おかしな奴(1963)

劇場公開日:

解説

「武士道残酷物語」の鈴木尚之がオリジナル・シナリオを執筆、「おれは侍だ 命を賭ける三人」の沢島忠が監督した人情もの。撮影は「馬喰一代(1963)」の藤井静。

1963年製作/110分/日本
配給:東映
劇場公開日:1963年11月1日

ストーリー

大正六年三遊亭歌笑は五日市に生まれた。生来の珍顔と酷い近眼で、周囲の人から馬鹿にされ通しのかれは、落語家になる事を決心し、ついに故郷を飛び出し東京に向った。二十二才の春であった。東京に来てみたものの田舎者の彼を拾ってくれる師匠はいなかった。がひょんな事から金楽師匠と知り合い落語修業に専念した。金平と名を改めて美よし亭で初舞台を踏んだが、完全に失敗に終った時を同じくしてとん平が弟子入りし実力の伯仲する二人は良きライバルであったが、前座責任をとん平にとられたばかりか、初恋の人おひさの結婚話を聞いて目の前が真暗になった。しょげている金平を励ます師匠の“自分の道は自分で切り開け!”の言葉に奮起した。そして啄木詩集にヒントを与た新作落語をあみ出し、名も歌笑とかえて売り出した。太平洋戦争もクライマックスの時である、兄弟子のしゃもじが自殺したのもこんな時であった。欣々亭の娘春藤ふじ子と結ばれ終戦をむかえた。笑いを忘れた国民はむさぼるように「純情識集」に聴き入った歌笑も続々新鮮な笑いをまき散らした。真打ち披露も終え、歌笑の創作意欲はますます昂まった。歌笑の純情詩集は巷に流れ流行語となった。歌笑の落語大衆化への夢はかぎりなく拡がった。が不幸が突然おとずれた、後援会結成に駆けつけた歌笑がジープにはねられ、帰らぬ人となったのだ。時に昭和二五年五月三十二歳の働き盛りのことであった。

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映画レビュー

4.0渥美清、本領発揮す

2023年6月9日
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落語映画といえば個人的には森田芳光の『の・ようなもの』を真っ先に想起する。大学時代に落語名人決定戦で優秀な成績を収めた伊藤克信演じる志ん魚の落語は周囲の落語素人の俳優たちと比較してもなかなか見事なものだった。長い噺をスラスラと紡ぎ出せるのはもちろんのこと、そこへ時宜に応じた変奏を加えてみせる余裕ぶり。落語とは実に一朝一夕の努力ではどうにもならない高等芸能であることを改めて感じた。アニメ『昭和元禄落語心中』でも、ネタを上手く読み上げられることと落語を打つことの間にはただならぬ懸隔があることや、ネタを真に自分自身のものにすることの困難などがしきりに強調されていた。

さて一方の渥美清はといえば、彼もまた幼い頃から落語に通暁しており、その蓄積が落語家・三遊亭歌笑という登場人物を依り代に遺憾なく発揮されているのが本作だ。彼の軽妙にして温和な語り口は聴く者の耳を心地よく刺激し、気がついた頃には抱腹絶倒の渦に巻き込まれてしまっている。

物語としてはポッと出の田舎者が紆余曲折を経てスターダムを駆け上がっていくという古今東西どこにでもある成功譚なのだが、凡庸な感じがあまりしないのはやはり渥美清の演技力の高さゆえだろう。もはやif世界線の自伝か何かなのではないかというほどに三遊亭歌笑というパーソナリティーを自分のものにしている。特に歌笑お得意の純情詩集を謳い上げるくだりなどは舌滑りのよさといい抑揚のつけかたといいもはや聴く麻薬と評するに相応しい出来栄えだ。

もはや新作落語の矩さえ超えて活躍する歌笑の色めきぶりに落語界の排他的な面々は大層ご立腹。遂には彼を寄席から締め出してしまう。そうした逆境にもめげずラジオという活路を見つけ噺家としての命脈を保ち続ける不屈の闘志はまさに戦後派的といえる。初恋相手が米軍の娼婦に身を窶していたり、歌笑が米軍のジープに轢かれてその短い生涯に幕を閉じたりといった描写からも推察できるように、本作が「我々はこの激動の時代とどう向き合うべきか」というアプレゲール的命題を内包していることは自明であり、そういう意味では実に50~60年代的な日本映画だ。

余談だが渥美清は『拝啓天皇陛下様』でも最後に轢かれて死んでいる。ひょうきん者の末路はいつだって悲惨なのだ。男というものつらいもの、顔で笑って腹で泣く。

何はともあれ、『拝啓天皇陛下様』でいよいよ俳優としての名声を高めつつあった、それでいて『男はつらいよ』の「寅さん」にパブリックイメージが固着する前の、言うなれば最も力量と可能性に富んでいた頃の渥美清を拝むことのできる稀有な作品だった。

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