劇場公開日 1971年8月7日

「おもいでを 過ごした夏よ 甦れ」おもいでの夏(1971) shisyunさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5おもいでを 過ごした夏よ 甦れ

2008年10月21日

Gyaoで「おもいでの夏」という映画が掛かってた。かつて観たことがあるかもしれない。1970年アメリカ作品。もちろんリアルタイムではなかろう。ミシェル・ルグランの音楽は懐かしい。記憶に残っている。
 1942年の夏、戦火を逃れてニューイングランド沖合いの美しい島にやって来た少年ハーミー(ゲイリー・グライムズ)とその家族。とはいえ家族は一切登場しない。15歳の少年が少年としての最後の夏を送る、それが原題でもある「1942年の夏」の出来事。そこにはハーミーと、そこで知り合ったオシー(ジェリー・ハウザー)とベンジー(オリヴァー・コナント)という同い年の友人。そして、思春期の彼らの興味である女の子が登場すれば十分だ。けれど、そこに、小高い丘の家に住む美しい人妻ドロシーが登場する。
 よくある話といえば、それまでだ。例えば思春期映画「青い体験」などと比較されるのも仕方がなかろう。けれど、一般的によくある話だとしても、一人一人からすれば、少年のひと夏の体験は、その少年だけのものだ。そして、彼にとって、大きな分岐点でもある。そこをしっかりと弁えて描かれているからこそ、ありきたりでありながら、この映画は誰にも切ないのだ。そして、単なる一通過地点として記憶の底に埋没させてしまい毎日を送る人々に、自らの特異な分岐点、悔いなる杭がまたにょきにょきと頭を持ち上げてくるのだ。「あの夏、もし、そんな体験がなかったら」「その体験に、もしああしていたら」そんな空想がぬめぬめ染み出てくるのだ。
 それはキーワードが夏だとしても、実際の季節の夏ではないかもしれない。人妻ドロシーを演じるジェニファー・オニールは美しい。ハーミーとお相手をする同世代の女の子アギー(キャサリン・アレンタック)もけっして可愛くないわけではない。でも、ドロシーのご主人が赴く戦地からの悲報によりハーミーが体験するドロシーは、夏が終わる海のように切なくきらきらと輝いていなければならない。そして、私たちは、そんな輝きを忘れていたことに悔やまなければならない。悔やむことで、時間を遡る、そこへ立ち戻るということを可能にする。

shisyun