ビール・ストリートの恋人たちのレビュー・感想・評価
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秀作ではあるが、今回もまたバリー・ジェンキンスの感性が合うか否か
『ムーンライト』でアカデミー作品賞に輝いたバリー・ジェンキンス監督の注目の新作。
世界を魅了した『ムーンライト』同様、黒人社会の厳しい現状や一途な愛の行方を、監督の美しい感性で綴られている。
1970年代のNY。黒人たちのコミュニティ、ビール・ストリート。
そこで暮らす22歳のファニーと19歳のティッシュの若者カップル。ティッシュは妊娠し、貧しいながらも幸せな日々を送っていた。
だがある日、ファニーは些細ないざこざで白人警官の恨みを買い、無実のレイプ容疑で逮捕されてしまう…。
恋人の無実を証明すべく奔走するヒロイン。
直面する苦難の数々…。
この時代、逮捕されたハーレムの黒人青年の事など誰が気に留めようか。理不尽な差別、迫害…。
力になってくれる筈の身内からも。恋人の母親はティッシュに憎しみをぶつける。
幸せだった頃の過去と、辛く苦しい現在が交錯。その対比が切ない。
そんな中でも、担当してくれる事になった白人弁護士や恋人の白人の親友。黒人社会の陰の中に差し込む光を反映。
本作でアカデミー助演女優賞受賞、ヒロインを支える母親役のレジーナ・キングの演技と存在は頼もしい。
初々しい主演二人。オーディションで選ばれたヒロインのキキ・レインが光る。
静かで繊細、美しくムーディな映像、音楽、ストーリー、演出、感情…。
実は、『ムーンライト』があまり肌に合わなかった自分。
今回は『ムーンライト』より、話的にも題材的にも入り易いと感じた。
…であるのだが、正直、ドンピシャに肌に合ったとは今回も言い難い。
好みというより感性の問題なので、こればっかりはどうしようもない。
また、冤罪の行く末も。黒人社会のメッセージは込められているが、もう一味欲しかった。
連続で秀作放つバリー・ジェンキンス。
だが、個人的には今回もホームランとまでは行かず。
次回作は…?
不自由な国アメリカ
個人評価:3.8
劇中バックグラウンドで流れる、静かで美しい旋律が、この物語と空間を深みのあるモノにしてくれている。
まだ若いカップルが結婚目前で、理不尽な不幸に巻き込まれる。
幸せな時期と、現状の不幸とを交互に対比させながら描き、悲しみがより浮き彫りになってくる。
自分が結婚を目の前にし、同じ境遇になったらと考えると、心が冷たくなり、物語がより悲しくなる。
エンディングテーマの歌詞、愛すべき自由の大地、尊い祖国、というフレーズが、不自由な国アメリカに皮肉に、そして悲しく響きわたる。
翻弄される黒人恋人たちの悲劇
二つの時間軸が、代わる代わる進められていく。
一つは回想。幼馴染みのティッシュとファニーの、恋愛への心情や関係の変化が、ゆっくり丁寧に描かれていく。
見つめ合う表情、躊躇いながら身体を重ねる様子など、拘りを感じる丁寧な表現で、恋愛ものとしては好感が持てる。
が、私は恋愛ものが苦手というか、あまり興味がないのだった。恋愛が丁寧に描かれるが故の退屈。これは個人的嗜好なので仕方ない。
もうひとつが現在、ファニーの巻き込まれた冤罪事件と、身重ながらその解決に奔走するティッシュや家族の様子が語られる。
異なる人物設定であれば、クソ警官の不正で済まされそうな話だが、二人が黒人である事で、局面が深刻化している。黒人である為だけに受ける謂われなき差別、侮蔑、不当な扱いへの苦しみが、時に現実の映像を交えて訴えかけられる。
こちらの描き方が少々中途半端。恐らく重くなり過ぎない表現ラインを探ったものと思われるが、恋愛ものの側面に食われぎみだし、語られずスルーされた要素も多い。ダニエルはどうなった、弁護士の奮闘の詳細は?
また、二人の父親の「白人が俺達の財産を盗んだんだ、俺たちにも出来るさ」発言からの、商品の窃盗横流しなど、どうしようもない現実と辛苦を訴えたいのは解るが、被害者側の意識に寄りすぎて些かバランスに疑問を覚える部分も…。まあ、受け取る側によって感情の変わるデリケートな問題とは思うが…。
黒人である二人に好意的な黒人以外の面々の殆どが、ユダヤ人など結局マイノリティ側であるのも、差別問題の根の深さを感じる。黒人問題で描かれる善人な白人は、度々批判的な指摘を受ける。繰り返し取り上げられる黒人差別だが、とりわけ扱いの難しいテーマでもあるよなぁ。
画の撮り方、色合い、暗さと光の美しさなどはとてもお洒落で美しい。
それだけに、お洒落で大衆に受け入れられ易い恋愛ものに、アカデミー受けする黒人問題を盛り込みました、というようなむず痒さを感じるのは、ちょっと意地の悪い邪推かな。
二本立てで、「マイ・ブックショップ」と立て続けで、人間の悪意と不正の横行する現実を見せつけられたので、大分がっかりしょんぼりしてしまった。
無邪気に逞しく育つ子供と、不正は正せなくとも心は屈しないぞ、と立ち直ったファニーの生気ある表情が、唯一の僅かな救いだろうか。
つい、ムーン・ライトと比較してしまった・・。
バリー・ジェンキンス監督はずっとこの路線でいくのかな。この作品も面白いのだが、傑作「ムーン・ライト」とどうしても比較してしまう。
2作目で高みに到達してしまった彼が今後、どのような作品を作っていくのか見守りたい。
<2019年2月22日 劇場にて鑑賞>
愛する行為に救いがある
バリー・ジェンキンス監督の作品には人物の色気が滲み出る。“よりシネマティックに”ー。その点を強調していると感じ取る。クラシック・ソウルのレコードから流れ出す気品漂うムードの様に、哀しみと柔らかなエロティシズムを包括する雰囲気が全編を支配するのだ。本作も、怒りや悲しみ、失望を上回る、感受性豊かな愛情表現が心に残る。やはり、黒人社会の物語に新機軸を打ち立てる存在だ。
美しく仕上がったプロパガンダ映画
原作者ボールドウインのネライは、公民権取得後の黒人の差別的扱いの告発であろう。それを、「純愛物語」として纏めた手腕には感服する。
映画としては、「色」がよく研究されているという印象。テシューの黄色系のジャケット。そして、目線のLとらえ方が飲酒的な作品。
We Are the Champions.
『ビール・ストリートの恋人たち』米国映画 (2018)監督:バリージェンキンス
https://www.youtube.com/watch?v=c09MHPnAYwk この日本語版予告は著名な作家ジェームスボードウィンのナレータで始まっている。ジェンキンス監督はボードウィンの小説(1974)を基にして映画にした。多分、この映画を観ると、誰もがティシュとファニーの力強く純粋な愛に心を打たれるだろう。それに、ティシュの家族同士がポジティブで助け合って生き
ているという愛の形も印象的ではないだろうか。夢のような家族だ。
ここで気になったのが、日本語の題で、『ビールストリートの恋人たち』としてしまうと、If Beale Street Could Talkという米国作家ボードウィンやジェンキンスのつけた題の意味はどうなってしまうのだろう。ボードウインはビールストリートはメンフィスにあるが米国どこにでもあるような言い方をしている。この舞台はニューヨークのハーレム。この通りがもし話せたら?という意味はこの映画で、レイプの濡れ衣を着せられてしまったファニーを誰もが彼の無実を証言してくれない。もしこの通りが話せたら、一日中、全てを見ているから彼のために事実を証言してくれるのに。私はこのような意味だと思う。
ということは、公民権運動のあとで、法律での平等を勝ち取っても、こういう犯罪で無実の罪を背負い罪人として扱われる人(ここでは黒人)がまだまだいるよ。いつになったら社会正義をいつ勝ち取れるの? (賛否両論はあるでしょうが、あくまで私見)
この後、クイーンの『ボヘミアンラプソディ』を観たが『We are the champions』の歌詞の力強さ はまるでティシュとファニーのようだと思った。
好きな空気の漂う作品
キキ・レインの可愛いこと。この街にとってはほんのささやかな幸せ、困難、障害、興奮、悲哀がこの若いカップルにとっては人生の全て。キラキラしているものなんて一つもないけれど、人間の美しさを感じた。ムーンライトより好き。
Beautiful!
美しいね この監督の映画は
心の薬箱見たいな
現実という泥の中から宝石を見出だす人
なのかな
ムーンライトでは売人の男が常に慈悲的な存在だが 今回は ママ!が
もし、結婚を考えているけど 現実の状況に悩んでいるカップルにオススメかな
YELLOW MAGIC MOVIE
色彩設計を丁寧に施し、黄色という暖かみを感じる色を感じさせながら、しかし映し出すその理不尽で厳しい現実を否応なしに観客に突きつける作品である。ハイスピードカメラによるスローモーション撮影を効果的にシーンに織込む事や、衣装のファッショナブルさ、屋内外の空間構図等や色彩も含めてハイグレードな映像美を実体験できる高レベルな画力を、こんな素人の自分でも理解出来る。そして主演の二人の演技、特に表情の造りは舌を巻く程である。初体験時の男のあの困ったようなしかし慈愛に溢れる顔は、そもそもアフロアメリカンならではの豊かな顔立ちも相俟って、ボリュームのメモリの細かさを強く印象つける情緒たっぷりの繊細な組立てである。
原作は未読であり、テーマ性も沢山の人達のレビューがあるので今更それに感想を述べる必要はない。それよりも正に丁寧に丁寧をコーティングしたような作品造りに称賛を贈りたい。ロマンティックでメランコリー、そして残酷で過酷な理不尽を表現できる優秀さを見せつけられたとき、芸術という才能は常にチャンスをものにしているのだと改めて思い知らされる。
美しい作品だが
ポスター同様、美しくとても丁寧に創られた作品。
ではあるが、冗長でイマイチ盛り上がりに欠ける。
役者さんたちの演技は素晴らしいし、音楽も素敵で申し分無いのだが、ドラマティックな展開があるわけでもなく、どうにもかったるい。
ラストシーンで希望の光が見えるものの、それだけ。
決して悪くはないのだが、個人的にはどうにも不完全燃焼だ。
それにしても、肌の色が違うだけで、なんの罪もない青年が、1人の警官によって犯罪者にされてしまう、そんなあり得ない事が横行していた時代、黒人たちは白人の怒りを買わないよう、ただただ大人しく、ひたすら耐えるしかなかったとは、なんともやり切れない気持ちにさせられる。
悪くないけどまったりしていてちょっと展開遅い❗
星🌟🌟🌟 …アメリカの人種差別を主人公二人のラブストーリーに絡めて提起していて悪い作品ではないのですがストーリー展開が遅く部屋とスラム街の同じようなシーンが多くちょっと眠くなりました❗ただその中でお母さん役のレジーナ・キングが娘と義理の息子の為に活躍するシーンは凄く良くて目をみはるものが有りました❗やっぱりアカデミー賞助演女優賞獲っただけあって凄く上手い❗そんなに出演シーンはなかったのですが凄く印象に残りました❗ちなみに黒人が虐げられてるから盗みとか悪いことをしてもいいような考えは私は間違っていると思います❗映画のシーンでそこのところがちょっと違和感を感じたので…
現実の厳しさを忠実に捉えている
運命で結ばれた恋人たちの美しいラブストーリー。ハーレムで暮らす幼馴染二人を待ち構えていたのは冤罪という過酷な試練。今なお続く人種差別に対する抵抗を色濃く描き、現実の厳しさを忠実に捉えているストーリーが素晴らしい。
結末はどうしても強引に結論を出してしまいがちだが、流れに沿って無理なくフェードアウトしている点も好印象。派手さは無いが心に染みる作品であり新たな恋愛映画の金字塔に相応しい。
2019-59
邦題も予告も犯罪的に酷い
中途半端なんですよね、映画そのものが。凡ゆる点で。結局は「ビールストリートがモノ言わば、ファニーのアリバイを証言出来たのに」と言う意味が掛けられています。要は、冤罪問題。
テーマが「こんにち的」であるか?と言う観点からはブラック・クランズマンよりも、こちらの方が切実。いかんせん、脱線し過ぎで主題が柔らかくなってるのは惜しいと思いました。が、良い映画だとは思う。
キキ・レインが、とにかくキュート。バービースタイルが素敵です。オスカーを獲ったシャローナ・キングについては「漁夫の利感」は否めず。レイチェル・ワイズに行って欲しかったぁ、と思わずには居られません。
黒人公民権運動の旗手の作品
「二グロルネッサンス」と、アメリカ文学史上呼ばれる時期がある。1920年代のことで、黒人でも「歌ったり踊ったりするだけでなく、芝居も出来るし物も書ける」ことが白人社会に認識されるようになったことが、ルネッサンスだという、白人が白人のために作り出した極めて原始的な規定だ。しかし現実にそうした時期を経た後で、1940年代になって、やっと本格的な黒人作家、リチャード ライトや、ジェームス ボールドウィンが華々しく登場する。
Richard Wright リチャード ライト(1908-1960)は、小説「アメリカの息子」(Native Son)が新聞に掲載されてベストセラーとなり、一躍流行作家となるが、早くから黒人差別社会で知に目覚めた者として,キリストの受難ごとき、差別と苦渋に満ちた人生を送る。彼はミシシッピーの開拓地で,水車小屋で働くシングルマザーの子供として育ち、貧困から基礎教育を受けられず、読み書きの能力を自力で身に着け、黒人は入れない公立図書館の前で、親切な白人が自分のために借り出してくれる本をむさぼり読み、知識を自分のものにする。理由もなしに黒人が白人に嬲り殺されるような南部から、北部に出ることを夢みて、意を決してシカゴに移るが、そこでも「私の毎日は一つの長い静かな、たえず抑えられた恐怖と緊張と不安の夢の連続だった。」(ブラックボーイ)と、言わしめる差別にさらされた。
そこで彼は、全世界の労働者が肌の色に関わりなく団結できる、という呼びかけに魅せられて共産党に入党する。しかし自分がいかに黒人差別をテーマにした小説や論評を書いても、共産党は人種差別問題に関心を払わない。自分の課題とする人間の解放、自由と権利の獲得といったものは無視され続行け、ライトは共産党を去る。マルキストは社会を変革するが、人間を解放しない。ライトは、アメリカ社会に絶望してパリに移り、ボーヴォワールなど実存主義者などと交流しながら、「アウトサイダー」として生き、パリで52歳の若さで亡くなる。
何故リチャード ライトについて書いているかと言うと、彼の存在なしにジェームス ボールドウィンが作家としてこの世に出ることはなかったからだ。
James Baldwin ジェームス ボールドウィン(1924-1987)は、リチャード ライトの支援を受けて、作家として世に出たが,ライトより16歳若い。ゲイでもあった。ライトと同じように流行作家になり、やがて行き詰まりフランスに渡り、そこで亡くなった。
彼はニューヨークのハーレムで生まれ貧乏人の子沢山、9人兄弟の長男として家庭内暴力と街中でのポリスによる暴行を受けながら成長する。暴力にさらされても、筆で抵抗を試みて、13歳のころからエッセイや小説を書いて、学校が発行する雑誌や新聞に投稿した。公民権運動にも積極的に関わり、マルコムX,マルチンルーサー キング牧師や、ハリー べラフォンテ、シドニー ポアチエ、マイルス デビス、画家のビュフォード デラ二などと交流した。代表作は、「山に登りて告げよ」、「アメリカの息子ノート」、「ジョバンニの部屋」など。
ボールドウィンもライトも、全米に沸き上がり広がりつつある黒人の公民権運動に積極的に関わっていたが、1970年までに、FBIが調査したファイルが、ボールドウィンのは1884ページ、ライトは276ページ、トルーマン カポテが110ページ、ヘンリー ミラーがたった9ページだった、という興味深い数字もある。いつでも拘束して締め上げられるように準備しておくのがFBI長官エデイ フーバーの趣味だったんだな。
ところで、ここでやっとボールドウィン原作の映画の話になる。
前置きが異常に長くなったのは、映画の看板に、「ボールドウィン原作のロマンテイックドラマ」と説明してあったので、え、、待てよ、ボールドウィンってそんなに有名で誰でも知っている作家だったっけ、と疑問に思ったからだ。特に1960年代の公民権運動に関心のある人でないと、増してアメリカ以外の国の人だと、そんなに知られていない作家なのではないだろうか。それにロマンテイックドラマなど書いていない。血を吐き出すように、自分が体験してきた黒人差別の痛みと疼きを表現してきた作家だ。映画の「ロマンチックドラマです」という宣伝だけ見ると、ボールドウィンって、ロマンス物ばっかり書いているハーレクインシリーズの作家か、と間違われるかもしれない。別にそれでもいいけど。
ストーリーは
1970年代ニューヨーク
デパートの売り子をしている19歳のテシュと、22歳の大工フォニーは、父親同士が仲が良かったので、子供の時からいつも一緒に遊んで育って来た。テシュが美しい女性に成長し、フォニーが真面目な働き手として独立するころには、二人が恋人同士になるのは、ごく自然な成り行きだった。二人は一緒に暮らすためにアパートを探す。70年代のニューヨークで黒人カップルに、快くアパートを貸してくれる大家は余りなかったが、ユダヤ人の大家は二人の初々しい姿を見てアパートを貸すことにする。
ある夜、白人の経営する食品店でいつものように買い物していたテシュは、白人の若者にしつこい嫌がらせを受ける。怒ったフォニーは、この男を店からたたき出す。それを見たパトロール中に警官ベルは、白人青年に暴力をふるった黒人フォ二ーを逮捕しようとする。そこをテシュとフォニーを子供の時から知っている店主が出て来て、二人は真面目なトラブルなど起こしたことのない子供達だ、と間に入ってその場を収める。しかし、これを根に持った警官ベルは、フォニーに執拗に付きまとうようになる。
じきにフォニーは、ビクトリアという娘をレイプした容疑で逮捕される。被害女性は暗がりで連れ去られたので加害者を見ていない。しかし警察署でこの男だ、と言われて信じて、その通りの供述をした。その時間フォニーはテシュと他の友達と食事をしていたが、事実よりも、現場でフォニーを見たという警官の証言が、採用された。テシュは妊娠していたので、意を決してテシュは両親と姉に告げる。家族はテシュを祝福する。
その後、被害者の女性はプエルトリコに帰国してしまい、裁判は無期限に延期され、フォニーの拘留は長引くことになった。テシュの母親シャロンは、希望を失いそうになる娘とフォニーのために、お金を集めてプエルトリコに飛び、被害女性に会って裁判で証言するように頼み込むが、拒否される。被害者不在のまま裁判は長引き、フォニーは出所できる予定が立たない。裁判で刑期が言い渡されないまま、何年も あるいは死ぬまで刑務所に不法に入所させられている黒人が沢山いた。そういう時代だった。
テシュには元気な男の子が生まれる。以前はテシュ一人で刑務所に面会に通ったが、いまは二人して通う。刑務所の面会室で、自動販売機で買ったサンドイッチを、いまは親子3人で手をつなぎ合ってお祈りをしてから、分け合って食べる。つかの間の家族の小さな幸せの時間が過ぎていく。
というお話。
派手なカーチェイスもなければ、激しいい殴り合いや、喧々囂々の争いの場面もない。激しく笑いこけたり、泣きじゃくったり、怒鳴り合ったりすることもない。
人種差別が当たり前の社会で、意味もなく黒人の若い女が嫌がらせをされ、理由もなく黒人の青年が、白人にヘビのような目で地獄に落とされる、白人中心のいびつな社会だ。そんな中で人々が懸命に生きようとしている。大声を出すことをせず、静かな怒りを胸に秘めて、黙々と耐えて生きている。
映像の光と影の使い方が秀逸だ。色彩が鮮やかで、美しい。
この監督バリー ジェンキンスは、2016年アカデミー賞で作品賞を獲った「ムーンライト」を作った監督だ。これは作品賞だけでなく、助演男優賞にマハシャラ アリが、助演女優賞にナオミ ハリスが獲得した。「ムーンライト」も映像が美しく、海岸のシーンや光の中の木々や風に揺れる花々などの映像美に魅せられた。登場人物の顔の大写しもこの監督の得意技のようだ。役者の心の動きを、表情の変化で上手に捉えている。
「ムーンライト」も、この映画もストーリーはあまり重要ではない。前者は少年の成長がただ淡々と描かれており、とくに筋といったものはないし、この映画も劇的なストーリーなどはなく、ただ幸せなカップルの顔の大写しと、刑務所で面会する二人の心の動きが描かれる。とても抒情的な映画だ。
ドラマチックなストーリー展開が好きな現代っ子だったら2時間余りの映画に、みごとに寝てしまうだろうが、私は好きだ。
作曲家ニコラス ブリテルの音楽が とても心地良い。ジャズとブルースが、静かに嘆きの歌を奏でている。
何でもない恋人たちに襲いかかるもの
ちょっと前の時代設定で描かれてますが
今の時代にも有りそうな人種差別のお話。
何でもない恋人たちの幸せな未来を
容赦無く叩き壊して行くのは人種差別と偏見。
何でもない恋人たちの可愛らしいラブストーリーが続くので
ちょっとダレる感じもありますが
ラブストーリーが普通で可愛ければ可愛いほど、
起こってしまった出来事の残酷さが観てる方にも
より苦しく迫ってくる。
ああ、なんでこんな普通の二人に神様は意地悪するんだろう。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
個々の役者さんの演技は文句なく良くできてます。
主演の二人の瑞々しさからの、
段々と刑務所の中と外で疲弊してゆく様が観ていて辛い。
そこは何もいう事なし。
冤罪ものっていうジャンルは時々有りますが
単なる人種差別による冤罪って、
一番許しがたいというか醜いと思う。
警察官に声をかけられただけで異常に緊張する黒人描写は
現代も、どの映画にも沢山出て来ます。
今も黒人というだけで、そこらの街角で犯人扱いされて
警官によって射殺される黒人の数が増え続けているとか〜
その理不尽さがあまりに悲しい。
自分自身の胸に手を当ててみると
私個人としては今、身の回りに外国人がそれ程多くないけど
今後外国人が増えて来たら、
偏見を持たずにちゃんとお付き合いできるだろうか?
偏見や差別の理不尽さを、島国育ちの日本人こそ
ちゃんと直視するべきだと思うのですよ。
@もう一度観るなら?
「ネット配信とかでじっくり観るのにお勧め」
眩く美しい詩情と人種差別への憤りの対比
冒頭でティッシュとファニーが手をつないで公園の階段を降りてくる。
カメラが斜め上から2人を捉えはじめ、2人を中心にカメラは回転、頭上から見下ろし、やがて背中を捉える。
このシーンでわたしの心はぎゅぎゅっと掴まれました。
切なくて美しくてささやかな目には見えない何かが、画面に見えた気がして、一気に引き込まれました。
あぁ、見に来てよかったと思いました。
その後夢中で見ました。
この作品について、苦手との声も聞こえてきます。
眠い、なに言ってんのかわかんない、シーンが冗長etc
そっか、わたしにはどストライクでしたし、そこがいいんじゃんよって思いますが、好みはいろいろです。
ジェイムズボールドウィンを読んだことはないけど、彼を材にしたドキュメンタリー映画『わたしはあなたのニグロではない』を見てます。その時の印象は、ボールドウィンは怒れるペシミストやなってことでした。わたしも自称怒れるペシミストなので、シンパシーを感じました、勝手に。
ですからボールドウィンなのできっとファニーが釈放されるとかってゆう、観客が喜ぶ筋は絶対ないと思ってました。ええ、その通りです。
めちゃ悲劇で終わるわけでもないけども、始まりから終わりまで、いわれのない罪をなすりつけられたまま、ファニーは生きている。囚われたままで。
そんな結末にげっそりする気持ちもわかります。
が、無実で誠実な若者が、濃い色の肌をしていたというその事だけで卑怯な罠にはめられる、そんな(アメリカ)社会を批判している作品なんで、観客は気持ちよくなってはいけないんだと思います。気持ちよくさせては作った甲斐がないんです。特にボールドウィンが怒ると思う。
『ムーンライト』でも映像が雄弁で、登場人物の瞳から感情が見えて、光も印象的でした。そういった作家性がより強く感じられ、バリージェンキンスは今後の作品を必ずチェックする監督リストに入りました。
彼の作る映像は見ていると切なくなります。併せて悲しみと怒りも甘さと共にあるというか。
常に鼻の奥がツンとして、目が潤むような気がするんですよね。
作家の山田詠美が好きなんですが、彼女の文章と似た印象があります。彼女の描くアメリカの恋人たちとファニーとティッシュは重なりました。
ファニーのお母さん、なかなかの曲者でした。ティッシュのお母さんとの対比が辛かった。
ファニーのお母さんも、ああなりたかったわけではないんじゃないかな。
ティッシュのお母さんはたしかによかったし、プエリトルコでのシーンはどれもよかったけど、オスカーとるには影薄い気がしました。
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