劇場公開日 2020年1月17日

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「今生の別れ」帰郷 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0今生の別れ

2020年1月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

 最近はあまり使われないが「今生の別れ」という言葉がある。2019年の11月に朝倉あきが主演した「私たちは何も知らない」という芝居の中でこの言葉が使われていて、大変に感銘を受けたことを憶えている。この世の最後の別れのことを今生の別れという。卒業式のあと友人に対して「これが今生の別れなら、私の思いを伝えておきましょう」などという使い方をする。
 本作品は「今生の別れ」を描いた作品だ。別れというと、別れに関する曲や歌をたくさん思い出す。世の中には出逢いの曲よりも別れの曲のほうが多い気がする。真っ先に浮かぶのはショパンの「別れの曲」であり、次いで「別れのワルツ」つまり「蛍の光」である。スコットランド民謡に稲垣千穎が日本語の歌詞をつけたのがつとに有名であり、日本では主に卒業式に歌われる。デパートやレストランの閉店音楽としても流されることがある。
 稲垣千頴の歌詞は 4番まであることが知られているが、3番と4番は何だかお国のためにみたいな歌詞で、右翼的な政治家がその歌詞を演説に悪用したことがある。1番と2番の歌詞は本当に素晴らしいと思う。特に2番の歌詞は、今日を限りにここを出て行く人とここに留まる人のそれぞれに、互いに対して万感の思いがあるけれどもそれをたった一言、ご無事でという言葉にこめて歌う、そういう歌詞なのである。
 とまるもゆくも かぎりとて
 かたみにおもふ ちよろずの
 こころのはしを ひとことに
 さきくとばかり うたふなり

 仲代達矢が演じた主人公宇之吉と、三十年ぶりに再会した橋爪功の佐一が酒を酌み交わしたあと、右と左に別れていくシーンで、この2番の歌詞が心に浮かんだ。宇之吉が発する「達者でな」は、互いの万感の思いをこめたひと言だ。まさに今生の別れのシーンであり、人生の切なさが凝縮されたような、美しいシーンである。
 本作品に登場する堅気もヤクザも、生きていくのは苦しいことばかりだ。それでも人と人の関わり合いの中に生きる喜び、ささやかな喜びを見出して生きていく。宇之吉はこれまで、自分のためだけに生きてきた。恩を仇で返したこともある。罪は罪。自分が一番よく知っている。先をも知れぬ老いた宇之吉にとって、人が喜んでくれることは何にも代えがたい嬉しい思い出となるに違いない。
 終始、美しい木曽路の風景が全編を通じての背景となっていて、8Kの映像はこんなに綺麗なのかと驚いた。常盤貴子は8Kの鮮やかな映像にも堪える美貌を存分に見せてくれたが、ひとつだけ不満を言わせてもらうと、演じたおくみのキャラクターがどうにもはっきりしないところがあって、終盤で少し違和感を感じた。
 それ以外は田中美里のおどろおどろしい演技も含めて、役者陣は満点だ。特に浅吉を演じた谷田歩が素晴らしい。ヤクザの幹部らしい肚の据わり具合と物言いは凄みがあった。中村敦夫が演じた九蔵は、宇之吉にとって好敵手のような存在であり、九蔵との再会が物語にダイナミズムを与えて、坂を転がるようにストーリーが進む。しかし待っているのはいつも今生の別れである。
 悲しくて寂しくてやりきれない物語だが、木曽路の自然が人の一生を包み込んでくれるようだ。ラストシーンでは登場人物それぞれの人生がフラッシュバックのように次々に脳裏に浮かぶ。時代劇のよさを余すところなく見せてくれた作品だと思う。

耶馬英彦