劇場公開日 2016年8月11日

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「五輪の人種差別表現に漂う米国的偽善の臭い」栄光のランナー 1936ベルリン 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

1.0五輪の人種差別表現に漂う米国的偽善の臭い

2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

1936年ベルリン五輪は、人種差別により国際評価を落としていたナチス・ドイツが、国威発揚をかけて盛大に開催したいわくつきの大会である。その記録映画、天才リーフェンシュタールの「オリンピア」も、見事な映像により知られている。本作のクライマックスはベルリン五輪のレースシーンである。

たまたまTVで見た「映像の世紀プレミアム~五輪 激動の祭典」によると、ナチスは五輪でフェンシングのドイツ代表に、ことさらユダヤ系ドイツ人を選出するなど、差別政策を糊塗するのに熱心だったという。だから、本作のようにIOC会長とゲッペルスにユダヤ人排除の密約があったというのは、にわかに信じがたい。
現にボートレースで金メダルを獲得した米国チームのコックスは、両親がユダヤ人である。ならば陸上リレーでユダヤ人を外せと圧力をかけても意味がないだろう。
ナチスがオーウェンスのレースを撮影するなと命じたというのも怪しいものだ。記録映画から彼のシーンをカットするよう、圧力をかけたのは事実らしいが。
ヒットラーが特にオーウェンスとの面会を拒絶したというのも、眉唾である。オーウェンスの回想によると「ヒトラーの席の前を通過する時に、ヒトラーは立ち上がり手を振った。私も手を振りかえした」という証言があるではないか。
さらに言うなら、マラソンで優勝したのは「日本代表選手」孫だったし、そもそもスポーツ競技でアーリア人の人種的優位性を誇示するなど無理な話である。ナチスだってそんなことを考えたとは思えない。孫自身は人種差別というより日韓併合に不満があり、後日、日本批判をさまざまに繰り広げているが、それは別の話として、ベルリン五輪の人種差別をクローズアップすることには疑問を持たざるを得ないのである。

このように見てくると、米国において差別を受けていたオーウェンスが、ベルリンではそれを上回るひどい差別を受け、米国で差別していた白人たちが突如、平等意識に目覚め、差別主義ナチスを相手に平等のために戦う――という本作からは、限りなく米国的偽善の臭いが立ち上ってくるのである。相手は世界史上の巨悪ヒットラーだから、すべての悪徳を彼におしかぶせて、差別した米国人は善人面で知らんぷりとは虫が良すぎる話ではないか。
オーウェンスとコーチとの師弟関係はよく出来ていて、世界記録を連発するところなどは痛快だし、米国内での黒人差別も正直に描いていると思う。しかし、ベルリンでの差別を強調してそれを帳消しにするのは、賛同できない。

新型コロナ禍の中で米国から世界に燃え広がっている黒人差別反対運動を見るにつけ、人種差別を悪としながらも、根本的には問題を解決しようとしてこなかった米国社会の病巣に思いを巡らせてしまう。この映画がその一例でないことを願いたい。

徒然草枕