マトリックスのレビュー・感想・評価
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今なお色褪せない、知的で革新的なSFの金字塔
『マトリックス』は、公開当時の1999年に一般の人々をぶっ飛ばした革新的な作品だ。その異常な人気は今でも鮮明に覚えている。確かに一部では「攻殻機動隊のパクリだろ」との声もあったが、ウォシャウスキー兄弟(当時)が『AKIRA』や『攻殻機動隊』からの影響を公言しつつ、リスペクトを込めて作ったのが伝わってくる。だから、パクリなんて雑音はすぐ消えた印象だ。『攻殻機動隊』が大好きな自分にとって、この映画を好きにならないわけがない。ぶっちゃけ、4年前から『攻殻機動隊』や『エヴァンゲリオン』などで脳を仕込まれていたおかげで、難解と言われた設定にもスッと入り込めた。そのため、当時の視聴時点で☆4.5だ。
緑のデジタルラインやバレットタイムの映像表現は、当時本当に革命的だった。あのスローモーションのアクションは一時期どこでも真似されまくったし、今見てもカッコいい。エージェント・スミスのあの無機質な迫力も最高で、今なお『逃走中』でネタにされるくらいの存在感だw キアヌ・リーブスのネオ、モーフィアス、トリニティの配役も完璧。誰一人としてハマり役じゃない奴がいない。
ストーリーは、知的で興奮が止まらない。「現実とは何か」「自分とは何か」というテーマを、アクションと哲学でガツンと叩きつけてくる。
ラストには『攻殻機動隊』のラストのセリフ「ネットは広大だわ」とリンクしてしまいそうなシーンで終わり、スピンオフかな?みたいな感覚で劇場を出たのは良い想い出。
今となっては監督のウォシャウスキー姉妹(現在)が、映画のテーマみたいに自分たちも「目覚めちゃった」のは、なんとも皮肉なオチだなw それでも、この映画の輝きは色褪せない。SFアクションの金字塔として、今見ても十分楽しめる一作だ。
今観ると、ちょっと違ってみえる面白さ。
NHKBSP4Kで録画鑑賞。来週はリローデッド、その次はレボリューションズと続くらしいので、楽しみ。
もう26年前にもなるのか…。まさに20世紀末。
劇中では電話が健在で、まぁそれは仮想空間なんで、いつになっても「あえてレトロな世界ってことで」という言い方もできるのだが、当時は、ネットは電話回線で繋いでいたので、個人的に違和感はない。
それより、不思議なことに当時は最先端映像と思っていたのに、今観ると、どういうわけか全体からレトロフューチャーな印象を感じて面白かった。
AIが人類の知性を超えると言われる「シンギュラリティ」は、2045年と言われてきたが、昨今の急激な進化で、もっと前倒しになるかもなんて話も聞く。
そんな中で、AIを相談相手にしている人の割合の多さとかのニュースに触れると、劇中の裏切り者のサイファーみたいに、案外、AIに支配される世の中を肯定的に考えている人の方が多いのでは…と思ってしまう。
覚醒したネオの最強っぷりは痛快。
次回作からは未見なので、楽しみにしたい。
先見の名がありすぎ!
すべて機械の思惑通り
多少がっかりしたのはウォシャウスキー兄弟が性転換して姉妹に
英語と映像の教材として改めて観たが、畳み掛けるプロット、当時として見た事もない撮影方法、AIの影響が世の中に現れ始めた現代に観たら、感動しましたよ。
救世主か、そうじゃないか、いややっぱり、と迷ったあげく劇的に弾すら止めるあたりは、宗教と漫画のいいとこどり
唯一、多少がっかりしたのはウォシャウスキー兄弟が性転換して姉妹になった事です。
信じる力が救世主
世界観の作り込みとアクションシークエンスのこだわりがすごい!
本作の至る部分がマトリックス以降の作品に絶大な影響を与えているんだなぁと感じたが、20年以上経っても私が見たことある作品では超えられてないように思った。
ネロとトリニティのガンシークエンスが音楽と相まって最高だった。スローモーションって上手く使えばそれだけでこんなにカッコいい。
ai、資源の使用、ウイルスの拡散、現代の問題と全く変わっていない、人間は環境と共存する能力がない点では哺乳類ではなくウイルスというのは面白かったし、現代人の感覚だとサイファーの選択に共感する人間も多いのかなぁとは感じた。無知の幸せか、現実と戦うか。独身の頃は赤い薬だったかもしれないけど、今は青い薬かもなぁ
アクション映画としてだけでないメッセージ性や細部のこだわりが製作者の愛が感じられた。
今作ったら、もっと現実の問題と向き合おうとか、そうゆうメッセージを終盤に入れてきそうだけど、ド派手に終わっていくこのバランスもいい。
ai側の無能さはご愛嬌
パーフェクト
20年以上ぶりに再鑑賞
なんとなく思い立って再鑑賞。
子どもの頃見た時にはアクションシーンがとにかく楽しくて、ストーリーそっちのけでアクションばかり見ていた。話の内容は当時全然理解していなかったのだが、大人になってから見直すと逆にストーリーがすごく面白かった。
今見ているものが夢なのか現実なのか、よくわからなくなる感覚は私もたまに陥るので、序盤のシーンの気持ちはけっこう分かる。今あなたが生きてるの仮想現実ですよ、って言われても割と素直に受け入れられそう。
なので有名な赤い薬と青い薬、自分なら赤い薬を軽率に選んでしまうと思う。そして後々に大後悔し、さりとて仲間を裏切ってでも全て忘れたいという決意もできず、べちゃべちゃの飯を食いながらズルズルと、本物のしかし危険で喜びのない現実を1日ずつ消化していく。
というところまで想像してちょっと暗い気持ちになった。
自分だったら〜とか、その世界線に入り込んだ先のことを想像をさせてくれる作品は素晴らしい。
今だからこそ
超名作SFアクション大作を改めて観たわけですが、今だからこそ考えさせられるお話でした。
公開当時、AIについての知識もないし、「仮想現実」なんて言われてもなんのこっちゃな感じで…とにかくかっこいいアクションに釘付けになっていた記憶。銃撃戦の凄まじさは大迫力で今観ても圧倒されます。スタイリッシュなアクションシーンは全てが名シーンと言っていい程印象的。
CGによる表現の面白さが際立ちます。ヘリがビルに突っ込む瞬間や、大量の武器がズラーっと並べられるシーン、超有名な弾を避けるシーンなど観る者の目を楽しませてくれます。
ストーリーのテンポも良く、スリリングな展開が続く中で、「現実とは何か」「自由とは何か」という哲学的なテーマが巧みに織り込まれています。「赤い薬」と「青い薬」の選択は、作品公開以来、さまざまな議論を巻き起こしてきました。自由を選ぶか、無知の幸福に留まるか。もし私なら…青い薬を飲んでしまうかもしれません。
現代において今作の世界観は身近なものとなってきています。すでに人間はAIの力に頼り、考える機会を減らしてきています。AIに管理され、責任を負うことのない楽な生活はそこまで来ている…私はそんな気がして恐ろしくもあり、「個」や「自由」を失ったとしても楽になりたいとも思うのです…。
今作における「選択」はメッセージの一つであり、観た者に哲学的問いを強烈なまでに残します。現代だからこそ、観るべき作品なのではと思いました。
選択が映し出す現代社会の姿
映画『マトリックス』の象徴的な問いかけ、「赤い薬(真実)」と「青い薬(偽りの安らぎ)」は、単なるフィクションの枠を超えて、時代の価値観を鋭く映し出す鏡となっています。
ある米国の大学教授が、この選択を学生たちに投げかけたところ、00年代初頭では圧倒的に「赤い薬」を選ぶ声が多かったそうです。真実を知りたい、現実を直視したいという意志がそこに感じられます。しかし、2017年にトランプが大統領に就任されるより少し前ぐらいから、「青い薬」を選ぶ学生が多数派となっているという話には、思わず考えさせられます。
SNSや検索エンジンのアルゴリズムは、私たちに“心地よい情報”を絶え間なく提供します。見たいもや聞きたいものを表示させる。その結果、現実との乖離が進み、安らぎに身をゆだねる傾向が強まっているのかもしれません。これが個人の選択にとどまらず、選挙結果や世論の動向にも影響を与えているのだとしたら、その重みは計り知れません。
『マトリックス』の問いかけは、単に映画の中の哲学にとどまりません。いまや情報に囲まれた私たち一人ひとりの選択の在り方、そしてそれが作り出す未来への警鐘として、ますます重要な意味を持つものになっています。この映画が20年以上経った今も色褪せず、むしろ深みを増している理由がここにあるのではないでしょうか。
赤か、青か。どちらを選ぶのか。その問いにどう向き合うかで、私たち自身の「現実」が形作られる時代が来ています。
仮想世界で生きる!人間と機械の共存する世界!
当時、とてつもない評判だったこの映画。
私もつい評判作には興味が引かれ、映画館に行ったのを覚えています。
もう20年以上前の作品で、どのシリーズも人気作だとか。
マトリックスは仮想世界で生きる人間と、機械の共存に巻き込まれた主人公が人類の命の選択を迫られる、白熱したアクション映画。
当時話題となったあの銃弾を避けるシーンは誰もが真似したのではないでしょうか。
今となっては、AIの技術が進んだり割と近い未来であり得るのでは、、と思うような世界観が、また改めて観る側の興奮を掻き立てられました。
主人公のネオが救世主と呼ばれ、人類の命が自分の選択によって決まるシーンは手汗握る感覚でした。
この感覚は起業家として仕事をする中で、日々感じている感覚と似ています。
自分の選択によって結果が変わる瞬間は、いつもドキドキしますし、その選択を正解にするために日々奮闘しています。
どの立場でも人間は選択する生き物でその選択の結果は自分が決めたことによるものだということを自覚することが大事だと、映画を通して感じました。
久しぶりに懐かしい映画を観ると、当時と違った受け取り方ができるのも楽しみのひとつですね。
キアヌにほれぼれ
知らず、救世主の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に救世主と為れるかを。 インフォームド・コンセントが徹底されていればこんなことには…。
仮想現実世界「マトリックス」を舞台に繰り広げられる人間と機械との戦いを描いたSFアクション『マトリックス』シリーズの第1作。
大手ソフトウェア企業に務めるプログラマー、トーマス・アンダーソン。彼には天才ハッカー「ネオ」という裏の顔があった。ある時、何者かからパソコンを通してメッセージを受け取ったネオは、それに従い「白ウサギ」を追いかけるのだが、それを境に彼の”日常”は終わりを告げる…。
主人公トーマス・アンダーソン/ネオを演じるのは『マイ・プライベート・アイダホ』『スピード』のキアヌ・リーヴス。
ネオを導く謎の男、モーフィアスを演じるのは『地獄の黙示録』『ボビー・フィッシャーを探して』のローレンス・フィッシュバーン。
👑受賞歴👑
第72回 アカデミー賞…音響賞/編集賞/視覚効果賞/音響編集賞!✨✨✨
第9回 MTVムービー・アワード…作品賞!
『トゥルーマン・ショー』(1998)、『ファイト・クラブ』(1999)、『アメリカン・ビューティー』(1999)など、ふやけた日常からの覚醒を促す自己啓発系映画の名作がポコポコと生まれていた世紀末。その中でも最大のヒット作といえばコレ!難解なストーリーと奇抜な革新的映像に世界中が驚き、その後数多のパロディやオマージュが作られるに至ったSF映画の金字塔である。
子供の頃は非常に知的で高尚な映画だと思っていたのだが、今改めて鑑賞してみてその感想は180°変わった。これめちゃくちゃボンクラ映画じゃん!!
カンフー、ガンアクション、旧約聖書、サングラスにロングコート、『攻殻機動隊』(1995)に『ターミネーター』(1984)に李小龍に…。中学生の大好物欲張りセットやんけこれぇッ!!
「スプーンは存在しない。在るのは自分自身だ」とか「己を考えるな、己を知れ」とか、なんとなく老荘思想っぽい哲学にコーティングされているから誤魔化されるけど、中身は超漫画っぽいというか、今流行りの異世界転生無双系そのもの。”赤い薬”とはオタクコンテンツの事だった…?
「バレットタイム」という『ジョジョ』っぽいスローモーション演出や、明らかにやり過ぎなワイヤーアクションなど、外連味のありすぎる映像表現は今見ても斬新。その後、本作のパスティーシュは山ほど生み出されたわけだが、やはり本物は一味違う。大真面目にバカをやる。これが1番大事なんだよねぇ。
カンフー・コリオグラファーに香港アクション界における本物中の本物、ユエン・ウーピンを配しているというのもニクい!ウォシャウスキーズ、分かってんな〜!✨本作がなければ『グリーン・デスティニー』(2000)も『キル・ビル』(2003-2004)もなかったかも知れないと思うと、その偉大さがよく分かる。
内容はカート・ヴォネガット・ジュニアの名作SF小説「タイタンの妖女」(1959)を彷彿とさせる。人間が高次元的存在により自由意志を奪われ、知らず知らずのうちに搾取されているという点でこの2作はよく似ていると思うのだが、「タイタンの妖女」が「わたしを利用してくれてありがとう。たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」という諦念を打ち出しているのに対し、本作は「利用されてたまるか。たとえ現実がクソみたいな地獄でも」という徹底抗戦のスタンスを取っている。ここにおいてこの2作は大きく異なっている訳で、「タイタンの妖女」に少々居心地の悪さを感じた自分からしてみれば、本作のメッセージの方がより素直に受け取る事が出来たように思う。
リアルからリアリティが失われている。こういう感覚というのは大小の差こそあれ、誰しもが覚えていることなのではないか。そのことに対し疑問を持ち、真実を突き止めるために世界と戦え、という本作のメッセージは力強く、灰色の日常を生きる観客を鼓舞してくれるはずだ。
ビジュアル面は確かに素晴らしいし、救世主による勧善懲悪なストーリーも面白い。テーマやメッセージにも共感出来る。しかし、よくよく考えると気になる点が山ほど出てくる。
まずもって言いたいのは、モーフィアスお前インフォームド・コンセントはしっかりしろよっ!!∑(゚Д゚)
「赤い薬を飲めば真実を知ることが出来る…」とか言われりゃ、誰だって赤い方を飲む。誰だってそーする。おれもそーする。
んでいざ飲んだら、なんか訳わかんない真っ暗な世界で、サイバーパンクな人たちと一つ屋根の下で暮らさなきゃならない訳でしょ?食い物だっておかゆみたいな訳わかんないドロドロしかないし。そりゃあの鬼越トマホークみたいな人も裏切りたくなるわ。逆によく9年間我慢したよ。
そこはモーフィアスが「この赤い薬を飲むと、訳わかんない暗い世界で一生おかゆ食って生活することになるけどそれでも良い?」って聞かないと。そうすりゃあの惨劇も防ぐことが出来ただろうに…。
とまぁコレは半ば冗談なんだけど、マトリックス世界で警官とか軍隊をバンバン殺しまくるのはちょっと納得がいかない。
「彼らは救うべき対象だが、システムは敵だ」という、一理あるんだかないんだかよく分からない理屈で撃ち殺しまくるんだけど、マトリックスで死ぬと現実でも死ぬ訳でしょう?警官たちはもちろん何にも知らない普通の人たちなわけで、彼らからしてみれば、厨二病全開なファッションに身を包んだテロリストに襲撃されたということでしかない。
「大義の為には多少の犠牲はやむを得ん!」ということなのか?いやそれをヒーローがやっても良いのだろうか?飛び交う弾丸と飛び散る粉塵の気持ちよさで誤魔化されるけど、あの警察署襲撃シーンは割とアウトな気もする。
ネオとトリニティーのロマンスもなんだかなぁ…。
この2人ほとんど接点ないじゃん!会話なんてほとんどしていないのに、いつのまにかトリニティーはメロメロ。「私が愛した人が救世主。だからあなたは救世主」という、宗教にどっぷり浸かったメンヘラみたいな事を言い出す。恋に落ちるという予言をされていたのなら、最初はめちゃくちゃ反目し合う仲だったのだが、任務をこなすうちにだんだんとその距離が縮まって…みたいな過程が必要。そこをすっ飛ばしてるから、運命に反抗する物語なのに恋愛は運命的みたいな、変な捻れを起こしてしまっている。
美男美女のロマンスがアクション映画には必要だという不文律が透けて見えるこの2人の恋愛には、なんだか座りの悪さを覚えてしまった。
確かにしっかりと面白いのだが、ところどころ首を傾げたくなる描写が散見され、それがノイズになってしまった。人間たちの聖地が「ザイオン(Zion)」というのも、ちょっと今のご時世だとアウトだよね💦
まあでも、小難しい『コマンドー』(1985)だと思えばこの大雑把さも許せるというもの。何より、この世界観の素晴らしさに心の中の厨二病が大喜び♪社会現象になったのも頷ける、エポック・メイキングな作品であることは間違いなし!!
※Netflixにて、吹き替え版で鑑賞。…したのだが、声優がテレビで放送されていたのと違ーう!!
キアヌ・リーヴスが小山力也というのは予想外だったが、結構合ってる。問題はエージェント・スミス。この吹き替えも全然悪くないんだけど、やっぱりスミスといえば大塚芳忠さん一択。あの声での「ご機嫌ようアンダーソンくん!」が聞きたかったー😭
唯一無二を感じる🕶
哲学的であり宗教的でもある
有名なSFアクション。
今となってはマトリックスという言葉が日常の会話でも使われるようになった。
脱線だが、1980年代に小室哲哉さんがリーダーの音楽グループ『TMネットワーク』が流行し始めた頃、ネットワークという言葉が今のように日常会話に登場するとは思いもよらなかったのに似ている。その先見性はネームにとどまらず作品全体に行き渡っている。
1作目は非常に面白い。
哲学的な要素だけでなく宗教的な面も併せ持っており、その相反する概念がまるで表裏一体かのような内容であった。
哲学的な要素として、この世界と言っているこの映画そのものが作られた仮想現実であり、映画の中で演じて生活している登場人物が、そこから次元の異なる現実世界に飛び出してくるかのように終わるラストは最高の描写で、そういった俯瞰視点が「世界とは何か、自分とは何者なのか」といった哲学的な思考で展開している。
宗教的な面として、現実世界に救世主が必要であるという背景はキリスト教を彷彿させるし、創造主の存在も匂わせるのである。また、信じることが出来れば覚醒するといった信仰心の大事さも訴えかけているようにも感じる。
当時の画期的なアクションやカメラワークが普通となってしまった今でも、ネオ(キアヌ・リーヴス)に感情移入しながら楽しめる作品。
映画史に名を刻む
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