劇場公開日 2012年12月22日

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「期待半分不安半分が、満足☆満タン☆更にお土産付きな気分」大奥 永遠 右衛門佐・綱吉篇 映画は心の友さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5期待半分不安半分が、満足☆満タン☆更にお土産付きな気分

2012年12月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

楽しい

よしながふみ版「大奥」。
もし江戸時代に男が激減したら、の仮定に基づいて描かれたコミックの映画版。2010年の映画化、2012年のドラマ化に続く第3弾。

実写化はコミック通りの順番であるが、時代はドラマ(家光編)→2012年映画(綱吉編)→2010年映画(吉宗編)の順で下っていく。

2012年のドラマ、映画双方のキーパーソンとして、堺雅人が二役を演じ分けている。

ドラマ版の第一話が「男激減が始まった」ところからで、若い男子しかかからない奇病で将軍・家光が急死。
跡継ぎを巡って争いが起こることを恐れた春日局は将軍の影武者をたて、家光の一人娘を大奥に住まわせ、子どもを生ませることによって、血筋を絶やさないように計画する。
結局、女子しか誕生しないが、家光の娘は正式に将軍の後継者として名乗りをあげ、女子が家督を相続することを宣言する。ここまでがドラマ版。

春日局の思惑のため、大奥という牢屋に閉じ込められ苦しみながらも、自分の生きている意味を作り出そうとする家光の一人娘と、大奥に連れてこられた僧侶・有功(ありこと)の生き様が胸を打った。

映画では家光の次の次の代の将軍・綱吉の治世。
「男の激減は止まらず」、「すでに江戸の町は女ばかりが目につく」が、江戸城大奥は将軍のために男が揃っている。大奥は将軍の父・桂昌院と将軍の正室の勢力に二分されている。
桂昌院が連れてきた伝衛門が綱吉との間に娘を成し、子どもの無い正室は分が悪い。そこで将軍の気に入るような男・右衛門佐を京都から呼び寄せるが。

感情を表に出さず、淡々として狡猾、しかし胸に抱くものは決して冷たいものではない元公家の男・右衛門佐を堺雅人が男の色気十分に演じる。

その別人ぶり、テレビドラマ版の有功と同じ役者が演じているとは思えないほどである。
同じ役者であるからおかしな話だが、顔すら似てないと思うほどだ。
演じ分けでなく、同じ顔をした双子か、よく似た兄弟がいるのではないかと勘ぐってしまう。
年齢もドラマの有功が若者だったのに対し、右衛門佐はお褥(しとね)滑りが迫っている年相応に見える。
もちろん設定やセリフでそれらしく見えるというのもあろう、しかし、なんだか堺雅人の器の中身がそっくり入れ替わっている気がしてならない。
変な気持ちだった。

堺雅人は優男過ぎて、映画で主役をはるには迫力が足りないと思っていたが、どうしてどうして、なかなかの食わせ者だ。
この人の演じる時代劇をもっと見たいと思う。

菅野美穂を映画で見るのははじめてだ。映画のCMをテレビで見たときは、声が頼りないと不安に思ったが、うれしいことにその想像は引っくり返された。
菅野美穂は可愛くて綺麗だ。同時に怖い。怖い目をするし、舞台挨拶でのホヨヨンとした感じから伺い知れないほど、恐ろしく冷ややかな声を出す。
芸達者というのはまた違うが、油断できない女優だ。

==以下、若干ですがネタバレ部分があります==

綱吉の愛娘を失った嘆きには思わずもらい泣きをしてしまった。
引き込まれる。

西田敏行は西田敏行なのだが、本当に魅力的だ。もっと威厳があるように演じるのかと思ったが、身分の卑しい出であることを崩さずに演じていたように思う。
映画ではドラマの玉栄の愚かなところだけがクローズアップされた感があり、ドラマの玉栄に涙したものとしては、有功への愛の結末をちゃんとつけてあげたい気がした。

尾野真千子は予想通り、とても良かった。ただ物語の上では一番の見せ場が無かったので残念ではあったが、映画は綱吉と右衛門佐の物語が終わったところで終わらせているのだな、と納得した。

宮藤官九郎も見せ場が削られていたのは残念だが、うますぎておかしかった。身分は高いが、将軍が全く興味を持たない正室、にはまり過ぎていた。
ニヤッと笑ってもそれほど賢くも見えぬが、それほど小者にも見えないのだから、不思議だなあ。

要潤、桐谷漣、竜星涼、満島真之介、郭智博、永江祐貴、三浦貴大などはそれぞれ若く、美しいだけでなく、気弱だの、ずるいだの、妖精のようだの、小心者、妖しい関係の二人、敵を取りにきた、などのそれぞれの役柄にピタリとはまっていた。

出番は少ないが牧野の市毛良枝、右衛門佐の母の由紀さおりもいい。

ほめてばかりだが、もう一つ。
ドラマ版で不満なのが衣装と美術だった。予算の関係もあるだろうが、特に衣装はもう少し何とかならなかったのかと思っていた。
今回、その不満を補って余りある衣装の豪華さだ。
綱吉の打ち掛けの柄は大胆で、品があり、センスがいい。
彼女が長い裾を取り回して歩くたび見惚れてしまう。
美術も襖に描かれた絵の美しいこと、近くに寄って見たいものだ。

最後の最後に不満な点。
タイトルの出方があんまりだ。
テレビでもお馴染みの大奥の文字と紋が出てくるが、もっと重厚に出してほしかった。
しかし、その直前の「私は鼠だ」のセリフと共に右衛門佐の目が光るのには、ドキッとして緊張感があった。

こう書きながらも、もう一度見たくて仕方が無くなっている。
つい最近まで家光と有功の愛に涙していたのに、浮気しているようで心苦しいのだが、今私の頭の中は「大奥 ~永遠~」のことでいっぱいなのだ。

映画は心の友