劇場公開日 1991年2月16日

「”愛”の意味を問いたくなる。」ミザリー とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0”愛”の意味を問いたくなる。

2023年3月26日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

推し活。
カスタマーハラスメント。
パワハラ。
DV。
虐待。
毒親。
 この映画の成り行きが、映画や小説の突飛な話ではなく、現実にもあることが、なんとも恐ろしい。

アニー。
 自分自身でもコントロールのできない感情の起伏。
 それが、人から嫌われる原因と反省はするものの、それが自分自身を孤独に追いやっていることはわかってはいるものの、だからなおさら、自分自身を追いつめ、抜け出せないラビリンスとなっていく。
 寂しい自分、惨めな自分。それを埋め尽くすための”推し”。
 「こんなに尽くしているのに、感謝すらしない」その言葉の虚しさ。
 尽くしているつもりの、”自分の正義・欲望”の押し付け。
 称賛しまくる時・親身になる時と、恐怖に従わせる時と。丹精込めたものへ仕打ち。
 「あなたならできる」その言葉が異様に怖かった。
 そして、望みのものを得られた時の、あの表情。
 映画では、大人の男相手だったから、相手はその異様に気づき、なんとかその支配から抜け出そうとするけれど。
 子どもなら、あのとろけるような笑顔を”愛”と勘違いしてしまうのだろう。

 事故から助けてくれた恩人。優しい笑顔。心のこもった看護。でも、え?連絡していない?些細な違和感を忍ばせる。
 そして、急転直下。地獄へと変わる。
 精魂込めた作品を…。身が切られるように辛い。
 くるくる変わる表情・態度。機嫌がよいと思ったら。残酷無比な様相を見せるかと思ったら。反省して気落ちする場面も。文句を言いながらも、ミザリーのために動くその姿。たんなる情緒不安なさま・パワハラを見せつけるだけではない。「No.1のファン」として、”ミザリー”の成り行きに、一喜一憂する様は、”推し”のことで、一喜一憂するわが身と重なり、”かわいい”とも、ああこの気持ちわかると思ってしまう。だからと言って、大方の人間はあんなことはしない。”推し”を”大切”にする思いについては、袂を分かつ。そんなふり幅の大きい狂気を、”一人の人”としてまとめ上げた、脚本・演出・演技に拍手。そう、人格が分裂した人とか、多重人額ではない。どの思いもアニーその人。唸ってしまう。
 そのアニーを受けるポールの一つ一つの表情が秀逸。一見やられっぱなしで媚びている場面もあるけれど、決して心折れずに反撃・脱出のチャンスをうかがっている、本当の意味のタフマン。
 監禁から抜け出す方法が成功するのかというハラハラドキドキ。保安官がどうやって見つけれくれるのかというワクワク。成功したかに見えて、というところがリアル。そしてラストの大乱闘の前の、復讐の仕方も胸がすく。大乱闘も長く見えるが、ホラー的要素もあり、引っ張ってくれる。最後にも出てくる”豚”のブロンズという小物へのこだわりがまた憎い。
 そして、レストランでの会話からのエンディング。ホラーが永遠に続く。こういう事件にあわれた方の心の傷=PTSDを表しており、苦しくなる。

 映画としては秀逸。
 雪山の中の一軒家。舞台も整っている。
 そして、この密室劇ともいうべき中で二人の俳優がこれ以上の無い名演を繰り広げる。
 息詰まる密室の外では、ちょっとおかしみのある老保安官夫婦が動き、アンサンブルを奏でる。
 これ以上の無い媚薬。

 でも、実生活で、こういう関係性の加害者・被害者とお会いしているから、映画が絵空事に見えなくて、映画を楽しむ気分になれない。苦しさだけがリフレインする。

とみいじょん
2023年4月1日

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美紅