劇場公開日 1961年1月21日

豚と軍艦のレビュー・感想・評価

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3.5豚の行進

2019年12月26日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

1961年今村昌平監督作。終戦後の横須賀ドブ板通りを舞台に養豚をシノギにしようとするヤクザ達と貧困に暮らす人々の物語。

若いチンピラ欣太を演じる長門裕之が実に良い。スカジャン羽織ってチャラいのがハマりまくり。駄目なヤツなんだけど憎めない。(やっぱり桑田佳祐に似てるw)
ヒロイン春子の吉村実子の美人じゃないとこがリアル。あと丹波哲郎はさすがの存在感。

展開やカメラアングルがとにかく力強い。クライマックスの豚たちの姿もパワフルかつコミカルでこんな画は見たことがない。そして今村昌平監督なので女性が強いのだった。
グツグツと沸き立つような熱量を感じた映画でした。

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散歩男

3.5題名の豚と軍艦とは何を意味しているのか

2019年10月11日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1961年1月公開、だから1960年に製作されたということだ
その年は60年安保闘争の年ということを本作を観るに当たってはまず頭に入れておかねばならない
そのような前提も予備知識もなく本作を観ても、21世紀の私達に一体どのような意義や意味を見いだせるのか、ましてや感銘や感動をもたらせることが出来るのか甚だ疑問だ

流石に今村昌平監督らしい映像と演出が観られる
当時のどぶ板通りの有り様を観ることができるのも貴重だ

題名の豚と軍艦とは何を意味しているのか
豚とは日本国民のことだ
従順に飼い慣らされ与えられた餌を貪欲に食べているのみの存在だ
やがて屠殺され食べられる運命に従うことも知らず只日々を生きているだけなのだ
そして軍艦とは、むろん横須賀に停泊する米軍の軍艦を映像で見せるのだが、本当の意味は日米安保という軍事同盟を指している

つまり題名は60年安保体制を受け入れた日本国民へのこれで良いのかというメッセージなのだ

60年安保闘争は6月に最高潮の高まりを見せたものの結局自然成立し、しかも11月の総選挙では自民の大勝に終わったのだ
国民は安保締結を支持しているという結果が露になった終わり方をしたのだ
60年安保は完膚なきまで敗北したのだ

米軍の軍属と癒着するヤクザは日本の体制側を揶揄しているものだ
ヤクザはスト基金を募る女工達の屋台を荒らして見せもするのだ

主人公の欣太はその体制側のクズだ
そのクズがクライマックスでは体制に武器を持って反抗するのだ
武装革命だ
豚の大群はどぶ板通りを爆進し体制側を追い詰めるのだ
国民は革命を支持し一斉に蜂起する光景を夢想しているシーンだ

春子は革命を先導して死んでいった恋人にバカヤローと罵倒する

それは画面を見ている60年安保闘争に敗北した当時の観客に向けられているものだ
与えられた安保体制を従順に受け入れた国民にも向けられたものだ

春子は米国には背を向け川崎の工場で働く事を選ぶ
彼女は米国帝国主義と決別し自主独立を目指すのだ

横須賀駅には横浜や東京から、当時は金を持っていた米兵と付き合う為に米国風に着飾った若い女性達が今日も電車が着くたびに大勢でてくるのだ
しかし春子はその女性達とは逆に駅に向かう
横須賀駅の長いホームが未来への方向を指し示している
それがラストシーンの意味するものだ

しかし21世紀の私達はその後の事を全て知っているのだ
春子のように工場で懸命に地道に働く人々の力で日本は高度成長を成し遂げ米国と経済で肩を並べるまでに至った
日米安保は結果的に東アジアの軍事的な安定をもたらし日本を戦争から守ったのだ
もし日米安保がなければ、逆に日本に戦争を呼び込んだであろう
戦争は軍事的な空白を埋めるのは自明の真理だ
平和憲法も逆説的に戦争を呼び込んでいるのだ
21世紀はその矛盾が露になっている

結果的に国民は賢明であったのだ

しかし本作の視線は豚として国民を愚弄しているのだ
この視座は現在の左翼の人々に受け継がれているのではないだろうか

売春は駄目だし他国の男に自国の女性が群がるのはやはり面白い光景ではない
しかし米兵を見る視線は戦前の鬼畜米英と同じ蔑視の視線でしかない

未だにそのような視線で空想的な平和主義、非武装自主独立などを力説する団塊左翼老人の世迷いごとは本作から何も進歩していないのだ

21世紀の視線ならばこのように冷たい醒めたものにならざるを得ないのだ

その意味でいえば最近物議を醸している芸術祭で芸術という隠れ蓑を使って姑息に政治的アジテーションをする姿勢と似ている
その源流は本作まで遡るのだ

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あき240