「殺人のほとんどは自分や誰かを守るためである」昔々、アナトリアで かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0殺人のほとんどは自分や誰かを守るためである

2020年4月20日
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カンヌでグランプリを獲得しながらDVDスルーの憂き目にあった残念な作品。よしんば劇場公開されたとしても日本人の皆さんにはあまり受けなかったかもしれない。各国を放浪の末、写真家兼映画監督になった珍しい経歴の持ち主ヌリ・ビルゲ・ジェイラン。トルコ・アナトリア地方の風景をとらえた映像はまさにアートだが、そんな非常に美しい絵に耽溺していると本作の中に隠された真実に気づかないまま見終わってしまう作品でもあるので注意が必要だ。

トルコの政治・社会よりも人間の普遍的な内面性に興味がおありなジェイラン監督の目標は、チェーホフの小説を読むような映画を撮ることだそうな。その評判どおり、一見(ありきたりな殺人事件以外)何も起こっていない(何も起こさない)ように見える本作だが、その実態は他愛ない会話の行間を丹念に読み込みながらラストを迎えると悲しい真実へとたどり着く超一級のミステリーだ。なにせ肝心のネタバレシーンがバッサリ切り落とされているので、その難解さはあのミヒャエル・ハネケの『隠された秘密』に匹敵するといっても過言ではないだろう。しかも映画中盤のある出来事の意味に気づくと不思議なカタルシスも得られる1本なのだ。

被害者は男5人でやっとこ持ち上げられるほどの巨体、あの非力そうな2人での搬送はほぼ不可能。とするならばあの場所まで自分で行ったとしか考えられない。自分の子供が友人の種であったことを知った被害者はショックのあまりあの場所で自殺を図ったのでは?その後被害者の行方を心配して(おそらく飼い犬の後を追って)ケナン兄弟が到着。自殺を他殺に見せかける偽装工作を施したのではないか。奥さんの不実を罰するための自殺を、ケナンが他殺にみせかけてその奥さんと子供を守った。“自殺のほとんどは誰かを罰するためであり、殺人のほとんどは自分や誰かを守るためである”劇中語られる唯一のヒントに従ってパズルを組み立てると自ずとそういう結論にたどり着くのである。

土に埋まっていた死体がなぜかロープで拘束されていたこと、死体の側に飼い犬がいて掘り出そうとしていたこと、土に埋められた時被害者にまだ息があったことなんかとも辻褄が合うだろう。遺棄場所の手前にあった焼け跡は、首を吊った木の枝が折れ、それをケナンが証拠隠滅のため燃やした跡ではないか。いずれにしても奥さんと子供が石を投げられないように、ケナンが咄嗟に思いついた偽装工作だったと思われる。

それらを見破った唯一の人物が本作の主人公検死官。ではなぜ生き埋めになっていた証拠を検死官は揉み消したのか。検事の奥さんと思われる死体を検死にまわすべきだったと説く仕事人間がなぜ?それには村で遭遇したある出来事が深く関わっている。死体捜索で疲れきった一行が食事中いきなりの停電。漆黒の闇の中から現れるランプに照らされた村長の娘。この女神のごとき美しい少女が食後のお茶を一行に配る、(個人的にはタルコフスキーを思わせる)幻想的である種宗教的な儀式によって、唯物主義者の検死官にある心の変化が生じたのではないか。

この儀式の後、ダンマリを通す気でいたケナンは被害者が生きている幻覚を見て犯行動機と遺棄場所を素直に白状、部下を顎で使い容疑者をこづきまわしていた警察署長はケナンに優しくタバコを振る舞う。官僚的だった検事は実況検分中ジョークで皆を和ませ、妻と思われる女の死に自責を感じようになる。そして真実を白日の下にさらす気でいた検死官もまた、今回の事件と自分の過去を重ねながら、ケナンの元恋人の奥さんとその子供に慈悲をかけようと思い立つのである。このビフォー・アフターに気づけないと、本作はあなたの中でなんの変哲もない陳腐なミステリーに終わってしまうことだろう。

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かなり悪いオヤジ