我が道を往く

劇場公開日:

解説

1945年度のアカデミー賞獲得作品である。「明日は来らず」の監督たるレオ・マッケリーが原作、監督を担当、フランク・バトラーとフランク・キャヴェットとが共同で脚色したもので、撮影監督は新人ライオネル・リンドンである。主演はパ社の音楽映画でおなじみのビング・クロスビーで、彼はこの映画でアカデミー演技賞を与えられたそうである。彼の相手役は未封切の「チョコレートの兵隊」でネルソン・エディーの相手をしたメトロポリタン・オペラの新進スター、リーゼ・スティーヴンスで、その他にバリー・フィツジェラルド、フランク・マクヒュー、ジーン・ロックハート、ジーン・ヘザー、ポーター・ホール等が共演する。映画の中で唄われる歌はジミー・ヴァン・ヒューゼン作曲、ジョニー・パーク作詞の “Going My Way “Swing on a Star “The Day After Forever の他に、グノーの「アヴェ・マリア」、カルメンの「ハバネラ」、「アデステ・フイデレス」「静かなる夜、聖なる夜」及びジェイ・アール・シャノン作曲作詞になる “Too-Ra-Loo-Ra-Loo-Ral Ral That's an Irsh Lullaby 等がある。

1946年製作/アメリカ
原題:Going My Way
配給:セントラル・フィルム・エキスチェンジ
劇場公開日:1946年10月2日

ストーリー

ニューヨークの西49丁目の人気の悪い町にあるセント・ドミニック教会のフィッツギボン牧師の許へ、運動と音楽の好きな若いチャック・オマリイが副牧師として赴任して北。オマリイは最初色々と失敗をして、信徒の評判を悪くしたが彼の親切は次第に人々の信頼を深めるようになった。彼はまず金棒引きのクインプ夫人が家主ともめ事を起した時そを円滑に解決させトニー・スカボニとハーマン・ランガーハンクが事件を起こした時には叱責する代わりに彼らの仲間一同を野球見物に招待し、彼らを従来のギャングから、教会専属の素人劇団に育て上げた。キャロール・ジェームズという家出娘には旅費を与えて帰郷させた。近所の悪童たちはオマリイの指導で合唱隊に組織された。フィッツギボン牧師は僧正がオマリイを牧師に昇進させたいと望んでいることを悟り、オマリイを後任者に推薦して雨の中へ姿を消したが、やがて牧師は疲れ切って教会へ帰って来た。オマリイは牧師を寝室に寝かせ、アイルランドの子守唄を唄ってきかせる。ある晩オマリイは合唱隊の少年たちを芝居へ連れて行った帰り途で、田舎のオペラ女優ジュヌヴイエーヴ・リンデンに逢う。リンデンはメトロポリタン劇場で「カルメン」の主役を勤めているのである。次の日オマリイはキャロール・ジェームズに再会し彼女が家主の息子テッド・ヘインズと結婚したことを知る。教会は財政が苦しかった。オドード牧師とジュヌヴイエーヴとは援助しようと申出で、オマリイ牧師の作曲を買い、ジュヌヴイエーヴ合唱隊を全国巡業に連れ出した。そのお蔭で教会は担保流れになることを免れたが、オマリイとフィッツギボン牧師が心祝いの宴を張っている最中、出火によって教会は全焼してしまう。オマリイは落胆せずバラックを建てて新教会建設の計画を進める。クリスマスの前夜、ジェニー・リンデンと合唱隊が帰って来た。テッド・ヘインズは飛行隊の中尉となり、愛妻キャロールを伴って出席する。フィッツギボン牧師の40年間会わなかった老母がアイルランドから訪ねて来る。「アヴェ・マリア」の合唱が感激をもって唄われる。オマリイは他の貧乏教会に行くことになり、オドードがフィッツギボン牧師の新しい助手となり、ジェニー・リンデンは彼女の巡業公演に出発するのであった。

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受賞歴

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映画レビュー

4.0心地良すぎてうっとり眠くなる

2021年4月20日
PCから投稿

観る者を裏切らない精神が宿った作品。
1944年って、よくわからないけれど、
レトロなアメリカの町並みが映画ポスターみたい。

全体的には聖歌が中心で、心地良すぎてうっとり眠くなる。

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miharyi

3.5アメリカ的なヒューマニズムを謳い上げた時代の産物にして良心作の清明さ

2020年12月11日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

太平洋戦争終結の翌年1946年に本邦初公開されたアメリカ映画。戦争の最中に、ヒューマニズムを静かに語り、人間啓発として臆することなく堂々と提示し、そして自由を謳歌するアメリカ映画の時代が生んだ良心作。レオ・マッケリー監督は特に傑出した演出技巧を備えてはいないが、平明な物語を丁寧に構築する職人肌の安定した作風の持主と見る。主演ビング・クロスビーの明るいキャラクターと歌の上手さ、名脇役バリー・フィッツジェラルドの独特な味が憎めない人の良さを漂わす老神父を楽しむ作品。ただ再開した戦後初のキネマ旬報ベストテンでは大差をつけてベスト1に選出されているが、あくまでGHQに占領されていた時代の評価であり、批評家たちの忖度が強く感じられる。または、敗戦からの復興を目指した当時の日本人が励まされ勇気付けられる意味合いで好感度高く捉えられたからかも知れない。どちらにしても、ルノワール監督の「南部の人」、ヒッチコック監督の「疑惑の影」、デュヴィヴィエ監督の「運命の饗宴」より優れた作品ではない。最も厳格な鑑識眼を持つ批評家飯島正氏がベスト1に選んだことが、個人的には腑に落ちない。
1983年 9月16日

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Gustav

3.0善人だけの映画の限界も

2020年7月18日
スマートフォンから投稿

アカデミー作品賞他多数部門受賞、
キネマ旬報第一位作品とのことで期待して
鑑賞。
しかも内容は自分好みの
“爽やかなgoing my way作品”のはずだった。

しかし何故か作品に充分に入り込めない。

私は映画の価値基準を、
“リアリティのあるストーリー展開”と
“ヒューマニズムに裏打ちされた社会テーマ性”に置いています。

この映画、教会を舞台にした
幅広い再生の物語は
“ヒューマニズムに裏打ちされた社会テーマ性”についての要素は充分でした。

しかし登場人物の全てを善人にしてしまった
ことによって結果として
“リアリティのあるストーリー展開”
の要素を失っていることが
入り込めなかった原因に思えた。

主人公の己への悩みの無い全てに達観
したような能力と活躍、
主人公の優しさに少し触れただけにしては
何故か急速に結婚まで進む不動産屋の息子
の家出娘との恋愛物語、
幼なじみのオペラ歌手との突然の再会と
教会再建への献身、
そもそも唐突に教会が焼けるのは
神父と教会の再生を導くためなのか。

それらは登場人物が善人ばかりのために
もたらされた結果か、
話の展開が自然さに欠け、
全てが都合よくストーリーを繋いでばかり
いるように感じてしまう。

例えば「素晴らしき哉、人生!」では
悪徳銀行家の存在があり、
その対比として
悩める主人公ジェームス・スチュアート
の善人性と周りの人々に及ぼす善性が
生きてくる訳で、
それが不自然の無いストーリー展開
と相まって、あの感動のラストシーン
に繋がっていると思う。

世間の評価の高い爽やかな映画ながら、
善人だけで構成した結果が
ストーリーの平板さをもたらすと共に、
リアリティを欠いているよう思われ、
私には少し乗れない作品になってしまった。

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