ギフト 僕がきみに残せるもののレビュー・感想・評価
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根底にはアメリカ人のポジティブシンキングが。
元アメリカン・フットボールの花形選手が、突如難病のALSを発症し、医師から短い余命を告げられた時、どうしたか?彼はひたすらリミットが来るのを弱りゆく体を以て待つのではなく、やがて生まれてくる息子のために、父親としての証をビデオダイアリーに残そうと思い立った。実在するトップアスリートの行動は、やがて、メディアを取り込み、全世界のALS患者を救済するための社会的活動へと広まっていく。このドキュメンタリーの優れた点は、そのために犠牲になる家族の時間や、さらに、難病を発症したことで主人公と彼の父親の間に介在していた深い溝が埋まる瞬間等、普通はカメラを止めるデリケートな領域にも踏み込んで行く徹底した開示主義にある。主人公と彼を取り巻く人々の、不安を行動で凌駕していく、我々日本人から見るとある種病的なポジティブシンキングも含めて、アメリカの底力を痛感せざるを得ない1作だ。
どんな人も苦難に直面する
22歳薬学生が1人鑑賞した感想です!
『どんなに金持ちでも貧しくても、苦難に直面する。勇気を出してくれ。いつか出会う困難に備えよう。』
主人公の生き方を観て学んだことは、
・前進して限界に挑むこと(何でも挑戦する)
・周囲の評価に執着しないこと
・お互いが介護できるくらいの関係をつくる
・家族や友人がいれば逆境にあっても大丈夫。
・人生は山あり谷あり。
・大切なのは、辛い時も愛し合うこと
・諦めないこと
・最善を尽くすこと
・長所を生かすこと
・辛い境遇にばかり目を向けないこと
・永遠に不変なモノを探す
・毎日ワクワクする
・できるうちにたくさん自分の姿を撮影する
どう最期を迎えるか?
どうやって自分の全てを大切な人に伝えるか?
考えようと思います。
人間誰しもいつかは死ぬのだから、このようなドキュメンタリー映画を観ることによって、どのような最期の迎え方をしたいか?と、自分自身のことのように考えることができる良い機会だと思います。
ぜひ、他人事ではなく、自分や家族がもし主人公だとしたら?と考えてみてください。
きっと、今私たちにできることが見えてくると思います。
子供のためにALS宣告された元NFLスター選手のエモーショナルなドキュメンタリー映画
難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告された元アメリカン・フットボール選手の実話。
生まれてくる息子を想い、自らの姿をビデオダイアリーとして残そうとありのままを撮影するポジティブな姿勢に敬服する。
彼の行いは世論を動かし、「スティーブ・グリーソン法」(コミュニケーションに障害を持つ人に必要な音声合成機器の保険適用を保護する)を成立させた。この事実だけでも、彼の偉業はNFL時代の歴史に残るバントブロックを超えると思う。
このドキュメンタリー映画は決してお涙頂戴の難病映画ではない。
多くの人に”どんな困難な状況に陥っても、前を向いて生きていこう”という強いメッセージを伝える映画である。
<2018年1月5日 旅先のミニシアターで鑑賞>
彼をなににもまして尊敬している
アメフトのドキュメンタリー。
ありがちに本人のインタビューを含め周りのひとたちの彼の印象や記憶をつないでゆく。たぶん、他の作家が映像を録り編集している。
ぼくはアメフトよりラグビーのほうがすきだ。
それでも、アメフトの「アンディフィーテッド」はすごく好きで何度繰り返し観ている。高校のクラブの話だけど、彼の映画には物語の迫真性の挫折と希望がある。成功は、才能だけで手に入れることができない。
困難な病気(ALS)をもった彼の生き方はすばらしく勇気が与えられる。
ぼくの友人も先天的な病気が発症して時間をかけて目が見えなくなっている。押しつぶれそうな恐怖だと思うのに、彼はぼくの前でいつも笑っている。
結局、「なにかを変えられるわけじゃない」、「リセットができたいいと思ったこともある」、でも「現実を受け入ければ、ちがった生き方も見えてくる」と笑う。絶頂期には大きな会社を経営し、何十人もの従業員をかかえ、銀行の借金を抱え、それでいて前を見ていた。
今は、生きていればいつか新しい治療方法や薬が発見されるかもしれないし、自動運転でどこへでもいけるようになる、そういって彼はまた笑うのだ。
最後に、いつも彼は付け加える。ぼくの人生は他のひつより大きな波があって「山あり谷あり」なんだ。でも、最後は「大きな成功をする」そう言う。すでに白内障の周辺視みたいな見え方がやっとないのに。
ぼくは、彼を誰よりもまして尊敬している。
愛と強さ
スティーブ、なんて素敵な父親なんだろう。彼の人生とありったけの愛が詰まったビデオレターは、何年先もリバースを守り続けるだろう。
息子リバースが0歳から1歳になるまでの1年間、赤ん坊というのはかなりの速さで成長するものだが、それ以上の速さで衰えていく父の姿が生々しくありのまま記録されている。徐々に声が出なくなり、身体が自由に動かせなくなる。意識が明晰なままに、目に見えて死期が迫ってくる体験は想像を絶する恐怖だろう。ましてやかつてヒーローと呼ばれ人々から尊敬された最強のアメフト選手だ。プライドが傷つかないわけがない。
それでもおそらく見ることのできないであろう先の未来に思いを馳せ、夢を語るスティーブの笑顔は、この世の何よりも優しく温かいものだった。
いちばん心に残ったのは、「きみ(リバース)はいつの日か、僕と違う考えを持つだろう。その日が心から楽しみだ」という言葉。
これはスティーブと父との印象的なシーン、「信仰を押し付けないで、僕の精神は救われている!」という部分と通じるところがある。
スティーブは、異なる考えをもつことにより生まれる食い違いを、愛によって乗り越えようとしている。
誰かと心の底からすべてをわかりあうなんてできないけど、絶望して心を閉ざしたり相手を攻撃したりするのではなく、その違いを許すこと。スティーブが教えてくれた幸せへの道筋だ。
また、スティーブと共に戦った妻ミシェルとヘルパーを始めとする周囲の人々の人間性にも心を打たれた。ミシェルの明るさと強さは「希望」そのもの。
「お金があるから、病気になっても生き方を選べるんだ」と言う人もいるかもしれない。「延命は最善の選択ではなかった」なんて言う人ももしかしたら、もしかしたらいるかもしれない。
だけど、幸せの形について他人がとやかく言う資格はないのだ。
誰がなんと言おうと、これがヒーローの生き様。
人生の記録
「これは映画ではなく人生の記録」主人公の言葉が深く印象に残りました。もし自分が不治の病を宣告されたら同じようなことは出来ないと思うし早々と白旗を挙げます。生きる意味を考えさせられる素晴らしい作品なので是非皆に観て欲しい。この記録と出会えたことに感謝します。
そして、自分も何か人生の記録を残したい。
2017-142
命が選別されている事実を知る
当初この映画を観る気はなかったが、たまたま観る時間の余裕があり、ドキュメンタリー映画ということもあり観ることにした。
けっこう泣いた。
まず観始めてすぐに感じたのが、これから生まれてくる子どもに残すために父親となるグリーソンがビデオを回し始め、それが膨大な量となったものを編集しているせいか、ドキュメンタリー映画が時折持つ狙ったいやらしさが全くないことだ。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に犯された有名人といえばホーキング博士が思いつくし、実際に本作の冒頭にも代表する有名人として登場する。
グリーソンが父のマイクと信仰において涙ながらに対立するところなど思わず泣いてしまうシーンがいくつもある。
彼ら家族の直面する苦難や葛藤を思うとさぞかし辛いだろうと感じた。
ただ同時に映画を観進めていくうちにいずれは呼吸できなくなり間違いなく死を迎える病気であるなら本作の結末はどうなるのか考え出した。
グリーソンが死ぬことで終わるのか?
答えはほどなくしてわかった。人工呼吸器で彼は延命し、現在も元気であるという。
彼はALS患者のためのNGOを立ち上げて患者たちのシンボルのような存在となり、社会的な活動もし、「スティーヴ・グリーソン法」というALS治療のための法律を可決させる原動力にもなっている。
ALSの世界で必要な人材であるし、彼が生きられることは家族にとっても喜ばしいことである。
しかし、筆者はなぜか釈然としないものを感じてしまった。
人工呼吸器の導入と維持は相当高額であり24時間介護も必要であるため、95%の人間があきらめるという事実を知る。
国民皆保険がなく医療費が高額なアメリカではそうなってしまうということらしい。
日本でも患者の3割ほどが人工呼吸器を付けて生活し、長ければ30年ほど生きられるようだ。
ただそれでも7割はあきらめている。
では東南アジアでは?アフリカでは?
高度な医療サービスを受けられる先進国に生まれているか、周囲に介護してくれる人間がいるか、そして最終的にはそれら全てをクリアできるくらいお金を持っているかが重要になっている。
助かる命は確実に選別されている。
その事実を突きつけられた瞬間筆者はもはや泣けなくなってしまった。
それほど重い事実だ。
このような難病を扱ったドキュメンタリー映画でも結局は持つ者と持たざる者という社会の縮図を見せられることに戦慄を覚えた。
我々健常者は本作を観ても極論してしまえば他人事としてその場限りで感動しておしまいだが、同じALS患者やその家族はこの映画をどのように観るのだろうか?
グリーソン一家のポジティブな面には希望を見い出しはするだろう。しかし同時に金銭的な問題も突き付けられる。
特に今はまだ動けるALS患者やその周囲に本作はどのように映るのだろうか?
ALSもいずれは原因が解明されて遺伝子治療などが発達して根絶される病になるかもしれない。
ただそれもまずは先進国から進んでいくだろうから発展途上国は後回しだろう。
本作は、健常者で大病を抱えていない筆者であっても医療制度の整った先進国に生まれたことを感謝せずにはいられない映画であった。
余談になるが、後ほど調べてみたところホーキング博士は奇跡的に進行が急激に緩やかになったために75歳の今も元気でいるようだ。
なお本作は文部科学省特別選定作品に指定されているが、一般悲劇映画に分類されている。
お役所はなんともセンスがない。
まるで映画
まず、意志の強さに完敗、
そして、現実、経済的に彼は恵まれてるのだろうと言う事。もちろんスーパーボールの花形選手だった訳で自分で培った地位な訳で。
あまりに過酷で感動より消耗した、そこまで自分は生きて行けるだろうか、「もういい、楽になりたい」と願うだろう。作り物の映画なら安らかに逝ったで終わり、でも今も彼の戦いは続いているのだ。
子供が育ち父をどう感じるのだろう。
いい話だけど睡魔が…
ドキュメンタリー映画。
もちろん実在の話だし、かなり緊張感のあるないようのはずなのに、自分には合いませんでした。。
睡魔に何度も襲われました。
ただ日常をリアルに撮影してるので、中々見えない障害者の生活がそのまんま出ていたのではないでしょうか。
社会的にはすごく意味のある映画だと思います。
乙武
障害は不便だが不幸ではないと誰かが言っていましたが、僕たちにとってそんなセリフを素直に受け入れるのは非常に困難だなと改めて思いました。
でも人間誰だって大なり小なり不幸なことはあるし、彼らにとってALSという病気は、僕たちが仕事や人間関係で悩んでいることと変わらないくらいのハードルとして捉えられる精神力があるのだろうなと感じました。
この映画をみて「自分は恵まれている方だ」と感じることが作り手側にとって正解なのかはわからないけど、日々に感謝をし、1日を大切に生きなければ、とそんな気持ちを次の月曜くらいまでは持てそうです。
個人的にはこの映画は病気云々は抜きにしても、父親としての在り方というメッセージに於いてかなり価値のある映画だと思います。
父親必見の映画です。
僕は独身でもちろん子どももいませんが。。
85
夫婦愛、親子愛、友情、、慈善、偽善、攻撃的、我儘、政治、行政、 見たくないもの、汚いもの、あきれること、感心してしまうこと、 人間のあらゆる長所短所を垣間見ることになる。
Movix堺で映画「ギフト僕がきみに残せるもの」
(Gleason)を見た。
難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告された元アメリカン・フットボール選手・グリーソンが、生まれる息子のために撮影したビデオをもとに作られたドキュメンタリー。
グリーソン自身や家族や友人が撮影した4年間の記録である。
ALSは著名人ではホーキング博士、メジャーリーガーのルー・ゲーリッグ、日本ではプロ野球の土橋正幸さんが挙げられる。
日本では三重県・和歌山県の南部(紀南地方)に多く発症する事が報告されている。1997年の調査では依然として多発地域とされている。
海外ではグアム(チャモロ人)が多発地域である。
三重県や和歌山県の場合と異なり徐々に減少傾向にあるらしい。
米国では評判のいい映画なので見てみようと思った。
実際に見てみると、これはたいへんな病気である。
夫婦愛、親子愛、友情、、慈善、偽善、攻撃的、我儘、政治、行政、
見たくないもの、汚いもの、あきれること、感心してしまうこと、
人間のあらゆる長所短所を垣間見ることになる。
自分で呼吸も出来ない、排泄も出来ない、24時間完全介護が必要など、ただ生きていることさえイヤになってしまう、死ぬよりも辛いことがあるなど、
気軽に見るにはオススメできない内容が111分間続くこととなる。
映画レビューを見ると、感動した、素晴らしいなどのことばも並んでいるのだが、自分はとても素晴らしい、感動したなどとは言えないし、思えなかった。
自分がこの病気を患ってしまったらどうなのか想像してみるとただただ恐怖で、それ以上のことは何も考えられなかった。
気軽に見る映画ではない。
上映時間は111分。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
闘病生活とお金について考えさせられた。
重く苦しい気持ちを引きずっています。
突然の事故死などと比べて、余命がわかるということは、余生を計算しながら整えることができて、(とっても不謹慎ですが)ある部分ではいい方なのではないかと考えていたところがありました。
しかし、全然そうではないことがわかりました。
恐怖を抱えて生き続けなければならないんですね。
そこは、私の想像をはるかに超えた部分でした。
付きっ切りで介護する奥様が、画面の中でどんどん疲弊していく。
旦那様の容態が、みるみる悪くなっていく。
子どもの成長とは対照的に、明暗がくっきり分かれていました。
どうかその濃度が、これから少しでも薄まっていきますようにと願いました。
医療技術がすごい。
しかし、お金がない罹患者の場合はどうなるのだろうという疑問をずっと抱きながら、映画を見ていました。
きっとこの家族は、まだ随分いい方に違いない。
もっともっと弱い立場の人たちが救われるには?
それにはやはり、こうやって映画等で発信して、広くたくさんの人たちに知ってもらうことが第一歩だと思いました。
アイスバケツチャレンジが、はるか遠い記憶になってしまっていました。
ああいうのはブームで終わってはいけない。
もう一度、闘病生活をしている家族を支えられるように、一人でも多くの方に、この映画を見て欲しいと思いました。
確固たる目標を見定め生きる夫婦の凛々しさ
数年前にSNS上でブームとなった「アイス・バケツ・チャレンジ」は、この映画のスティーヴ・グリーソンを襲った難病ALSの研究を支援するための資金を集めるために行われたものだった。残念ながら、当の「チャレンジ」自体は、ただ氷水をかぶってSNSでいいね!を押されたい人が本来の趣旨も知らずにやりだして広まった感が強く、実際にSNSでアイス・バケツをかぶった人の中にさえ、未だALSを分かっていない人もいたのではないだろうか。この映画は、スティーヴ・グリーソンしかり、妻のミシェルしかり、常に「ALSの治療法が開発されてほしい」「研究がもっと進んでほしい」と繰り返し口にしていたのが印象的だ。つまりこの映画は、難病に侵された人間を感動的に見せようというような無粋な映画とは違い、彼らがもっとも伝えたい「ALSの認知を広め、研究を促進する」ということを最も重要な趣旨として掲げ、それを伝えるための一つの手段として存在しているものだという風に感じた。
映画の宣伝は(日本だけ?)、難病を患った元アメフト選手が、自身の闘病と並行して生まれいずる我が子へビデオレターを残すという、なんだかマイケル・キートンとニコール・キッドマンが出演した映画「マイ・ライフ」を思わせるような感動的なドキュメンタリーであることを強調していた様子が窺えたのだが実際は少し趣が違うように思えた。確かに彼は息子のためにビデオレターを残し、自分が存在した意味、息子へ伝えたいあらゆるすべてを残そうとする姿が映されもするが、しかし私はこの映画を観ていて、私は涙など流すということはなかった。しかしそれはとても前向きな理由だ。何故なら、そもそも作り手側に観客を泣かせる意図がまったくないということが伝わったからだ。彼らの意図はALSを世間に広め、理解されること。そのために、病気の進行状況を直視させるようなシーンを撮ることも許し、多額の治療費のかかる延命治療を選択する過酷さを包みなく見せた。私はひたすら、この病を戦うために、今何が必要かについて考えさせられた。そしてそれがこの映画のテーマだろうとも感じていた。
何にせよ、目標を持って生きるということがどんなに素晴らしいかということを私はこの映画に感じた。難病を患い、恐らくは打ちひしがれたり落ち込んだり誰かを責めたり自分を責めたりするような時間もあっただろうとは思いつつも、この映画の中に映し出される夫婦の姿は、明確に目標を見定めてそれに向かって生きる様子そのものだった。そのために対立したり疲弊したりもしていたけれど、我が子にメッセージを残し、思いを伝えるのだという目標と、夫の看病と育児をしっかりと両立させるのだという目標と、ALSを世間に理解してもらい、またその研究が進みあらたな治療法が発券されるよう活動するという目標など、それぞれに明確な目標があり、それを実現させるためにできることを常に全力でやっているように見えた。私はその姿に、日々漫然と過ごしている自分の生活を見直すきっかけをもらったし、その御礼としてALSに関して私にできることを少しでもやってみたいという気持ちに自然とさせられた。
感動
アメリカン・フットボールの最高峰、NFL。ニューオーリンズ・セインツのスティーヴ・グリーソンは特別なヒーローだった。ハリケーン“カトリーナ”に襲われたニューオーリンズの災害後初の、市民が待ちに待ったホームゲームでチームを劇的な勝利に導いたからだ。
それから5年後。すでに選手生活を終えていたグリーソンは、病院で信じられない宣告を受ける。「あなたはALS(筋萎縮性側索硬化症)です」。そして、同じ頃、妻ミシェルの妊娠がわかった。初めて授かった子供。だが自分は、生きている間に、我が子に会うことができるのだろうか。生まれ来る子のために、自分は何が残せるのだろうか。グリーソンは決めた。まだ見ぬ子どもに贈るために、毎日、ビデオダイアリーを撮り続けると。本作は、グリーソン自らが撮影した映像と、彼の旧友で介護者ともなったが2人の撮影者がグリーソン一家とともに暮らしながら撮影した映像からなる、パーソナルなビデオダイアリーから生まれた。グリーソンは彼が経験する旅、イベントから火をおこす方法、デートの仕方、残せるものをすべて、父親として我が子に残したかった。同時に彼は自身の父親とのぎくしゃくした関係についても修復しようとした。 この映画はいわゆる「難病ドキュメンタリー」ではない。誰もが共感できる父と子の物語、そして家族の物語である。そのパーソナルな映像は、前向きに病気に立ち向かう姿だけではなく、刻々と変化する病状に対する不安もあれば、看護に疲れた妻とのケンカもあり、生きることに絶望する日もある。しかし、きれいごとではなく、ありのままを見せ、ユーモアを忘れずに日々を乗り越えていく彼らの姿は何よりも大きな感動を観客にもたらすのだ。映画は、スティーヴと妻ミシェルが設立した非営利団体チーム・グリーソンの重要メンバーである元チームメイトのスコット・フジタやキミ・カルプらのアイデアにより、ビデオダイアリーから映画への道を歩み始めた。監督は『プリント・ザ・レジェンド』(2014/日本未公開)や『ファインダーズ・キーパーズ(原題)』(2015/日本未公開)などの秀作ドキュメンタリーで知られ、編集・音楽まで手がけて多彩な才能を見せるクレイ・トゥイール。グリーソンから渡された1500時間のビデオダイアリーから、ドキュメンタリー映画の傑作を誕生させた。プレミア上映となったサンダンス映画祭には、グリーソンと家族も登壇。嵐のような賞賛を浴びた。以来、全米で30近い賞を受賞&ノミネート、全米映画批評No.1サイト「ロッテントマト」で驚異的な97%というハイスコアを記録している。 病と闘うグリーソンを支援するミュージシャン、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)が楽曲を提供するだけでなく出演もしているのも見どころである。
奥様がすごい。
実話でまだ生きてられるASLの方の話だけど花形選手だったからこそポジティブにいろいろ考えられることもあるんだろうな…だからこれをみて一般の患者の方に照らし合わせるのは難しいと思うけど本人の生きようとする気持ちはすごい。奥様はじめ周りの家族も協力していく姿もすごい。何もかもなくしても生きようとする力、すごいです。
素晴らしい作品でした
もし私が病気だと診断されてその先を自分で選ばせてもらえるのなら、命を終わらせる選択をすると思います。家族に迷惑をかけたくないしお金もかかるし、周りにみっともない姿を見せたくないからです。
主人公の彼は病気から逃げずに最後まで闘うと決めました。「白旗をあげない」。
側で介護と子育てを両立している奥さんが本当に素晴らしいです。息子くんも愛らしくてめちゃくちゃ可愛い。
文字通り「家族で助け合って」なんだけど、すべてが美しいだけじゃなくて、苦しくてどうしようもならなくて傷付いて傷付けて…しんどい部分が多々ある内容でした。こっちも何となくだけど気持ちがわかる、登場人物全員に感情移入出来るからだと思います。
久しぶりに映画館で感動して涙が溢れて止まらなかったです。
頭の中を色々な感情が駆け巡りました。
ただただ、圧倒される
人が困難に陥ったとき、どうして自分がこんな目に会うんだ!って、だれしも思うんだろう。
その、こんな目にっていうのは、人間関係だったり、お金だったり、病気だったりいろいろなんだけど。
病気はとくに、死が目の前にあるから、納得するのは難しいのだと思う。
その降ってわいた困難を、どう乗り越えるのか。生きているって、そこを試されるのではないかと。
その困難を一つ一つ超えてきた、彼と彼の家族に感動!
簡単なことじゃない。
ても、できないことじゃない。
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