雨のなかの女

劇場公開日:

解説

自分自身を、愛を、結婚を考え直すために旅に出た新婚1年足らずの女の肉体と精神の内側をえぐった作品。製作はロナルド・コルビー、バート・パットン、監督・脚色は「フィニアンの虹」のフランシス・フォード・コッポラ、撮影はウィルマー・バトラー、音楽はロナルド・スタイン、編集はブラッキー・マルキンが担当。出演は「華やかな情事」のシャーリー・ナイト、「宇宙大征服」のジェームズ・カーン、「ブリット」のロバート・デュヴァル。その他マーヤ・ジメット、ローリー・クリューズ、ロバート・モーディカなど。テクニカラー、スタンダード。1969年作品。

1969年製作/アメリカ
原題:The Rain People
配給:ワーナー
劇場公開日:1970年12月19日

ストーリー

ある雨の朝早く、ナタリー(シャーリー・ナイト)は「すぐ帰ります。心配しないで」と置き手紙を残してロングアイランドの家を出た。結婚後1年が経つというのに、彼女はいまだに結婚生活に対する不安と不満、あるもどかしさを消すことができないのである。モーテルから初めて夫のビンセント(ロバート・モーディカ)に電話をした。「早くいい奥さんになりたいと思っているのに、どうすれば良いのか判らないの……」。夫はすぐ帰れと頼むが、彼女は不安の原因をつかむまで、当てのない旅を続けると答え、「私、妊娠したの……」と告げて電話を切った。あくる日、ヒッチハイクの若者キルギャノン(ジェームズ・カーン)を、ナタリーは車に乗せてやる。彼は陽気に、自分が学校時代フットボールの選手で人気者だったことを語り、今は学校時代の女友達を訪ね、仕事を紹介してもらいにいくと言う。その夜のモーテルで、ごく自然にナタリーはキルギャノンをベッドへ誘う。しかし、昼間の自慢にかかわらず、彼は駄目なのであった。彼の頭皮の薄い金属板の手術の跡が、それを示していた。フットボール試合の怪我がもとで、勉強はおろかセックス不能な体となり、涙金を貰って学校を追い出されたのだ。キルギャノンは黙って部屋へ帰った。あとには悲しみが残った。翌日の車の中で、ナタリーは彼から“雨族”の話を聞く。彼らは皆、雨でできていて、泣くと突然水になり消えてしまう。その雨族に彼女が似てるというのである。やがて女友達エレン(ローリー・クリューズ)の家へ着いた。彼女とキルギャノンの仲は学校中の評判だったのに、傷ついて花形の座を堕ちた彼に、エレンは冷たかった。散々侮辱の言葉を浴びせたあげく、ナタリーに彼を連れて去ってくれと言う。ひとり旅を目論んでいたナタリーは当惑した。パレードで賑わう町でわざと彼とはぐれて置き去りにするが、見失うとあわてて探す始末。ナタリーはこの男を愛し始めたのかもしれない。とにかく動物園飼育係の仕事口を見つけ、振り切るように逃げ出した彼女の車を、オートバイ警官ゴードン(ロバート・デュヴァル)が追ってきて、スピード違反で元の場所に戻れと言う。またキルギャノンと会うことになった。その夜、酒を飲み、興奮したゴードンは自分の住んでいるトレーラーハウスに、ナタリーを連れ込んだ。彼は妻を失い、娘をもつやもめ暮らしの武骨者だった。車から追い出された娘ロザリー(マーヤ・ジメット)は、キルギャノンと会話をする。少女と子供のような心の男の話は、雨族の話だった。一方、ゴードンはナタリーの体を求めてベッドに押し倒した。それを見ていたロザリーが悲鳴をあげた。キルギャノンが車に飛び込み、狂ったようにゴードンを殴りつけた。しかし、殴りつける彼へ声もなく弾丸を射ち込んだのはロザリーだった。意識不明になった父親にすがりつき泣くロザリーを後に、ナタリーは、満身の力でキルギャノンを自分の車へ引きずっていった。「もう何もこわがることはないのよ……。私が、私と夫がずっとあなたを家に置いて、面倒をみてあげるわ……」。しかし、彼はもう永遠の眠りについていたのである。(ワーナー配給*1時間41分)

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映画レビュー

3.5孤独で繫がった女と男の切ないロードムービーの脚本・監督コッポラの佳作

2022年1月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「ゴッドファーザー」のコッポラ監督作品だが、予備知識にはそれすら無く、同時上映の「ベニスに死す」を観るついでに出会えた映画。やはり映画を楽しむなら、余計な先入観を持たないで接するのが一番と思った。内容は地味であったが、小品ながらアメリカ・ニューシネマの良作だった。シャッツバーグの「スケアクロウ」やスレシンジャーの「真夜中のカウボーイ」を想起させる。

主人公は、結婚生活の枠からはみ出し、自我の再生の為に自由を求め旅に出た主婦ナタリー。この逃避とも取れる旅先で出会う一人の男が知的障害者。この女と男の不思議な組み合わせがいい。二人の旅が進む中で彼女の事情や、彼が何故そのように見える人になったかが分かってくる。そしてこの孤独な男の優しさが、彼女に沁みていくところが映画的。ストーリーを小説として読んでもいいが、これは生身の人間が演じてよりその表現の意図する本質に辿り着けるものがある。シャーリー・ナイトとジェームズ・カーン共に好演というより、役になり切った演技力を見せつけない自然な演技が作品を更に魅力あるものにしている。コッポラの脚本家としての特長が確かにある隠れた佳作。

  1976年 11月9日  早稲田松竹

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Gustav

3.5設定がすべてを支配しているようなー

2021年8月31日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

知的

ストーリー云々よりも設定ですべてといった印象。知的レベルで世界観が決められ、そして始まりと終わりが設定された…ような─。だから、映像というよりも、感情の揺れ動くさまを強く“見る”といったところでしょうか。
といっても、この映画は時代とかハリウッドとかプロダクションといった背景を知った上で、製作方法などをさぐって鑑賞するべきなのかも、それが正しいのかどうか微妙なところではありけれど。

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SH
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