劇場公開日 1968年5月11日

「“彼らはたまたまそこにいただけ”と済まされては…」冷血 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0“彼らはたまたまそこにいただけ”と済まされては…

2024年2月26日
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鑑賞方法:DVD/BD

アメリカ文学と映画の関連についての書籍で
この作品が採り上げられており、
原作も、と思いつつも未読だった中、
やはり未鑑賞だったカポーティ原作の
映画化作品を先に初鑑賞することになった。

この映画、作品の中での言葉を借りると、
“相乗作用の犯罪、
2人が融合した第三の人格が犯した犯罪”
と分析される凄惨な事件が
淡々と重苦しく展開した。

私には、“サッコ=ヴァンゼッティ事件を描いた
「死刑台のメロディ」が思い出され、
無罪で処刑された2人が、
この作品での2人と同じ絞首台への経験を
したのかと思うと胸が痛くなった。
死刑制度そのものの是非については、
最終版での記者の遣り取りでも語られるが、
少なくとも政治的な思惑や
事実に基づかない処断は絶対に避けなければ
ならない等の想いが複雑に交錯した。

それにしても、犯人の一人の
“彼らはたまたまそこにいただけ”との台詞
には愕然とされられる。
ロシアによるウクライナ侵攻当初の
ブチャでの虐殺やガザ地区での犠牲が
“住民がただそこに居ただけだ”と済まされては
とても納得出来るものではない。

この作品のリチャード・ブルックス監督
については、
「熱いトタン屋根の猫」
「エルマー・ガントリー」
「プロフェッショナル」
等を観てきていたのだが、
各作品に共通する彼の作風が何なのかを
感じられない完成度が、
これらの作品が“ブルックス映画”との認識が
無いままに観てきていた原因だったかも
知れない。
しかし、この作品は、
カポーティの原作の力なのかは分からないが、私にとっては一番見応えのある
ブルックス作品となった。

さて、この作品はカポーティが
“ノンフィクション・ノヴェル”と銘打った
こともあり、彼は登場しないが、
一方で、フィリップ・シーモア・ホフマンが
カポーティ役として登場して、
アカデミー主演男優賞を獲得した
映画「カポーティ」があり、
この作品との比較が楽しみになってきた。

KENZO一級建築士事務所