劇場公開日 2019年3月1日

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天国でまた会おう : 映画評論・批評

2019年2月26日更新

2019年3月1日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー

戦争への怒りを代弁するアウトローとして、死んだはずの主人公は確かに存在する

ピエール・ルメートルが描く復讐者は、哀しい。心に癒しがたい傷を負っている。「その女アレックス」のアレックスも、「死のドレスを花婿に」のソフィーも、「天国でまた会おう」のエドゥアールも。とくに戦場の爆撃で顔の下半分を失ったエドゥアールの場合は、肉体に受けた傷も深い。絶望の中で戦死を偽装し、自身の存在をこの世から消し去る道を選ぶエドゥアール。原作を読んだときは、切なすぎる設定に、終始うつうつとした気分にさせられたものだ。

ところが、この映画版は、ほぼ同じ筋書なのに味わいが違う。要因は、アーティスティックにビジュアル化された仮面だ。戦後の隠遁生活の中で仮面作りに美術の才能を発揮する道を見出したエドゥアール(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)は、独創的な自作の仮面をとっかえひっかえまとうことで、戦争で顔を失った傷病兵でもなく、父親に疎まれた息子でもなく、想像力の翼を広げた自由な自分を手に入れる。その解放感が、切なすぎる設定に一抹の救いの光を投げかける。

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もうひとつ、原作と印象が異なるのは「戦争」というモチーフの重みだ。パーティを開いたエドゥアールがグラン・ギニョール風の余興で戦争の責任者たちを糾弾する場面は映画のオリジナルだが、これを通じて、アルベール・デュポンテル監督は戦争の欺瞞を強調する。戦争によって栄光や富を手にする者がいるいっぽうで、兵士たちは泣き寝入りを強いられる。戦死者はサイズの合わない棺に押し込められ、帰還兵は失業にあえぎ、傷病兵はモルヒネに身も心も蝕まれていく。そんな社会に対するふつふつとした怒りを代弁するアウトローとして、戸籍上死んだはずのエドゥアールは確かに存在するのだ。

戦場でエドゥアールに命を救われた代わりに彼の守護天使になる責務を負ったアルベール(監督のデュポンテル)の、おかしみのあるキャラも絶品だ。彼とエドゥアール、そしてエドゥアールの心の声を通訳する少女ルイーズが繰り広げる快テンポの会話シーンは、バディムービーの楽しさに満ちている。

矢崎由紀子

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