劇場公開日 1964年12月1日

「内なる性差別に目を向けながら」マイ・フェア・レディ abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5内なる性差別に目を向けながら

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

貧しい花売りのイライザ(オードリー・ヘプバーン)が、言語学者のヒギンズ(レックス・ハリソン)に正しい英語の言葉使いを教育され、レディになるシンデレラストーリー。

言語が階級を秩序づける様がよくわかる。そしてその階級秩序をフラットにさせるためにー人間を平等にするためにー言語教育がある。しかしただ正しい言語が話せればいいわけでもなく、適した振る舞いや服装、メイクも身につける必要がある。その文化的な側面は生まれながらの階級に拘束される。なぜならその文化的なものをみつける経済的な条件や嗜好が階級に既定されるからだ。だからイライザのように上流階級のヒギンズに言語教育されながら、振る舞いも教えられ、社交界で好まれる服装を買ってもらわなければシンデレラストーリーは実現しない。
階級と文化は相互的に再生産し、関連はなかなかに根深く、教育されれば容易に階級移動ができるわけでもない。

また教育で果たされる平等に性別による平等もあげられるだろう。
しかしヒギンズは性差別主義者であり、物語を通して改善されるわけではない。しかもヒギンズは教育する立場である。だから性差別もかなり根深く、また無意識に身体化された差別である。

本作がいま制作され、公開されれば性差別発言のオンパレードであり、非難されるだろう。しかも男女二元論で異性愛主義に満ちた作品でもある。しかしこの作品は、第37回アカデミー賞で8部門も受賞された「傑作」である。

今の視点から断罪することは適切ではないと思うが、かつては「傑作」と評価した映画文化を、そこにあった問題点から目を背けてはいけない気がする。

田沼(+−×÷)