劇場公開日 2009年12月12日

  • 予告編を見る

パブリック・エネミーズ : インタビュー

2009年12月4日更新

ヒート」「コラテラル」など多くの傑作アクション映画を手掛けてきた巨匠マイケル・マンが伝説の銀行強盗の半生を映画化した理由とは? 史実とフィクションのバランスや、70年以上も前のストーリーをあえて全編デジタル映像で撮影した意図など、本作製作の裏側を明かしてくれた。(取材・文:猿渡由紀)

マイケル・マン監督 インタビュー
「彼は銀行強盗だが、美徳や勇気を持ち続けていた魅力的な人物だったんだ」

撮影中のマン監督。米脚本家協会のストライキの影響で身体が空いたデップを大急ぎで口説いて、本作の製作を開始した
撮影中のマン監督。米脚本家協会のストライキの影響で身体が空いたデップを大急ぎで口説いて、本作の製作を開始した

――この映画を作りたいと思った理由は?

「この映画は、僕にとって非常に特別な作品だ。もっとも僕は特別に感じるものしか作らないんだけどね。ジョン・デリンジャーは、当時、アメリカで大統領の次に有名な男だったんだよ。彼はアウトローで、伝説的ヒーローだった。彼は銀行強盗だが、美徳や勇気を持ち続けていた魅力的な人物だったんだ」

銀行強盗、金庫破りを描いた映画は本作で3本目
銀行強盗、金庫破りを描いた映画は本作で3本目

――この映画は実際に起きた話を描くものですが、どこまでが事実に忠実で、どれほどフィクションの要素が入っているのでしょうか?

「できるかぎり、史実に忠実に作ったよ。出来事をふくらませたり、場所を事実と違うところに変えたような部分もあるけれど。でなければ上映時間がとてつもなく長くなってしまう。あるいは歴史番組みたいになってしまうだろう。だが、まさにそれが起こった場所で撮ったシーンも多い。クラウン・ポイントの刑務所のシーンも、同じ場所で撮った。74年に閉鎖されてから放置されていたのを、僕らが再建したんだよ。デリンジャーが死ぬ場所もそうだ。彼は、映画に出てくるあの場所で死んだ」

――シカゴという街に、あなたは思い入れがあるようですね?

「僕にとっては近所だからね。僕はあそこで育ったんだよ。もちろん30年代に育ってはいないけど。僕は43年生まれだからね。でも、29年から39年くらいまでは大恐慌、その後46年までは戦争のせいで、シカゴには新しい建物ができなかった。だから、街の風景は30年代初めからほとんど変わっていないんだ。この物語の舞台となる33年、僕の母は17歳だった。そんなことも思うと、僕はその当時のシカゴに、とても強いものを感じる」

20世紀中期のアメリカの孤独を描いた 画家エドワード・ホッパーの影響も
20世紀中期のアメリカの孤独を描いた 画家エドワード・ホッパーの影響も

――あなたはこの映画をフィルムではなくデジタルで撮っています。その理由は?

「僕はまず、フィルムとデジタルの両方を試してみた。雨の日のロサンゼルスで、黒い車と人を撮ってみたんだ。フィルムのほうは、古い映画みたいに見えた。まるで過去の話を見ているみたいに。でもデジタルのほうは、きょう起こったことのように見えたんだ。僕は、それを求めていた。これを手がけると決めた時、僕は、この話を自分はどんなふうに語りたいのかと自問自答した。そして、観客を、まっただなかに連れて行きたいという答を出したんだ。外から、他人事のように見るのではなく、内側から感じてほしかったんだよ。デジタルを使うことで、見る人は、自分も33年にいるように感じるはずだ」

――ビジュアル面で、参考にした映画や絵画はありますか?

「ほとんど自分で創造したが、いくつかエドワード・ホッパーからインスピレーションを得た部分もある。画面を分割して、それぞれの部分で違うことが起こっているようなシーンがそれだ。オマージュを捧げた、と言えば聞こえがいいけれど、真似した、と言ったほうが真実に近いね(笑)」

関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る
「パブリック・エネミーズ」の作品トップへ