華麗なる一族のレビュー・感想・評価
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ラストシーンのパーティー会場での銃声 あれは誰が、誰を撃ったのでしょうか?
物語の面白さ、巧みさは原作山崎豊子の原作によるものです
本作はその小説の世界の正に映像化そのものに意味があったと思います
恐ろしくリアルで如何に徹底的に取材して撮影したのかが伺えます
昨今ある事件から、上級国民という言葉が流行しています
本作はその上級国民の世界を垣間見せてくれるのです
上級国民からは程遠い自分でも仕事などでその一端をちらりと覗いてきたこともあります
その限られた経験ですが、余りにもリアルです
リアル過ぎるほどです
議員会館の部屋の内部、上級国民の屋敷の暮らし、取締役会、ホテルでの大パーティーの有り様は特にのけぞるほどリアルでした
ラストシーンのパーティー会場での銃声
あれは誰が、誰を撃ったのでしょうか?
あの銃声こそ、山本薩夫監督の本作における主張だったのだと思います
あの銃声こそが、映画としての本作のテーマなのです
あの銃声は、私達一般国民の観客が、あのパーティー会場に集まった上級国民に向けて撃った銃声だったのです
山本薩夫監督的に、あるいは社会主義思想的に表現するならば、
人民を搾取して虐げ、一般国民の苦しみなぞには少しの関心も持たない資本家と保守政治家たち
この互いに癒着して腐敗している呆れはてた連中に、怒れる私達一般国民の観客が、心の中で彼らに銃口を向けて、彼らを断罪する銃弾を撃ったのだ
連鎖倒産する中小企業の人々、解雇されたり給与引き下げされた人々、あの工場で赤旗を振ってシュプレヒコールを繰り返した労働者たち
その彼らの銃弾なのだ
こういうことなのだと思います
つまり観客に社会主義革命をなせ!との監督の扇動なのです
35年振りに東宝に戻って撮影した作品の最後の最後にたった一発の銃声を入れることで、監督は自分の撮りたい映画にしてみせたのです
哀憎なる一族
今では高視聴率を記録した木村拓哉主演のTVドラマの方が有名かもしれないが、映画ファンはやはり本作。
『白い巨塔』に続き、山本薩夫監督が山崎豊子の小説を映画化した1974年の社会派エンタメ超大作。
何度か見てるが、何度見ても面白い!
地方銀行ながらその名を轟かす“阪神銀行”。
新年を迎え、更なる業績アップや事業拡大を目指す。
各支店は手となり足となり。あまりの重圧で倒れる者も。
別銀行との合併案、新高炉建設案…。
ただ純粋に会社の為に心身注ぐ者も居れば、財政界とのパイプやコネや繋がりをフル稼働させ策略・思惑巡らし、己の金や権力を肥やす者も。
その欲深さやエゴは“病院”の比ではないかも。
銀行世界のドラマだけに非ず。ある“華麗なる一族”の物語。
一族経営。大財閥の万俵家。
当主は頭取の大介。妻と秘書兼子供たちの家庭教師。子供たちは4人。男2人に女2人で、息子2人は責任ある地位を任されている。
豪邸で洋風スタイルの夕食。
一見何不自由無い羨望の暮らしぶりだが、その家族関係に温もりは微塵も感じられない。
この家では、父は絶対君主。
息子や婿たちは父の右腕として手腕を奮っているが…、父と長男はわだかまりあり。
長男・鉄平は阪神特殊鋼の専務。
何故か父はこの長男に対し、明らかに毛嫌い…いや、憎しみすら滲ませている。
鉄平は新高炉建設に意欲を燃やし、父はそれに反対。より一層対立が深まる。
何故父は長男を嫌うのか…?
それには、瓜二つの祖父の存在と、出生の秘密があった…。
男たちの金や権力や派閥争いの陰で、女たちの愛憎も激しい。
大介が絶対君主なら、女帝は秘書兼家庭教師の相子。
肩書きはそうだが、実際は大介の妾。
大介からは寵愛され、万俵家の全てを取り仕切っている。
子供たちの政略結婚も相子がほぼ独断で選び、その立場も座も本妻以上。
勿論、夜のお相手も。
大介は時折、相子と本妻同時に相手にするという鬼畜の所業!
本妻の寧子は貞淑で、相子の存在に苦しめられている。
それは子供たちとて同じ。皆、この妾を嫌っている。
が、絶対君主と女帝に逆らえない。
佐分利信、仲代達矢、京マチ子らを筆頭に、日本映画界のレジェンド名優たちの揃い踏み。熱演時には怪演を披露。
3時間半の長尺、金融界の小難しい用語や複雑な人間関係もあるが、決して入り込めないって訳ではなく、山本監督のさすがのダイナミックな演出で引き込まれ、見応えは圧倒的。
本作は鉄平の悲劇のドラマかもしれない。
高炉爆発事故。全責任を負う。
衝撃の出生。実は自分は…。
父を告訴し、直接対決。が、ことごとく阻まれる。
一人で何もかも背負い、苦しみ、追い詰められ…。
残された道はたった一つしか無かった。雪山にて…。
彼をここまで追い込んだのはやはり、その出生だろう。
全ては誤解だった。
それはあまりにも哀しく…。
そんな悲劇があったものの、計画して来た他銀行との合併が正式に決定。“東洋銀行”として日本指折りの大銀行へ。
その晴れの舞台の裏で…
身辺共に清算しようと、大介は相子との別れを切り出す。
応じようとしない相子に、これまで散々見下されてきた寧子が言い放った言葉が最後の最後で大逆転。
自分勝手で、自身の地位と保身が何より優先の大介。
新大銀行の頭取の座には就いたが、そこには大物大臣の策略が…。
ラストシーンは、東洋銀行誕生の華麗なる祝賀会。
一見前途洋々に見えて、尽き絶える事の無い金や権力への欲望が永遠に渦巻く。
そしてその土台を築き上げる為に、取り返しのつかない哀しみや悲劇が…。
やっぱりこの人の脱ぐシーン
悪い奴なのかもしれないが、企業経営者としてのモラルと情熱を持った男を佐分利信が演じる。この人が出てきたら、毎回期待するのが、背広を脱ぎ捨てるシーン。洋服を脱ぎ捨てるシーンがこれほど様になる俳優が他にいるだろうか。小津安二郎の作品群でも見られた、企業人から家庭における父権の象徴への変換がここでも見られる。しかし、この作品は、その父権主義を主人公自らが崩してしまい、おまけに和服すら身に着けずベッドに横たわっているのだ。
小津の世界で描かれていた、父権の良心はここでは完全に払拭されている。なにしろ、和服を脱いでしまっているどころか、ベッドで隣にいるのは妻ではなく、妾なのだから。妻妾同居の異様な家庭生活。それは、佐分利が小津作品に出ていた時に描かれていた小さな父権社会からすれば、オカルトと言ってもよいほどの狂気の世界である。
もちろんそんな父親に対して、子供たちは一様に否定的だ。なにしろ、自分たちの実の母親が、家庭内で妻としての立場をないがしろにされているのだから当然である。
しかし、銀行の合併が実現して、東京の経済界へ進出することになった主人公は「身辺整理」を断行する。これまでの妻妾同居をやめて、家庭内にしっかりと居座っていた妾に引導を渡すのである。ところが、家庭内で失われた父権は二度と蘇ることはなく、自らの事業を承継するに足る唯一の人物である長男の命も失うこととなる。
それでも、彼は新しく抱え込んだ合併先の行員たちの生活のためにも新銀行の経営を軌道に乗せるべく、部下を叱咤激励するのであった。ここには、好き放題やりたいことをやっているが、最後には自らが責任をとる覚悟の下で組織のトップに立つ新しい時代の父親像、経営者像が描かれている。
華麗なる生活はいいんだけど、預金の金利つけてくれ~、できないのなら、貸出金利もなしにしてくれ~。
銀行合併と、それにまつわる女性の戦いみたいなものがテーマらしんだけど、銀行の合併も女性の戦いもよくわからなかった。
わからないんだけども、こういう世界もあるのか、(あったのか?)と興味深かった。
華麗なる生活しようが、妾何人持とうが、合併して企業規模を拡大しようが、天下りを受け入れようが、(これはちょっと問題かな?)別にいいんですけど、横並びのゼロ金利(実際はほんのちょっとあるけど・・・)ではなく、もうちょっとまともな金利つけてほしいような気がしました。
基本的にフィクションで、今もこういうことがあるのかどうかよくわからないけど、この映画を見ているとどうしても現在の銀行家の方に言いたいことが出てくる。
預金金利つけてくれ~。
つけられないのなら、貸出金利もなしにしてくれ~。
預金で、日本の赤字国債買うのやめてくれ~。
法人税、払ってくれ~。
貸し渋り、貸しはがしをやめてくれ~(byハゲタカ)。
いざとなったら、預金者や貸出先を人質にすれば、国が助けてくれるからと、無茶するのはやめてくれ~。
時代的にちょっとずれているし、何か古い感じはするんだけど、その時代の雰囲気みたいなものが映像に入っていて、現在と比較しながら見ていると、すごく刺激を受けて面白い、不思議な映画でした。
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