劇場公開日 2018年11月9日

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「起承転結があるようなないようなことが、評価しにくい理由となる。 趣...」生きてるだけで、愛。 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5起承転結があるようなないようなことが、評価しにくい理由となる。 趣...

2024年4月24日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

起承転結があるようなないようなことが、評価しにくい理由となる。
趣里ちゃん演じるヤスコという女性がうつ病で、同棲する菅田将暉くん演じるツナギとの妙な関係を描いている。
最大のテーマを示す言葉がヤスコが言った「いいなあ、ツナギは私と別れられて。私は私と別れられないんだ」というセリフ。
こんな自分自身が大嫌い。「どうして生きているだけで、こんなに疲れるのかな」
この作品はうつの人が体験しなければ書けないだろう。
でも、ツナギの言ったセリフ「あの日、走る気味の青いスカートが綺麗で、それをまた見たかったのかもしれない」 ここに多少引っ掛かりを感じた。作為的だ。核の部分が作為的だ。
どういうわけか、アンドウがあの屋上にやってくる。二人の会話。
アンドウは何を感じたのだろうか? 「嫌われて別れたわけじゃない」けど、二人の間にはもう入り込む隙間などないことを理解したはずなのに、「登場」した理由は何だったのだろうか?
ツナギの生活も普通ではない。毎食コンビニ弁当で、したくない仕事を押し付けられて、やがてヤスコの話も聞きたくないほど病むのだ。
病んだ者同士が通わすことのできる心を描いたのだろうか?
ヤスコは限界がきて走った。服を脱ぎ全裸になったことが、自分を出し切った表現なのだろうか?
くだらない仕事など辞めても、実際は大したことなどないのだろう。笑い飛ばしていい。
この作品はうつ病のヤスコの視点で世界を見ている。
しかし彼女とツナギが本心を言ったことだけで、何一つ解決していない。
それとも、最後のダンスのように、ありのままの自分を見せたことで、彼女の中の何かの恐れが消えたのだろうか? おそらく生まれて初めてありのままの自分をさらけ出すことができたのだろう。大きな変化が起きたのだ。
純文学。
重くて形容しずらいなかに、なぜか救いの光が見えるのだ。

R41