愛を読むひとのレビュー・感想・評価
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抱えてるもの
観る前のイメージでは、
また年上女性とのひと夏の恋ですかと。
また若者の性はとまらんが年取ってから懐かしく思い出すわよ、かいなと。
ですが中盤からガラリと変わり、
涙なしでは見れない展開になります。
そこまでが微妙に見ててキッツイなあって気分にもなるのですが。
とにかくケイト演じるハンナが、まあどこがどう魅力的なのかは
つかみにくいが
何か悲しい秘密をもってるんだろうなってのは
匂っていてそこがひきつけられる。
抱えるにはあまりにも重く、
とても他人に打ち明けたり分かち合えるようなものでもない。
孤独だ。
これは被害者にあたる彼女の方も同じで、
あまりにも重い悲しみはむしろ分かり合えないし
分かち合えない。
少しは物がわかったかと思った主人公マイケルが二度、三度と
打ちのめされていく姿は観ていて
自身の思いもなんとも生ぬるいのだろうかと
突きつけられる思いである。
当初はニコール・キッドマンを予定していた役だが、
実際に見るとケイト・ウインスレット以外に考えられない。
ケイトはすごかった。
そこに座って、歩いて、それだけでハンナを表現してた。
さすがアカデミー主演女優賞。
すばらしかった。
初体験の相手の思い出
ダフィットクロス扮する15歳のマイケルは、学校帰りに病気になり動けなくなっていたところケイトウィンスレット扮するハンナシュミッツに助けてもらった。
思春期の僕が年上の女性に裸で迫られれば、そりゃあ抵抗の余地が無くなってずっぽりはまってしまうだろうね。男性にとっては夢の様な話だろうが、ハンナからするとただ持て遊んでいただけかもしれない。しかし15歳の僕には一生拭えない出来事になってしまった。
ハンナは常に本を読んでもらう事を好んでいたが、その後ハンナはマイケルの前から突然消えてしまい、マイケルが法科の学生としてゼミで裁判所の裁判を傍聴した時、偶然ハンナが出廷していた事で再会した。実はハンナはアウシュビッツで看守をしていて裁判にかけられていたと言う重い話。ハンナには秘密があった。
初体験の相手にず~と引きずられてしまうが、男にとってはやむを得ないだろうね。そういうもんだからな。ケイトウィンスレットの体当たり演技は官能的で素晴らしかった。マイケルじゃないけど、引きずられてしまうね。だけど、ラストシーンで娘に父親のこの手の青春の思い出を語るのはちょっと考え物だと思うな。
願いのような作品
二次世界大戦後のドイツを舞台にした悲哀の物語。
スティーブンダルドリー作品でしたが、いまいちピンとこなくてスルーしてました。
が、プライムで見かけたのでふと観てみることに。
ケイトウィンスレットの佇まいが良く、その芝居もとんでもなく惹かれるものがありました。
そして若きマイケルを演じたダフィットクロスも、その肢体が若さに満ち溢れていて別の魅力に溢れてましたね。
二人のロマンチックな逢瀬は、その時代背景に大きくその運命を歪めていく。
…といった話でしたが違いました。
いや、あくまで個人的にですが、違うように見えてきました。
裁判から急激にシリアスになり、それぞれの葛藤を描かれていきます。
その辺りからいくつもの小さな「なぜ?」があったのですが、二人を通じもっと広く描いたものに見えてきました。
裁判自体アウシュビッツ裁判でしょうし、ここを主軸のようにじっくり描いていきます。
そんな中教授の言葉は、むしろ我々に投げかけてくるようでした。
文盲とそれを隠すのはロマ族(ホロコーストと同じ虐殺対象)だとは薄々分かるのですが、それをはっきり示さないのも"あえて”なのでしょう。
後悔の念と何処か目を背けたい過去。
手紙に目を通さなかったりと、ちゃんと向き合えないやり取りの末の別れ。
そうして迎えたラスト。娘に話し始めるその姿は、まるで希望を託しているようでした。
そしてこのラストで、はっきりと自分の中で腑に落ちたのだと思います。
これはドイツそのものを描いたものではないだろうかと。
できればなかった事としたい恥ずべき歴史ナチスドイツ(ハンナ)、それを未だどう向き合えば良いのかわからないままでいる現ドイツ(マイケル)、そしてそれらを踏まえ乗り越えてほしい未来への希望(ジュリアン)。
歴史を受け継ぎ、過去に目を背けず、これからの未来へと繋ぐ。
ドイツという国への問いかけと、願いのような作品と感じました。
甘美な物語にこもる戦争悲劇
バスの車掌をしている疲れ果てた女性が、
ふとした切っ掛けで15歳の少年をくわえ込んだ物語の端緒は、
デボラ・カーの『お茶と同情』を思わせました。
親と子ほども離れた不実な恋物語の始まりを感じさせましたが、
謎の女の正体を求めて、
上級なシナリオはサスペンス豊かにグイグイ引っ張って行きます。
声がいいから、と少年に本の朗読をせがむ
家族の気配がない不思議な女は、
職場の勤務状態が良いから、事務職に昇進を告げられた日に失踪する。
8年後、
少年が女を見たのはユダヤ人収容所の看守だった女を裁く法廷。
不思議な女を演じるケイト・ウィンスレットが秀逸です。
目の演技が、他に比較できない印象を残しました。
彼女の出生の秘密は明かされなかったかも知れませんが、
少年の経験は、彼の一生に大きな影をもたらす、
甘美な初恋だったことは間違いありません。
前半とは一転後半は切なく重い。 どうにもならない感情が渦巻きます。...
前半とは一転後半は切なく重い。
どうにもならない感情が渦巻きます。
最後の面会、お互いにあと少し素直に歩みよってたら違った形になったのかなぁと思いつつも、文盲な彼女を彼は最後まで愛し守ったんだと思う。
あなたならどうするか
映画中盤、法廷でのハンナのひと言。
あなたなら、どうしたか?
この言葉に集約される物語。
もしも裁かれている時に、ハンナが正直に答えていたらどうなったか。
マイケルがハンナを助けんと立ち上がったらどうなったか。
私ならどうするだろう。
そんなお話でした。
プライドとは命懸けで守るもの。
もし罪深い私を盲目的に愛して求めてくる青年がいたら、どんなに愛おしく感じる事だろう。そしてそれはほんのひととき自分の人生に輝きを灯してくれる。
原作も映画もこの点を外す事なく描いていたのが良かった。
それは、青年の人生には問いかけを、彼女の人生には答えを与えてくれた物語。
朗読を通じて育む神秘的な愛...
原作は読んだことないし、鑑賞前まではごく普通のラブストーリーかと思いきや全然違った。
とても深刻な物語だった。愛、差別、葛藤、秘密...挙げきれないほどたくさんの要素が組み込まれている。
胸が締め付けられるように苦しくて、鑑賞後何とも言えない感情を抱いた。特に後半からラストにかけての展開は驚きのひと言に尽きる。
本作の主人公ハンナを演じたケイト・ウィンスレットは登場人物に命を吹き込むのが本当に上手い。どんな役であっても自分のものにというかその人物そのものになってみせるのだから驚きだ。
【苦悩と葛藤の先/年上の女性と年下の男性の恋愛②】
この作品は、想像力を要所要所で広げる必要があるなと思う。
実は「人のセックスを笑うな」を久々に観て、ふと、年上の女性と年下の男性の恋愛の映画を観直してみようと思った。
「甘いお酒でうがい」と「私の知らないわたしの素顔」は既にレビューを書いているので、いろいろ調べて、今、僕がサブスクで観ること出来て、当時鑑賞して好きだったものをチョイスしてみようと思った。
まずは、多くの人がおそらく外すことがないであろう「愛を読むひと」だ。
この物語はとても悲しい。
だが、僕はどこか、僕たちの世界に向けた希望を提示しているようにも思えるのだ。
構成の各パートのギャップの大きさ、そして、この作品に用意された結末が、マイケルやハンナは本当はどうすべきだったのか、実は、答えのない問いを僕たちに投げかけているように感じられる。
答えのない問いとは、僕たちの未来に向けたメッセージだと思う。
(以下ネタバレ)
この作品は、大きく三つのパートから構成されている。
実は、この構成は、単なる物語の展開だけではなく、問いかけを考えるうえでも重要な役割を果たしているように思える。
一つめは、マイケルとハンナの出会いだ。
マイケルが20歳近く年上の女性ハンナと出会い、恋に落ち、逢瀬を重ねる。
若い男性が年上の女性と恋に落ちる際は、多くがセックスへの興味であることは間違いないように思う。
しかし、朗読を通じた心の交流が次第に深まる。
次のパートは、ハンナがユダヤ人虐殺にどう関与したかの裁の場面だ。
最初のパートでうすうす感じていたことだが、ハンナは字が読めない。当然書くことも出来ない。
それは裁判では触れられず(”ハンナも口を閉ざし”)、SSという仕事を選ばざるを得なかった理由も明らかにならないまま、他被告人の罪のなすりつけもあり、ハンナの罪はより重くなってしまう。
ハンナはなぜ本当のこと言わなかったのか。
教授に促されたのに、なぜマイケルは証言しようとしなかったのか。
なぜ、人間が培ってきた法律という知恵が働く機会を失ってしまったのか。
そして、最後のパートは、収監されたハンナとマイケルの朗読を通した心の交流だ。
結婚し、娘をもうけたものの離婚したマイケル。
証言できなかったという自分の罪の意識と向き合っていたのだ。
意図していたわけではないが、多くのユダヤ人を死に追いやってしまったことを許すことが出来なかったのか。
彼女を愛していたから、それを公に出来なかったから証言しなかったのではないのか。
献身的ともいえるマイケルの膨大な朗読テープの作成。
テープを手掛かりに、字を学び、曲がりなりにも読み書きが出来るようになったハンナ。
20年の収監の後、釈放の機会を得たハンナ。
長い年月を経て再開したハンナとマイケル。
20年で何を得たかハンナに問うマイケル。
字を書けるようになったと答えるハンナ。
おそらく、マイケルは、罪とどう向き合ったのか聞きたかったに違いない。
だが、ハンナは、読み書きが出来なかったと自分の”最も重大な秘密”をマイケルに打ち明けたつもりだったのではないのか。
釈放を前にしたハンナの自死。
ハンナは、裁判で読み書きが出来なかったことを隠したように、マイケルに罪と向き合っていたことも話してはいなかった。
それは、罪はマイケルに対してではなく、亡くなったユダヤ人や家族に対して向き合っていたからではないのか。
ハンナは読み書きを学び、本さへも読めるようになる過程で、罪と向き合うだけに止まらず、罪とどのように向き合うべきなのか自分なりに考えるようにもなっていたのだ。
だから、釈放されるつもりはなかったのだ。
だから、遺族に少しでもとお金を貯めていたのだ。
ハンナの死で、マイケルは様々なことを理解したのではないのか。
年上の女性と年下の男性の恋愛映画というカテゴリーで観たけれども、それ以上に考えさせられる映画だった。
感情移入をメインに”自分だったら”という括りでは計り知れない気持ちの揺らぎが感じられると思う。
そして、より良い判断を重ねるために、教育がいかに重要なのかも問いかけていると思う。
だから、遺族の女性は、ハンナを理解し、ハンナがお金を貯めておいた缶を手元に置いておくことにしたのだ。
世界の中には、女性に教育は必要はないという宗教や民族がある。
中国のように一部の民族を弾圧し、思想教育をしている国家もある。
アメリカのような民主主義国家でも、白人至上主義的な家父長主義(パターナリズム)の色濃い地域では、女性の地位が低いままだったりもする。
日本でも同様なことは多い。
この作品は、文盲を背景にし、読み書きが出来ないことで起こった悲劇と、その中で苦悩・葛藤する男女の姿を表していると思うが、今、世界ではコロナ禍でもワクチン接種も含めて、平等とは何か、より良い判断を重ねることの重要性などが問われていると思う。
民主主義の重要性の理解や、より良い未来を思い描けるように、教育が重要だということも暗示しているように思える作品だった。
最後、マイケルがハンナのお墓の前で娘に話すストーリーは、きっと未来や希望につながるもののはずだ。
「差別」を問う映画
2021年8月19日
たまたまNetflixで発見し視聴。
邦題とあらすじだけを見て、先が読めないなと思いつつ視聴しましたが、明らかに邦題ミスな気がしました。
たしかに「愛」はあったのだと思いますが、そこがテーマではない気がしました。
映画を見ながら、文盲に気づき、あっと言わされました。
今の日本人にはあまり縁のないことなので、見落としていましたが、海外ではありえる話なのです。
文盲に気づき、今までのハンナの言動に納得しました。(本を読ませる、昇進を断る、筆跡鑑定を断る)
しかし、映画を観終わっても、ハンナの自殺の原因やマイケルの行動(ハンナの遺言に基づいて寄附活動する)、収容所から生き残った女性の何かを悟った感慨深い表情などに納得がいかず、もやもやしました。単なる恋愛感情では片付けられない描写でした。
そこで他にレビューを拝見していると、「ロマ(ジプシー)」という存在を挙げている方を発見し、納得しました。
原作を読んでおり、ヨーロッパの人種差別事情に明るくないと分からないテーマでした。
流浪の民で、ドイツを含め、ヨーロッパ中から差別を受けていたのがロマです。
その差別の歴史はナチのユダヤ人差別より歴史が深く、流浪ゆえ、文盲である者が多いという特徴があります。
ハンナは文盲ということがバレるとロマだと思われ、差別されるのが怖かったため、秘密にしていましたが、文字を学ぶことで自分のした行為を知り、結果的に自殺という選択をとったのでしょう。
終盤に、ニューヨークに住む収容所からの生き残りのユダヤ人が「文盲はユダヤ人に相応しくないテーマかもしれませんが」というセリフは、まさにロマのことをさしたセリフなのでしょう。
とても良い映画でした。ただ、自分の無知を改めて思いました。
原作よりずっと良かった
この映画を勧めて下さった皆様、ありがとうございます。やっと、配信ではありますが観ました。とても良かったです。ケイト・ウィンスレットが素晴らしい女優であることも改めて確認できました。彼女のしっかりした骨格がトラムの車掌の姿、裁判所での佇まいをきちんと格好良く見せてハンナの真面目さを表していました。そして繊細で戸惑いつつ決断する彼女の表情の豊さに引き込まれました。
原作が出てすぐ読み、私は主人公の男(ミヒャエル)に非常に怒りを覚えこの本が大嫌いになりました。もっと言えば許せませんでした。それがこの映画を見ていなかった理由の一つです。
映画では、マイケル(原作:ミヒャエル)役のデビッド・クロスがギムナジウムに通うまだ15歳でお行儀よく誠実で、初めての愛と経験にのめり込む男の子を可愛らしく素敵に演じていました。お家はインテリ。思春期の息子を見守る両親も良かったです。母親はその後もずっと息子を見ていました。ハイデルベルク大学で法学専攻になってゼミを受け、ハンナがまさに被告である裁判見学の時のマイケルの苦悩もまっすぐ伝わりました。
大人になり弁護士になってからのマイケルを演じたレイフ・ファインズも良かったです。ただ、なぜ返事を書かなかった?学習して文字が書けるようになった人と文通するなんて問題外とインテリのあなたは思ったのでしょうか?或いは「ナチ」と無関係でいたかったのでしょうか?あなたはどういう「弁護士」?
妻と離婚後も娘とはいい関係を持ち、ハンナが涙を流していた教会に娘を連れ「僕が15歳の時に…」と娘に語るという設定は懺悔でもあり美化と逃げも絶対あるでしょうが、悪くないと思います。というか許します。
ただ、釈放されることになったハンナに15歳の夏以来初めて再会して、彼女と交わした言葉と彼女に尋ねた内容を除けば、です。私がハンナの立場であれば彼女と同じ選択をしたでしょう。
評価の高かったこの映画を見ていなかったもう一つの理由は、原作がドイツ語で極めてドイツの話なのに映画での言語が英語だったからです。ベルリンの街も郊外(ポーランドやチェコでロケをしたのでしょうか)も明らかにヨーロッパ北部の風景でした。ブラジャーにアイロンかけるのも、体を洗うのに使うのが封筒型のタオルであるとか、法学専攻学生は学内でもネクタイしているとか、誕生日は何にもまして大切であるとか、恐らく今でもドイツで普通のことを細かく再現して映していたのは本当に良かったです。でも、あのナチ関連の裁判が英語でなされたこと、ハンナに朗読する作品は色んな言語が原作であっても全部英語だったのは非常に残念でした。裁判は言葉が命、そして朗読はドイツ文化の一つだからです。
でも、良かったです。
法学の教授がブルーノ・ガンツ!裁判で発言した、母と共に生き残ったユダヤ人役の可愛い娘がアレクサンドラ・マリア・ララ(「ラッシュ」でニキ・ラウダの妻役、「コリーニ事件」では主人公の父親代わりの娘役)!嬉しかった。
おまけ
思わず笑ってしまったのは石炭持って来いの指示。案の定、マイケルうまくできず顔が真っ黒。「アンモナイト」もそうでした!
場面場面で涙が溢れ出ます。
初回は映画館で。その後書籍も買いました。何回かレンタルやVODでも見ています。37歳になった今、涙が止まりませんでした。また次に見た時、涙が出るかは分かりません。それがまた面白いですよね。
全ての登場人物、その行動一つ一つ、合点がいくんです。最後まで素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
「じゃあ、どうすればよかったのですか?」
ホロコーストの看守として職を得たハンナは殺人を犯したのか?
キツい差別の中で育ったロマ人のハンナ
この時代に生まれてないので
自分の身に置き換えて考えられないんだけど
神と自分に正直に生き抜くことが出来たのだろうか…
いや、無理だよね
前半は少年と女性との肉体関係だった
ご褒美は彼女に本を読んであげること
その頃車掌をしていたハンナが勤務態度を認められ
事務職としての昇進を持ちかけられるが…
そこから話は飛んで
ホロコースト時代のハンナの罪が裁判にかけられている
法律を学ぶ学生になっていた少年は
偶然居合わせた傍聴席でハンナが非識字者だったことに気付く
私たちはそのシーンで ハンナがあの時昇進をけった理由が分かる
よく出来た映画
「タイタニック」は観ない派だけど
ケイト・ウィンスレットは好きだわ〜
切実な目が好き♡今回のしなびれかけた美しさも素晴らしかった
TSUTAYAのお薦めで鑑賞
鑑賞後、しばらく感想が出てこなかった。
正直好みの作品だったか否かすらわからない。ケイト・ウィンスレットも「タイタニック」や「エターナル・サンシャイン」の頃とずいぶん印象が違い、今更ながら時の流れを感じた。
ただ映像美と少年時代のマイケルの葛藤は印象深く、評価された作品の格を感じた。
そして、20年前に観た「マレーナ」を思い出した。
すごく好みな内容です。 言葉で表現せず、気持ちを演技・演出で表して...
すごく好みな内容です。
言葉で表現せず、気持ちを演技・演出で表してます。
物語の終わり方とてもいいです。
年上の女(ひと)。
時代背景はドイツの戦争がありドイツ人がユダヤ人を殺めた時代。
青年が、年上の女性に惹かれて関係を持つ。若い一時の出来事かと思っていたが…。
その後、彼は別の女性と結婚しましたが彼女のことが忘れられなかった。彼女の精神的な関係のほうが彼にとっては居心地がよく安心できる存在。彼女も彼を愛しているのに年上ということもあって言えずに…。怒ることも。
刑務所の食堂で面会したとき胸に込み上げるものがありました。何十年ぶりかに再会して嬉しさと喜びがあったと思う。彼に会って昔の彼ではないと思ったのかも。また彼に迷惑かけたくなかったのかもしれない。
彼は最後まで彼女に寄り添うことはなかったけど。彼が娘と愛した彼女のお墓に行った時は何か救われた気がしました。
やるせない映画
第二次世界大戦の終戦時のドイツの話だが、最初、登場人物がみんな英語を話している事に混乱したし、そういう映画だと分かってからも違和感があった。それも何故かドイツ語訛りの英語。この映画で文字は非常に重要な物なのに。名前も主人公の名前が「マイケル」って…。調べたところ、映画を見た人が当事者として身近に感じる為だとか。(アメリカ人を対象にしてるのか?) どうもこの理由に納得出来ず、ケイト・ウインスレッドを使いたかったからなのかと思ってしまった。彼女の演技は素晴らしかったけど。
原作では女性がロマという設定なのに、映画ではドイツ国民の1人として描かれているのも、見た人が当事者として考える為という理由らしいが、文盲だという事でユダヤ人同様迫害されていたロマだとバレる危険があった状況と、ただの羞恥心とではちょっと受け取り方が変わって来る。
映画を見ながら主人公の男の行動に対して、早く彼女の助けになるなる行動を取ってほしい、彼女の存在が大きいという事をちゃんと彼女に表現して欲しい、等、やきもきした気持ちになる。
それでも自分はこの映画は美しくて好きだ。割り切れない気持ちになるが、そこも含めて良い映画だと思う。良い暮らしなんて出来なかった彼女が渡した物と、裕福なユダヤ人の元被害者の対比がまたなんとも言えない。
戦争で誰が悪かったと決めるのは難しい。ただ彼女を憎悪して非難する立場のドイツ人が今の一般的な人達(ドイツ人に限らず)だが、そこを考えさせてくれる話だ。
【人間の善性と自覚なき悪性と、知性との関係性をある側面から描いた哀しき作品。自分の尊厳を保つために、知性無きことを恥じ、隠したために起きた事の悲劇を描いた作品でもある。】
―多くの第二次世界大戦前後のナチスドイツを描いた作品で表現されるSSは残虐極まりない人々として描かれている。が、今作は別の角度からSSとして働いたある哀しき女性の生涯を描き切った作品。-
■今作の印象的な部分
<前半>
1.15歳のマイケル少年が、一夏、年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)との交情シーンや自転車での小旅行も含め、楽しく過ごす姿。
取り分け、マイケルがハンナに”オデュッセイヤ””チャタレイ夫人の恋人””タンタンの冒険””犬を連れた奥さん”といった多種多様の本(漫画)を読み聞かせるシーン。
”貴方は、朗読が上手ね・・”
2.ハンナの真面目で頑固な気性が分かるシーン幾つか
・”チャタレイ夫人の恋人”のマイケルの朗読を途中で遮るシーン。
・路面電車内での、真面目に働く姿。
ーそして、彼女はその働きぶりを認められ、事務係に昇進し、マイケルの前から姿を消す・・。-
<中盤>
3.大学の法科に進学したマイケルがローチ教授(ブルーノ・ガンツ)のゼミの一環で、ナチスの裁判を傍聴するシーン。久しぶりの傍聴席から見るハンナの姿。激しく動揺するマイケル。
裁判長から語られる彼女を含めた女性看守たちが、ユダヤの人々に行ってしまった事。他の女性看守が自らの罪をハンナに被せようとする姿。ハンナは“看守としての仕事を全うしただけ”と答えてしまい・・。
ーマイケルは、その時ハンナの”ある事実”を知るが・・。(煩悶するマイケルの姿。)そして、同じゼミの女性と恋仲に落ちるが、ハンナの事が忘れられず。-
<後半>
4.無期懲役を言い渡されたハンナに届けられる大量のカセットテープ。震える手で再生ボタンを押すハンナ。
ーレイフ・ファインズが演じる成年になったマイケルが次々に且つて自分がハンナに読んで聞かせた本を朗読し、カセットテープに録音する姿。刑務所でそれを聞くハンナの姿は可成り沁みる。
又、ハンナがマイケルの朗読を聞きながら、独学で文字を学ぶシーン。そして、拙い手紙をマイケルに書くシーンも可成り沁みる。
幾つになっても、ハンナがマイケルを優しく“坊や”と呼ぶシーンも。-
5.釈放が決まったハンナが取った行動・・。
<今作でハンナが犯してしまった罪は到底許されるものではないが、従来のナチス映画では得られない類の哀しき思いを抱いてしまった作品。
又、人間の善性と悪性と知性との関係性も考えさせられる作品でもある。>
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