劇場公開日 1936年5月28日

「モダンな大阪と旧態依然」浪華悲歌 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0モダンな大阪と旧態依然

2015年8月14日
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鑑賞方法:映画館

笑える

悲しい

「旦那」が居なければやっていけない芸妓と違って、アヤ子(山田五十鈴)は会社に勤めている。経済的にも人間としても独立している。なぜ「不良少女」と呼ばれることになったか。全部、家族、正確には父親と兄のためだ。二人ともだらしないし気概がない。父親は会社の金を横領した。兄は大学最終学期の学費が払えない。その金の工面のために、前から声をかけられていた(セクハラ)会社社長(家では女中に偉そうに振る舞うが、奉公人あがりの養子で、妻には頭があがらない)に囲われることにした。次は社長の友人に囲われる。それで父も兄も助かったのだが、二人とも誰が尻拭いをしてくれたか知らない。知ろうともしない。お目出たい。

だから家族は皆、妹さえも彼女に冷たい(このシーン既視感があると思ったら「サンダカン八番娼館」だった。からゆきさんとして南国で娼婦として働き日本の実家、兄家族のためにお金を沢山送り久し振りの故郷。でも兄嫁が自分を悪く言っているのをお風呂に入っていた彼女は耳にして、悲しさと悔しさで浴槽に潜って泣き叫ぶ)。体をはって家族の金銭問題を片付けたのは彼女なのに。そして結婚したいと思っていた会社の同僚は逃げる、アヤ子を悪者にして。

お軽は身を売られても妹思いの兄と勘平がいた。アヤ子にはそんな兄も勘平もいない。女性の生き難さを笑いも交えて映画にした溝口監督はすごいと思う。おかげで昔から続く女性のしんどさと男社会の冷たさがよくわかる。そして当時の様子(デパート、レストラン、高級アパート、文楽劇場、着物、洋装)も。(2022.5.7.「山田五十鈴」特集でこの映画を見たのはもう10年も前。その時と同じ映画館「新文芸座」にて再度鑑賞。この4月にリニューアル・オープン。ロビーが広々と明るくなりました!)

おまけ
あの文楽の場面を初めて見たのは、大阪の日本橋(にっぽんばし)にある国立文楽劇場の1階の展示室。舞台と床、客席のアヤ子、ロビーで揉める様子が何度も繰り返しモニターで流されていた。そこで初めて山田五十鈴の髷姿の美しさと若さ(19歳)に出会って驚愕した。あの芝居はお染久松「野崎村」だと思う。

talisman