劇場公開日 2016年6月11日

  • 予告編を見る

「改作部分に問題あり」64 ロクヨン 後編 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0改作部分に問題あり

2016年8月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

原作は,横山秀夫が 2004〜2006 年に雑誌連載していた長編小説であるが,作者はその出来が気に入らず,連載を中止してその後6年を掛けて全面的に改稿し,2012 年に刊行して大評判になったものである。刑事物というと,犯人の動機やトリックに力点を置くものが多いのだが,この小説の特異な点は,迷宮入りになった誘拐殺人事件の被害者が,自力で犯人を捜そうとする方法にある。時効寸前にまで及ぶその壮大な努力には,本当に心を動かされるとともに,そのモチベーションとなった我が子に対する親の思いに,深く感動させられるのである。この映画の監督は,2010 年に,上映時間4時間 38 分という「ヘヴンズ・ストーリー」という超大作を世に送り出しており,本作を前後編に分けてそれぞれ2時間 15 分という長さは,それに匹敵するものであるが,原作者の身を削るような苦労の果てに書き上げた労作を,一部映画向けに改変していることには賛否両論があると思われる。

昭和 64 年は,僅か8日で平成と名を改められたが,その僅かな昭和 64 年に起こった誘拐殺人事件を起点に物語は進行する。主人公はその事件の担当刑事であったが,ある事情で配置転換され,時効寸前の平成 14 年時点で群馬県警の広報官を勤める人物である。広報官とは,警察のマスコミ向けの公式発表を行う部署であり,刑事部ではなく警務部の管轄で,捜査の一線からはかなり後ろに下がった立場である。映画の前編では,その立場と,個人的な家庭の事情を中心に描いてある。この設定は,前半では実に上手く機能していたと思わせられたのだが,後半ではかなり足を引っ張る設定になっていたと言わざるを得ない。

前編で最も見所となっていたのは,警察署の記者クラブに詰めているマスコミ各社の記者たちとのやり取りである。記者クラブなどという制度は日本独自のものであって,とかく匿名などにしたがる公式発表から少しでも本当の情報を引き出そうとする記者たちは,広報官から見ればハイエナに等しく,自分こそは正義であるという思い上がりと,共産党員のような言動が目に余った。本当にイライラさせられる話で,見ているのが非常に苦痛であった。特に記者クラブの中で最も陰険な態度の記者を瑛太が演じており,ハラワタを煮え繰り返されたのを思えば,前編の MVP の有力候補に挙げても良いと思った。東京都知事の記者会見も是非こいつらにやらせてみたいと本気で思うほどであった。

前編で最も扱いの大きかった一人暮らしの老人の事件は,この作品が単なる推理ものでなく,人間の情を描きたがっているのだということを痛感させてくれるもので,まさに誘拐事件の裏返しになっていることには,原作者の力量を垣間見せられた気がした。主人公の広報官は娘との家庭問題を抱えており,そのことが事件に立ち向かう広報官のモチベーションにも通じている点などの構成も見事であった。人生で最も得難いものは家族であり,だからこそ家族の問題は何より重大であって,その極端な例が誘拐事件であり,誘拐された家族を取り戻すためなら他の何をも惜しまないという人間の美徳を突いた卑劣極まる犯罪である。前編では観客のすすり泣く声も多く聞かれていたのが印象的であった。

後編は,特に原作の改編部分に疑問符が多い印象が拭えない出来であったのが惜しまれる。原作にはない人物を登場させて重要な役回りを持たせたために,いろいろと不自然なシーンが目につくことになってしまった感が否めない。また,原作でも,広報官という立場の人物が捜査の一線で口を出したり犯人を追いつめたりするという展開には,それで良いのかという疑問符が見る側につきまとっていた。後編では,前編と違ってすすり泣くような人もいなかったのが,その戸惑いを物語っているのかも知れない。物語のキーとなる「幸田メモ」とは何だったのかという未消化の謎なども気になった。

後編で特筆すべきは,発端の誘拐事件の父親役を演じた永瀬正敏の演技と役作りであろう。この役のために 14 kg 以上もの減量を果たしたという永瀬の演技には鬼気迫るものがあった。また,犯人役の俳優が見せた証拠隠滅時の表情なども実に見事で鳥肌が立った。その一方で,仲村トオルや小澤征悦,綾野剛,榮倉奈々などは役者の無駄遣いではないかという気がしてならなかった。また,主人公の美人妻を夏川結衣が演じたのは良いとして,娘が父親に似た自分の顔を嫌うという設定なのだから,主人公の広報官を佐藤浩市が演じるのはどうなのかという気もした。ただ,佐藤の演技は文句の付けようもないものであった。

平成 14 年であれば,各種の変声器が市販されていたはずなので,ヘリウムガスを使う必要などなかったはずなのだが,物語の設定上必要なことは分かっていても,ガスが切れた後で喉を押さえて声を変えようとするところなど,ギャグに見えて仕方がなかった。また,犯人の動機についても十分な説明がなされていなかったのが残念であったし,原作にない人物に対して広報官が行ったことは,あまりに酷いのではないかという思いが,見終わった後しばらく脳裏を離れなかった。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点

アラカン