な爺さんを、ジム・ブロードベントが好演。
創作かと思いきやまさかの実話ベースに驚き、『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェル監督の遺作と知って二度驚き。
「ここがいい」という点がみんなネタバレになっちゃう宣伝に困る内容で、ちょっと話題としちゃ地味目ですが、おすすめしちゃいます。
後半は良いです。前半は微妙
1961年に実際に起きたゴヤの名画盗難事件を家族愛をメインにコメディタッチで描いた人間ドラマ
前半は展開も遅く睡魔に負けそうになりましたが、後半の裁判劇になってからは楽しく見れました。
2021年9月に亡くなった「ノッティングヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル監督の遺作というのも感慨深い作品になりました。
公爵は見ていた!
ウェリントン公爵の絵が抜かれる度になぜだか微笑ましくなった。盗まれて市民の家にあるときも核研究所にあるときも威厳を失わず私を笑わせにかかって来た?
当時のヒット曲クラリネット奏者アッカー・ビルクの「白い渚のブルース」が流れるシーンはとってもほっこりでメロディー、映像、ストーリーが渾然一体で「陽のあたる教室」での少女の演奏シーンでも使われていたのを思いだし胸キュン。
NHKの皆様、ご覧になりました?
嘘のような実話が元らしいけど、どこまでホントなんだろう。年金受給者から受信料を徴収するなんてBBCもひどいよな。しかも受信機の電波まで探知して押しかけるなんてどこかの国と同じ。
裁判パートは、ケンプトンの独壇場。堂々と見ようによっては飄々と無罪を主張するし、本人確認では、ユーモアを交えて何度も脱線させて、裁判所内のほとんどを味方につける。まさか陪審員制度で大岡裁きがあるとはね。
ヘレン・ミレンはさすがの演技。白ヘレンもいいけど、次作は黒ヘレンでお願いします。
最後の最後で
あれ?わたしこんな映画見にきたんだっけ?
なんか間違えちゃったかな…と不安になりながら
このお爺ちゃんなんなんだよー奥さん可哀想だろ!
とか思っちゃってましたけど
隣のご婦人なんてほとんど寝てましたけど
最後の最後で、めっちゃエエお爺さんやん!
となりました。よかったよかった。
最初の1時間は我慢して見てください。
良心があればオッケー!絵の1枚や2枚、なんてことはありません!
いやぁ、ゆるい。
結局、ゴヤの絵を盗まれたあげく、そもそも最初に息子が盗んだことも捜査していない。
じいさんが、夜中にハシゴ登って盗めるか、現場検証したら、すぐにわかる。
額縁盗むと有罪で、14万ポンドの絵を盗んでも無罪。
人間ばんざい!AIはお断りだ!
この非合理性こそ、人間そのもの!
生き物ばんざい!
Not guilty.
ロジャー・ミッシェル監督、素晴らしい映画を本当にありがとう!
ケンプトンの機知に富んだ発言に感動する
本作品のハイライトは裁判のシーンである。主人公ケンプトン・バントンは、口うるさく文句をまくしたてる妻ドロシーを相手に、鈍重とも言える反応しかできない。それはそうだ。家計はドロシーが家政婦で稼いだ金でまかなわれている。ケンプトンは弱々しい反論をするのが関の山である。
ところが裁判になると、検事や弁護士の質問に対して才気煥発、水を得た魚のように機知に富んだ発言を繰り返す。ユーモアとジョークが満載の彼の言葉は、観衆を笑わせる喜劇の台詞のようである。それもそのはず、ケンプトンは昼夜を惜しまず戯曲を執筆している。戯曲の台詞はリズムが何よりも大事だ。句点と読点のリズム。長い単語と短い単語のリズム。リズムが整っていれば、俳優は長いセリフをよどみなく話せるし、観客も聞きやすい。法廷にいた人々は、リズムに乗った彼の言葉を、芝居の台詞のように心地よく聞いたのであった。
ところでBBC放送はサブスクリプションを導入して、受信料を廃止する方向で進めているらしい。大変いいことだと思う。NHKも見習うべきだ。
いまやインターネットの時代である。テレビや大新聞が正しい情報を伝えていると思っているようなおめでたい人は少数派になった。テレビや大新聞は、大本営発表を垂れ流していた時代と本質的にはそんなに変わらない。大本営発表でない情報は、週刊誌が先に報道して大新聞やテレビが後を追っている。
当方も当然ながらテレビや大新聞の情報は信用しない。必要な情報はネットで自分から探しにいく。もちろん政権の言いなりにしか報道しないNHKなど絶対に見ない。NHKはアベシンゾウの時代にとことん腐ってしまった。もちろんそれまでも反体制的な報道は一切なかったが、アベシンゾウがNHKを脅すようになって以来、国営放送の本分である国民のための放送を一切放棄した。「皆様のNHK」から「アベ様のNHK」に堕してしまったのだ。
昔は70%を超えていた紅白歌合戦の視聴率も、今や30%ちょっとが関の山である。嘘ばかりでジャーナリズムの矜持のないNHKの実態に、漸く国民も気づいてきたのがこの数字だろう。もはや公共放送としての役割を少しも果たしていないNHKに、国民から受信料を徴収する権利はない。百害あって一利なし。それがいまのNHKだ。
ケンプトンが今の時代にいたら「BBCなんぞいらん、ネットとサブスクがあれば十分だ」と大声で言うだろう。そして当然のように受信料の支払いを拒否するだろう。ケンプトンは正しい。
ロシアがウクライナを侵略しつつあるが、そこで思い出すのが、アベシンゾウとプーチンの関係である。2016年に地元の山口に招いて、3000億円の税金をポンと渡して北方領土の件をお願いしたのに、したたかなプーチンにいいようにあしらわれて3000億円を持っていかれてしまった。
プーチンは2018年に「前提条件を付けずに平和条約を締結しよう」と提案してきている。北方領土の解決なしに条約を締結すれば、領土問題は既に解決したとみなされる。3000億円の税金を騙し取っておきながら、さらにこんな条約を臆面もなく提案してくるプーチンの面の皮の厚さには誰もが驚いた。
脳タリンのアベシンゾウもさすがにこれで懲りたかと思ったが、翌年の2019年には「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」などと仰天の発言をして、プーチンを苦笑させている。「コイツは本物のバカだ」とその顔に書いてあった。
「ウラジミール」とファーストネームで呼ぶ仲なら、今回のウクライナ侵攻についても、仲介役を果たすべきではないかという報道は、当方の知る限りでは確認できていない。もちろん「アベ様のNHK」がそんな報道をするはずもない。見ていなくてもそれくらいはわかる。
作品の話に戻るが、序盤はケンプトンの人となりがわかるエピソードが紹介され、同時に妻ドロシーのスクエアな考え方、時代に蹂躙されて女性の権利を忘れた気の毒な精神性も理解できる。ヘレン・ミレンはやはり凄い女優だ。中盤からは息子たちも絡んで物語がちょっと進む。息子たちは口うるさくて古臭い母親にうんざりし、年老いても脚本家を夢見る父親のことが好きだ。なんだかんだでいい家族である。
終盤で冒頭のシーンに戻ったところから、ケンプトンが本領を発揮する。そしてこのレビューも冒頭に戻る。
The Duke・・・公爵
1961年、ロンドンのナショナル・ギャラリーからゴヤの名画、ウェリントン公爵、が盗まれた。犯人はタクシー運転手のケンプトン・バントンで、妻と息子とアパートで年金暮らしをしていて、高齢者たちの生活を楽にしようと、盗んだ絵画の身代金で公共放送(BBC)の受信料を払おうとする話。
公爵と言えば、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵のトップで、ゴルゴ13もデューク東郷だよなぁ、とか思い、ググるとウェリントン公爵って今の時代も存続しているようで、ゴヤの時代だったなら初代なのかぁ、とか、原題のThe Dukeから連想出来て興味深かった。
史実ベースの作品って歴史の勉強になりますね。
ナショナルギャラリーってロンドン出張の時に何度か行ったが、ゴッホのひまわりしか覚えていない。肖像画って暗くてあまり興味なかったけど、映画を多く観るようになって、肖像画にも興味が湧いてきた。
実は次男が・・・って言うのは2012年の情報公開で明らかになったんですね。60年・・・長いようで短いのかも。
良い作品でした。
ウイットとペーソスに富む英国らしさ
とてもウイットとペーソスに満ちたイギリスらしい実話に基づくストーリーである。誰も見向きもしないのにドラマの原稿を書き、年金生活者のために運動する、もの好きな老人が主人公だが、彼の驚くべき「犯罪」と裁判を見て、人間ってバカだけどいいなとヒューマンな暖かい気持ちになる。彼の時代には実現できなかった高齢者の受信料が今は免除されているのも、イギリスらしくてよい。
独りよがりのアナキスト
みたいなおじさん、絵を盗んでも反応がなくてヤキモキしているところ、面白かった。
職場の人種差別に反対してクビになるのが、1961年だ。BBCの受信料を払わないのが犯罪であるイギリスで、堂々と自分の考えを主張し実現させようとしている、おじさん。だんだんと応援したくなってくる。
弁護士さん、良かった。
奥さん役のヘレン・ミレン、どんな役でもとても自然にハマっているのが本当にすごい。
短い作品なのに
「信念とは」「正義とは」「公と私とは」「格差とは」「マイノリティとは」
可愛くて優しい、小粋でおしゃれな作品のクセに、ちゃんと現代社会への視線があって、振り返るとメッセージが盛りだくさん。
実話ベースの作品は観客に課題を残して終わることも多いが、この作品は観終わった後の「ほっこり」感も保証してくれる。
演出と合わせて、やはり俳優たちの達者なセリフ回しも凄い。
月並みながら、やっぱりヘレン・ミレンは上手いよね。
世の中的に、小粒な作品で終わらせてしまうのはもったいな映画だと思う。
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