太陽の蓋のレビュー・感想・評価
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数百名の職員を命の危険に晒す判断。撤退を断固拒否した菅総理の決断は重たい。
東北大震災の折に発生した福島第一原発事故の経緯を、官邸サイド目線でドキュメンタリータッチで描く物語。 菅総理大臣戦犯論が一般的な認識の中で、官邸で起きた事象を(一見して)正確に描くことで、実際に何が起きたのかを描き、何が問題だったのかを提起した作品です。 「踊る大捜査線」の青島刑事の言葉ではありませんが、「事件は現場で起きている」。だから、現場優先で動く・・・それはとても正しいこと。 でも、最後の責任を負うのは総理大臣。総理大臣に正しい情報を迅速に上げ、正しい判断が出来るようにすることは絶対的に必要なこと。それが出来ていないのであれば、それは東電サイドが責められるべきです。 もし、自民党政権なら、東電側もそのような体勢を構築したのかもしれない。その意味では、民主党政権の力不足なのだとは思いますが、敗戦以来の国難に対処する当事者がそんな理由で情報を途絶させて言い訳がない。 首相が東電本社に乗り込んだシーンは、東電に対する憤りで手が震える思いでした。 ただ、この映画が公平な視点で描かれているとは限りません。東電本社サイドから見たら、また別の見方も出てくるのでしょう。折角「官邸」と「現場」の視点が描かれているので、東電本社の視点からも描けていれば、もっと問題点を焙り出せたかも知れません。 それにしても、日本を滅ぼしかねない危険性を秘めた原発が、民間企業に委ねられていることの不条理をつくづく感じさせる映画でした。 私的評価は4.5にしました。
11年目の"3月11日"に本作を観る。
Amazon Prime Videoで鑑賞(2016年公開版)。
東日本大震災発生から始まった5日間の出来事を、緊迫のドキュメンタリー・タッチで描き出した本作。当時の政府の閣僚たちを実名で登場させ、あの時に何が起こっていたのかに鋭く迫り、リアリティーを追求した作風に引き込まれました。
あの日から11年目となる今日―2022年3月11日。
本作を観ながら、当時のことをいろいろ思い出しました。
十年一昔、とはよく言ったものですが、あの時感じた不安や恐怖は、今でもはっきりと覚えています。あんなことは二度と繰り返されて欲しく無いと、強く感じました。
「人はすぐに忘れるもんだ…」。
だからこそ絶対に、忘れてはならない。風化させない…
あの日あの時、この国が滅びの淵に立たされ、今も尚、その可能性を抱えて続けていると云うことを…
[余談]
「Fukushima 50」と比較しながら観ると大変興味深い…
政府や東電の描き方が全く異なっていました。同作の場合、エンタメ大作として政府や東電側を徹底的に"悪"とせざるを得なかった事情があったのかもしれないなと思いました。
真面目に作られています
民間企業が原発を管理する仕組みを考えた先人達の浅はかさ、知見の無さが真の原因では と考えさせられる映画でした。 そして今でも基本的には構造を変えようとしない日本という国、原爆落とされたのに、アメリカに尻尾振って国際条約を批准しようとしないのですから 原発推進など当たり前なのでしょうが に減滅させられる映画でした。
40点
映画評価:40点 あの日から10年もの月日が経とうとしています。 あの時の悲惨さは今でも鮮明に覚えています、 この映画は 原子力発電所の問題について 出来る限りオブラートに包まず、 リアルに伝えようとしています。 この作品を観て、 私が感じた事は 悪いのは原子力エネルギーだったのか? それとも地震だったのか? たぶん違いますよね。 恐らく、そのエネルギーを使用するくせに 一切合切を把握せず、民間任せにしていた 担当と、担当に任せきりな首脳陣ですよね。 もしもの事を考えて行動するなんて、 運転免許を取得した人だって心がけているのに… 今のコロナもそうですが、 しっかり自覚していきたいですね。 色々と勉強になりました。 【2022.1.9観賞】
えーっと、この人誰だったっけ?
なんだかまどろっこしい映画だったのね。 いえ、決して作品がではなく、キャストがどうも見たことのあるような俳優さんばかりで。 それが誰さんなのかが全くわからずにいて。 しかもそれ、ご本人ではなく、似たような方ばかりだったんですね。 既視感バリバリ。えっ?この人一瞬鶴見慎吾さんじゃない?一瞬泉谷しげるさんじゃね?一瞬佐藤二朗さん?団次郎さんも?樹木希林さん、大滝修二さんも一瞬モブキャラで蘇ってませんでした?あと、えーっと…あなたは一体誰なんだ?みたいな連発だったのね。 でも、よーく見たら当然なんか違う。何なんだ自分? 一周半回って逆に三田村さんが菅さんにクリソツなのが笑えました。 このあたり、図らずも映画に全く詳しくない自分の不勉強さを露呈してしまった訳なのですが(^_^; ただ、その件でこの映画の面白さが浮き彫りになりました。 福島原発事故を題材とした映画は『フクシマフィフティ』を観たのですが、本作を観終えた後で思ったことは、そちらはやはり、著名どころの俳優さんをキャスティングした、あくまでもノリノリのエンタメ作品だったんだなんだなぁ…と。 先に述べた通り、本作ではぱっと見わかる著名どころの俳優さんが、三田村邦彦さんと袴田吉彦さんほどしか起用されていなかったので(本当か?)どう言い訳してもドキュメントにしか見えなくて。 (冒頭のクレジットの「これは事実に基づくフィクションであり…なんちゃらかんちゃry」) しかもその三田村さんですら、物語がそこそこ進むまで、よくわからなかったんですね、バカか自分(^_^; (もっと映画を学べよ!) だから事故のガチンコの臨場感と静かな恐怖感がより増して見えました。 あくまでもドキュメントなので、エンタメ作品のように「やったね!」で終らず、観終えた時、鬱系とまでは言わないものの、結構ヘヴィーなしこりが胸に残る作品でした。 『シン・ゴジラ』のバッドエンド&暗いver.みたいな。 えーっと、それであの人は誰似だったっけ?新聞記者の人。←もうええっちゅねん! えーっと、それからあの人とあの人のお名前は誰さんだったっけ? 頭にもしこり残ってるのね(笑)
総理の決断とは・・
Fukushima 50は現場が舞台だったが本作は官邸の対応について記者の目を借りて追っている。
内容的には当時の状況をなぞっているだけに思えましたが、怖いのはまさに天災や事故の風化ですからその意味で映画を作られたことに意義があり感謝します。
製作者の橘民義氏は民主党のシンパだからか政治家は実名です、また管首相の汚名を雪ぎたい意図もあったのでしょう、東電本店への乗り込みなどの経緯にスポットをあてています。
事故は確かに自然災害が主因だが対応の不備が被害を拡大した点では人災であろう。
劇中でも4号機の燃料プールに水があったのはたまたまと言っていたが、水は原子炉ウェル(炉の上部の空間)からでプールとの仕切りが水素爆発で壊れたから流れ込めたのだが炉内の隔壁工事が予定通りに進められていたら当日は原子炉ウェルの水抜きがされていたらしい、更に建屋が損壊したことで屋上から不足分の注水ができ最悪の事態を免れた。これだけ運に恵まれたのはまさに奇跡と言ってもいいでしょう。この偶然が無かったら関東から東日本一帯は死地となっていただろう。
班目原子力安全委員長は「事故を経験したとはいえ、現実的に原発が無いと資源のない日本経済は回らない、リスクはあるが、必要悪だと今も思っている」と日経新聞に答えている。
事故について確率論を持ち出す人もいるが万一の場合、不可逆的且つ甚大な被害を起こす事案には確率論は適用してはいけないことを肝に銘ずるべきですね。
政治家が専門知識に疎いのは致し方ないが補佐すべき専門家がこの体たらくでは末恐ろしい、先の政権でも学術会議のメンバー選定に恣意的なバイアスを掛けていたようだが都合の良い御用学者ばかりではいざと言うとき役に立ちません。異常気象に地震や噴火にパンデミックと不安材料は山積なのですからサポート体制は総点検して欲しいものです。
報道とは?真実とは?なんなんだろ?
不勉強な僕は本作で語られる内容は新鮮でした。 「え?そーなの?」って感じ。 今の今まで民主党に批判的でした。 しかし、頑張ってたじゃん! 元凶は仮名で描かれてた会社の隠蔽体質じゃん! と。 そして、党への印象を操作した(ように見える)仮名で描かれるマスコミが拍車をかけている。 「右向けって言ったら右を向く国民ですよ」 ま、そーかもね。僕自身、右向いた一人ですよ。 青臭いこと言いますが、世の中で見聞きすることに、完全なる、人の手垢のついていない真実なんてないんだ、ということを改めて我々は認識しなくてはならないと思いました。 昨年見た映画「さよならテレビ」の中でも葛藤が描かれてました。ドキュメントと言っても作り手側の思慮が入り編集される。それがドキュメントといえるのか?と。 で、思うのです。本作で描かれる内容はどこまで真実?忠実?他の福島原発で描かれる民主党は、本作と印象が異なります。 また、ユーロスペースさんでトークショー付きで鑑賞しましたが、監督自身もそうですが登壇者は反原発論者や作品内で、実名で出ていらっしゃった方々。 それがあると、なるほど、反原発訴求映画なのね?って印象を持ちます。 これまた、右向け右の論理じゃないか?と。 たしかに発生した事故により、原発の「もしも」の事態が起きた場合の恐ろしさは十二分に伝わります、本作。 だったらなぜ、原発がなくても電力が十分だ、原発を作る理由なんてないんだの事実を描かないのか?が疑問です。 本作はドキュメントではないです、セミドキュメントです。ですから、メッセージを込めることはありなんでしょう。しかし、正否ともに描かないとそのメッセージも希薄、ただの訴えになってしまうのではないでしょうか? 原発の万が一が発生した時の恐ろしさを知るには秀作です、社会派ドラマとしても緊迫感、緊張感の描き方はよいです、物語の終わらせ方も。感度ストーリーにしあげてない骨太ドラマである点も良いです。 ですが、ドキュメントとしてとらえないほうが良いと思います。メッセージが強いので。 しかし、原発について個人的に調べてみたい、と思うキッカケを作っていただけたのは感謝です。 色々あって差し引き3.0。良作です。
復興と喪失の輪廻
生物は危険な目にあうと一目散に退散するのだが、時が経ちほとぼりが覚めると、恐る恐るその危険に近づこうとする。危険は同時に快楽とも背中合わせなのだ。 そしてあの苦い思い出を忘れ、それに興じてまた痛い目にあう。 人間も含めて全ての生物がこれは、もう、どうしようもないのだ。 行きつく先はなんなのか? この世は復興と喪失の輪廻である。
安倍晋三の「想定外」
映画「Fukushima 50」が福島第一原子力発電所の現場を舞台の作品だったのに対して、本作品は内閣総理大臣官邸を主な舞台にしている。当然ながら、登場人物は官邸で働く職員と政治家と、それに政治記者たちである。 福島第一原発では、緊急事態に備えた日頃の訓練を遥かに上回る津波が到来して、全電源を喪失、原子炉の冷却が不可能になった。原子炉の圧力が高くなったためにベントと呼ばれる排気作業が必要になる。バルブは原子炉に近く、高濃度の放射能を浴びながらの作業となるため、作業員は命の危険にさらされる。 菅直人の扱い方がFukushima 50とかなり異なっている。Fukushima 50では佐野史郎演じるヒステリックな総理大臣が現場に来るということで作業が遅れたとなっていたが、本作品では本店と呼ばれる東京電力の本社が情報を官邸に出さないため、自分で現場を見に行くしかないという判断になったようだ。 原子炉容器への海水注入は必須だったが、海水を注入すると原子炉は使い物にならなくなるので、東電としてできればやりたくない。当時官邸に詰めていた東電の重役が官邸から現場に電話をかけて海水注入は待てと言ったらしい。この期に及んでまだ原発を守ろうとする利権主義には呆れ返ってしまうが、割とこういう精神性の人間は多いと思う。原発の現場がマスコミに、官邸から海水注入を待つように指示があったと伝えたため、官邸が海水注入を妨害したという報道になってしまった。 後にその報道が間違いだと知れたが、調子に乗ったのは安倍晋三である。メールマガジンに「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」などとアップしたのだ。 そもそも菅直人政権が原発を進めた訳ではない。自民党政権が原子力村という利権集団を形成し、原発を強力に推進した。政官財学、それにマスメディアが一体となった原子力村は、鉄腕アトムなどのプロパガンダキャラクターを上手く利用して「原子力、明るい未来のエネルギー」というキャッチフレーズのもと、日本中の沿岸に原発を建設したのだ。 野党が何もしなかったわけではない。東日本大震災の5年前、2006年に共産党の吉井議員が、10メートル以上の津波が来たら原発はどうするのかと質問している。当時の総理大臣安倍晋三は、10メートルの津波など考えられないし、全電源の喪失など想定できない。想定できないことについて対策など考えようがないと、吉井議員の質問を一蹴したのだ。 大震災発生当時に何度も記者会見を繰り返した枝野官房長官の「想定外」という言葉が耳に残っている。震災よりも5年前の吉井議員の「想定」を当時の安倍政権がまともに受け止めて対策を考えていれば、福島第一原発事故は違った結果になったかもしれない。 その後の総選挙では自民党が勝ち、安倍晋三政権が7年8ヶ月も続いた。原発事故を招いた張本人である安倍晋三を支持した日本の有権者は、これからも原発事故を繰り返したいのだろう。 タイトルの「太陽の蓋」は、太陽に蓋など出来っこないという意味だと思う。太陽は水素がヘリウムに変わる核融合反応で燃えているが、原子力発電は核分裂のエネルギーで原子力爆弾と同じエネルギーを使っている。両方とも核のエネルギーで、人間に制御できるものではない。映画「地球で最も安全な場所を探して」で紹介されているように、高レベル放射性廃棄物の捨て場所は、地球上で未だに見つかっていない。廃棄物にさえ蓋ができないのが世界の原発の現状なのである。
民主党政権とは何だったか?
2016年に見た時 世間はもう5年前に起きた事を忘れようとしていた。 政権は右肩上がりの夢を歌いはじめ、福島は『アンダー・コントロールされている』と世界に宣言して2020東京オリンピックを勝ち取った。 首相は 公の場で 『悪夢のような民主党時代』の象徴として震災の不手際を述べたが、東電への追求、原発に変わるエネルギー政策には 原子力ムラを忖度して、及び腰だった。 その時に、この映画を見た。 冷静に、あの時に起こっていたことを描写していた。 吉田所長等の苦闘に視点をおいた Fukushima 50 が英雄譚に印象が残ってしまうのに比べ、こちらでは 政府の危機管理はどうあるべきだったか? を問うている。 安倍~菅政権に連なる、閉鎖的な政権運営を 「他に変わる政党がないから、、」と支持している人々に 改めて、合理的と科学的な判断のチームがあった菅直人政権の再評価を促すだろう。
もう9年が過ぎたけど…。
あの時と同じように、胸が苦しくなるのを感じた。 不安にかられて「線量が、線量が」と、やたら騒いでいた人がいたことを思い出した。 しかし、エネルギー政策の根本的な見直しをすることもなく、この国はまた徐々に原子力への依存を深めようとしている。 なにしろ「全電源喪失など絶対に有り得ない」と国会で言い切った人物が、現在の最高権力者なのだから。
原子力の怖さ
今から30年も前に忌野清志郎が言ってたコトが現実になった。原子力発電所は要らねぇ。これが事実だと言う恐ろしさを改めて感じた。この映画はもっと沢山の日本人に見て欲しい。地上波でも放送するべき。
専門家は信用できない
3.11から5日間を、官邸、メディア、発電所、被災者の視点で描くが、メジャー作品ではないので苦心の跡がうかがえる。 政治家はすべて実名、企業名やメディアは仮名というのが興味深い。 これ以降、専門家やメディアの言うことは信用しなくなった。 コロナウィルスによるパンデミックは果たして・・・。
枝野の見た目が似ている!!
文芸作品のようなタイトルですが、エンタメ要素はありません。官僚のやり取りの演出は、初めは「シン・ゴジラ」と比べてしまい、物足りなく感じましたが慣れました。311の一般的認識が上手くまとまっている、大手には作れない真面目な作りの作品だと思います。枝野官房長官の見た目がかなり似ていますが、「直ちに影響はない」と「フルアーマー枝野」が無いのは大きなマイナスだと思います。311をショックドクトリンにして、現在は政治腐敗が極まり、国民の暮らしもどん底に落ちているので、311をきっかけに国民それぞれが生活を見直そうとした頃を懐かしく感じます。特に偏ってはいないので、監督はバランス感覚に優れていると思います。日本人は忘れっぽい国民性なので、今はもう放射性物質を放出していないと考える人もいるでしょう、制作した意義は大きいと思います。
現時点で最高の311映画です
私は福島県伊達市に住んで、福島市で働いていて311に遭遇しました。現在は家族で「自主避難」、移住して札幌で生活しています。それ以前には双葉町で高校教師として生活していた事もあります。
だから、作中に登場する地元住民の心情も「イチF」従業員青年の心構えも、事故発生直後で地元にこそ情報が届かなかったいら立ちも、よくぞそこまで調べて描いてくれた、と感じました。
また作中に登場する、ネットで必死に情報を探す別の人物の姿は私自身と重なりました。
事故発生以来、相当な手間と暇とカネをかけて原発事故発生直後の状況を調べ、集めてきました。
政府事故調報告書、国会事故調報告書、東電報告書、民間事故調報告書、東電テレビ会議記録などの公開された記録報告。海外で書かれたものの翻訳物。当時の政府内外の政治家やメディア関係者の著作や講演。避難指示で避難した知人からの情報。テレビの各種情報やドキュメンタリー番組。週2回の統合本部記者会見記録。
そして、元生徒が事故原発で働き続けているという情報や映像。(某テレビ番組で、原発に取材に入ったタレントが元生徒に話しかけている所を見つけた時は、思わず目頭が熱くなりました。)
この映画が描いている官邸の混乱具合と、被災現地住民の混乱具合は、かなり事実に近いものです。地元住民の混乱は実際にはもっと過酷だったのですが。
官邸のマスコミの無力感も、ほぼ事実通りだったと思われます。
この映画の評価を下げる材料にはなりませんが、この映画でさえ描けなかった情報の偏りが、事故発生直後の日本にはありました。
テレビ局や新聞局、芸能関係者には、2011年3月12日時点で遠距離避難が推奨されたり、命令されたりしたことです。
この事実は、このままいけばおそらく闇に葬られます。
けれどこの映画のような、可能な限り事実に迫ろうとするものを作ろうとする努力を続ける人がいれば、いずれは明るみに出せるかもしれません。
この映画の最後で語られるように。
今も日本での原発事故は終わっていません。
首の皮一枚、偶然にこれまでの生活が続いているように思えているだけだから。
3.11の当時を振り返るのに良い作品
あの時日本中でテレビを見ていた人、今どう思ってるんてすかね? これは、作中で原発で働いていた青年が発する言葉です。 自分は3.11のあの日、誰かのために生きれてたのだろうか?正しく生きれてたのだろうか? そんな問いかけをされてるように思いました。 少なくとも、東京を支えた人がいてその人たちのおかげで今があり、彼らの存在を忘れてはいけないと思う。 3.11の新たな視点を得るにはよい作品だと思う。
こんなのあり
3.11の震災による原発事故を限りなくノンフィクション風につくった社会派ドラマ。 しかも実名ですよ。枝野さんが菅原大吉だったり、時々笑ってしまうキャストも。かなり骨太というか、よくこれが世に出たなぁと思います。安倍政権が余裕しゃくしゃくの今だから出せたのでしょうね。 当時の復習になりました(笑) 笑いごとじゃねーぞ!
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