家族のレビュー・感想・評価
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新しい大地を求めて旅ゆく人々‼️
長崎県の小さな島から北海道へ旅する一家を描いたロード・ムービーですね‼️その家族の道中を通して、長崎県の貧しい孤島暮らし、次々と発展する大工業地帯、大都会の過密な交通状況と公害、過疎化が進む開拓地など、当時の日本の社会問題が浮き彫りになる構成‼️貧しい者が新天地を目指すロード・ムービーと言えば山田洋次監督らしいと思いますが、途中大阪万博を見物しようとして大混雑でダメだったり、娘を一人死なせたり、北海道に到着して祖父が亡くなったりと、山田洋次作品というよりは、ジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」のような厳しさに満ちた作品だと思います‼️役者さんたちのアドリブ満載の演技やドキュメンタリーのような作風もイイんですけど、私はやっぱり「黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」のようなドラマチックな作品の方が好きですね‼️
ネタバレあります。新しく子供が生まれりゃ良いと言うものでもあるまい。
いきなり、長崎県から北海道へ行く馬鹿な家族の話。フィクションを良い事に、主人公達に苦労を背負わせ、見る者のお涙を頂戴しようとする商業主義的映画。だから、この家族は70年代の一般的な家族とは言い難い。
この頃、鉄道は国鉄で、スト権ストとして、4月はベースアップも含めて、順法闘争のストを決行(訂正します。1973年の様です)していたと思う。また、ベトナム反戦と70年安保闘争(訂正します。6月です)もやっていたと記憶する。従って、4月の国鉄はまともに動かなかった(従って、春闘はやっていなかった)。
以上、僕の記憶違いだろうが、混迷した時代で、万博なんかやっている。だから、高度成長なんて言って、一つの価値観でくくれる様な時代ではない。
4月6日に出発して、4月10日に函館に着く。4月9日の夜、青森を出なければならない訳だから、1日以上計算が合わない。どこもよらずに、真っ直ぐに行っても3日かかる。彼らは寄り道を3泊以上している訳だから、『4月12日に着いた』が正解で、物語の設定に矛盾がある。デフォルメの範疇では無い。
寝台列車を大阪で乗り換えて、日本海周りで、寝台急行があった。そのルートを使えば、4月9日の早朝に青森に着ける。しかも大阪から青森は急行だ。長崎から大阪も西海と言う急行が走っていた。貧乏人が新幹線で東京なんか行く訳が無い。僕は長崎から函館まで、同じルートを使って、実際に乗車したことがある。映画と言えども、虚偽を語っては駄目だ。しかも、社会性のある映画なのだから。
北海道見たいな遠い所に行くから、子供が死んだ訳では無い。大阪で死んでいる。つまり、無計画に行動するから、不幸になるという事。
以上
こんな馬鹿な貧乏人はいない。高度成長の日本を、懐かしむとか言っているが、高度成長の時期に酪農に手を出す貧乏人はいない。酪農は農業ではないが、国の減反政策は1970年から始まっている。
北海道民の苦労話をデフォルメしていると、演出家は言うだろうが、子供も親も殺している。『さぁ、明るく酪農に従事しよう』とはならないだろう。火葬して長崎に持ち帰るのが自然の流れ。
民子は詐欺師だと思うが。いくら、エロじじい相手でも、金返さなければ駄目だ。
つまり、この監督は貧乏人の苦労など知っている訳が無いと断定出来る。
初見は良い映画と誤解したが、1970年を知らない人が見るのだろうから、70年代を知る僕としては、誤解を与える商業主義的映画と判断せざるを得ない。
特に、民子の性格に共感出来ないと、2回目を見て思った。
高度成長の時代なのに、この島の炭鉱は1972年に閉山になる。だから、北海道へ行くのである。では、何故閉山になるのか?エネルギーの石油依存が高まったからではない。
先ず、炭鉱労働者は過酷な仕事である事と、大事故が日本では起こっていた事があげられる。
そして、大企業による日本国の基幹産業だった事だと思う。つまり、財閥系の企業が利益を重視して、労働者の賃金を抑えていた。しかも、この島の炭鉱の様に小さな炭鉱は閉山され、大規模の炭鉱に労働者を集約させ、利益を更に上げる事を考えたのである。『馬鹿な家族』とこの映画の家族を言ったが、この家族は、先見の明があったのかもしれない。
な訳が無い。それならば『蛍の光』でこの地を離れるべきではない。その事をきちんと知っていたのなら、こんな演出にはならない。そう、北海道から長崎に戻れないのは、解雇されたからなのだ。
貧乏はつらいよ
長崎から北海道を結ぶ3000キロの動線。僻地から僻地という不毛な大移動に、幾度となく後悔の波が押し寄せる。しかし高度経済成長という物語にいったん乗り遅れてしまった者たちにとって、もはや都会にはいかなる居場所も残されていない。動線上に現れる絢爛豪華な街々は、貧しい家族たちにとっては蜃気楼に等しい。
上野にある饅頭屋の店員からタダで饅頭を貰ってきた孫に、笠智衆が「ワシらは乞食じゃなか」と金を払うよう叱責するシーンが見ていてかなりつらかった。こうしたささやかな美徳や倫理も、東京という巨大なレンジから見れば「貧乏」の一言で括れてしまう。
というか、そもそも「北海道の未開拓地で一旗揚げる」という井川比佐志の野望からして時代遅れも甚だしい。彼らを止めることができたのは井川の弟夫婦だけだったと思う。しかしどうにか高度経済成長の恩恵にあずかることができている彼らにとって、井川一家は足手まといに他ならない。そういうわけでやはり井川一家は地の果ての凍土に向かわざるを得なかった。
とにかく倍賞千恵子が不憫でならない。『男はつらいよ』の比じゃない。ただただ自虐的に、自己破壊的に北海道へ向かおうとする井川とは異なり、倍賞はそこに軸足を定め、家族とともに生活を送っていこうという現実的な覚悟を背負っている。酒や権威や自己憐憫に縋りつくことなく、常に家族を精神的な面で支えていたのは間違いなく彼女だ。そして彼女だけが誰からも支えられることのないまま生きている。それでも毅然と前を向く倍賞の微笑みには、可憐さや美麗さを超越した力強さが湛えられている。本当にすごい女優だと思う。
民子3部作①
山田洋次の描く移り行く風景、第一作目。この作品から見るべきであったかもしれない。70年は大阪万博や新幹線など戦後日本の分岐点。この時代に長崎から福山、そして大阪、上野を経え北海道に渡る一家のロードムービー。ロード―ムービーと呼ぶにはあまりに過酷な運命が家族には襲い掛かる。そしてこの後、母子のみで奮闘する家族にヒーローのごとく現れる高倉健がまた訳アリと来てる。しかし🎦遥かなる山の呼ぶ声は🎦幸せの黄色いハンカチへと昇華される。壮大なるシナリオワーク。そして壮大なる日本の家族像へのアプローチ。感服した。
倍賞千恵子の美しさ。
再見。力作。
経済成長で狂う列島を一家族の目で移動定点観測する迫力の画。
歴史資料的価値。
暴力的な工場群、人波とスモッグに煙る都市、そして辿り着く北の大地。
猥雑騒然とした全編と一人対峙して負けない倍賞千恵子の涼やかな美しさと底抜けの逞しさ。
山田洋次、38歳か。
ハッピーエンドで良かった
あらすじと感想
1.この映画は、途中で回想が捗捗入るが、まあ、判り易い方かな
2.長崎:伊王島→北海道:標津へ行くのが7割位、回想が2割位、到着後が1割位
3.旅の途中で乳児が、標津に到着当日に祖父が死亡とは落胆も大きいだろう
→ 考えてみれば、祖父が没したのは、苦しみもなく天寿かも
→ 乳児(0歳)の死亡は、思い出が短い分、悲しみも少ないかも
4.なお、乳児の死亡は、判断ミスが大きい
→ 容態が急変後の10~30分の差は、とても大きい
→ 自力で小児科を探さず、直ぐに救急車を呼べば、助かったかも
5.ただ、5人家族が数日で3人家族になろうとも、
人間(生物)は悲しみを乗り越えて生きて行くしかない
6.到着の2か月後、子牛が生まれた頃には、夫婦も元気になってた
7.同じ日、民子の妊娠が判明し、友人の亮太がお祝いの言葉を言ったら、
夫:精一は「(中絶不可の)カトリックは辛い」と返答
→ 亮太が笑った
8.結局、この家族にとって引っ越しは辛い判断だったし、旅も辛かったが、
ハッピーエンドで良かった
9.感情移入出来たし、悲しむ所と笑う所があって、良い映画だった
高度成長期が真っ正面からテーマに据えられています
昭和45年、1970年
高度成長期を駆け上がり大阪で万博が開催された年
復興を成し遂げ繁栄を謳歌している時代
とはいえ日本人全部が全部繁栄の恩恵に恵まれている訳ではありません
工業化の進展はエネルギー源の転換を促します
エネルギー源の主役は石炭から石油に変わり、長崎の離島の海底炭坑は倒産し、そこの炭坑夫は職を失います
彼は家族を抱えているのです
三歳の男児、まだ赤ちゃんの女児、年老いた父
そして妻
長崎の離島の失業した炭坑夫
つまり彼は日本の高度成長から取り残されて、こぼれ落ちた人間です
弟は島をでて福山の石油コンビナートで働いています
小さな建売住宅を20年ローンで、小型車も月賦でかっています
つまり、弟は産業構造の転換の波に乗り高度成長の恩恵をうけつつある人間を代表しています
そして友人の亮太は北海道で開拓農民をしています
つまり彼は独立独歩で高度成長の局外に立っている人間の代表です
家族は高度成長に沸く、日本列島を縦断して北海道に向かう途中、福山と大阪に寄ります
老いた父は福山の次男を頼ろうと来たのですが、高度成長の波に飲み込まれないようにするだけで弟家族は精一杯であることに気付かされて諦めます
見送りのあと、申し訳無く泣きながら運転する次男の車は日本の高度成長を推進している巨大な石油コンビナートの中に入って走って行くのです
福山は、尾道の隣町です
つまり本作は小津安二郎監督の東京物語のオマージュでもあるのだと思います
子供から邪険にされて、尾道の田舎に帰る老いた父母の物語が本作に投影されています
本作では、その役を演じた同じ笠智衆が東京物語では帰る土地だったところからも追い払われてしまうのです
東京物語の逆であり、同じでもあります
更に現代化して人情や家族の絆もこのように一層希薄化したということなのです
本作では福山は安住の地ではなく、最果ての地まで父を追いやっているのです
そして大阪では、高度成長の繁栄そのものを象徴する万博の正に入口だけを一目見るだけなのです
大阪梅田と万博会場は人出で溢れ、家族は疎外感を味わうのです
福山と大阪、高度成長は彼ら家族には関係の無いことだったのです
入口にも入れなかったのです
結局、彼ら家族は高度成長期の局外にある辺境の地を目指すほかなかったのです
緑の春の陽光溢れる長崎から、まだ雪が多く残る北海道への風景の変化は、まだ高度成長の及ばない土地に向かっていることを明示します
北海道に入った函館の町の光景は、大阪梅田の地下街とは全く異なり、戦後すぐのような高度成長期以前の街並みのままです
ここは高度成長がまだ及んでいない土地であると端的に映像で語らせています
そして高度成長からこぼれ落ちて、そこから逃げる者にはしわ寄せが容赦なく押し寄せてきます
赤ちゃんと老人という弱い者から犠牲になるのです
しかし父であり母であるからには、残った子供を守り、家族であり続けないとならないのです
くじけているどころではないのです
後悔していても始まらないのです
いや、違う
家族がいるからこそ、力が湧き頑張れるのです
クライマックスは雪も消え緑の草原、明るい陽光が溢れる北海道中標津の草原です
北の最果ての地であっても、遅くなっても春はくるのです
長崎の春の光景よりも明るく広く美しいのです
新しい生命も生まれ家族はまた成長していくのです
この家族の高度成長はここから始まるのです
根釧台地の大平原
独身の頃、仕事ばかりの日常に煮詰まって、何の予定もない夏期休暇の初日に急に思いたって空港に行き北海道に飛びました
札幌から鉄道を乗り継いで到着した、その根釧台地の遥かな、どこまでも続く地平線を見たとき、都会での悩み事のなんと小さいことかに気付かされました
そんなことをひさびさに思い出しました
記憶
劇中、登場人物達の様々な過去の記憶のフラッシュバックが挿入されます
夫婦の馴れ初め、兄弟が幼かった頃の逞しい父の姿
赤ちゃんが産まれた喜び
記憶の積み重ねが家族を、家族たらしめているのです
そして21世紀、本作から半世紀も経ちました
結婚すらしない、だから自分の家族も持っていない男女も普通にいる世の中です
ならば記憶に残るスペシャルな思い出も無いのでしょうか?
遥か北の果てで見た地平線しかスペシャルな思い出が無いままなのなら、その人生は雪に覆われて凍てついた未開拓なままの大地なのでは無いのでしょうか?
倍賞千恵子の名演技は本当に心を打たれました
懐かしい日本の風景
ストーリーもとても良かったのですが、それより何より出てくる画面の光景にうっとり。懐かしくて堪らない。この時代を知っている人なら分かると思います。また恋しくなったら昔を懐かしむ為に観たいと思いました。
大阪万博
以前、最初に観たときには大阪万博のシーンで涙がでた。登場する家族と同様、家が貧しくて行きたかったのに行けなかったからだ。高度成長期と一言でかたずけられる設定ではなく、潤ってきた人々の陰にには貧しい人々も存在した。彼ら一家は万博という存在さえも知らなかったのだ。新幹線の待ち合わせの間、ついでに入ろうかと提案する民子だったが、時間がなく入り口だけで断念。兄弟の絆もいい雰囲気、途中下車した弟前田吟の住まいもそれほど裕福ではないのに、快く餞別を与えてくれた。
途中、上野駅でクレージー・キャッツに出会ったりと、なかなか面白いエピソード満載。しかし、その直後、下の子早苗が急病で死亡してしまう。北海道へ向かう行程の半ばにして、挫折してしまいそうな悲劇。今でこそドキュメンタリータッチのロードムービーは溢れているが、この当時には画期的な映画だ。葬儀を終え、それぞれの思いが錯綜し、心が揺れながら希望という抽象的な将来だけを生きがいに開拓村を目指す家族。目的地がゴールそのものではないはずなのに、傷心を癒すことができないまま辿りつく・・・
何もかも捨てて心機一転するため我を通す井川比佐志の心理描写。ケンカも多いけど、しっかりとついていくクリスチャンの倍賞千恵子。家族の一部を失ってはじめて家族の尊さに気づいてしまう。だけど、夫婦が中心になって頑張ればそこが家族になっていくんだ!と思いたい。生まれてくる小牛を目撃することで、家族再生の可能性を見出したはずだ。
70年代ロードムービーの傑作
長崎から北海道まで、西から東への本格ロードムービー。変わりゆく景色を見ているだけでも、画面に吸い込まれそうになる。観るのは二度目。所々忘れていた。早苗が死んだことは覚えていたが…。大阪駅前、昔はあんな感じだったなあ。とにかく1970年の空気の熱さが、景色から熱く感じられるのです。そして倍賞千恵子のなんと美しいことよ。
長崎の小島から北海道の開拓地を目指す家族のロードムービー。 福山で...
長崎の小島から北海道の開拓地を目指す家族のロードムービー。
福山で弟と会い、大阪で万博に迷い、東京で大事件勃発。物語は以降沈鬱なムードへ。
出演は男はつらいよの番外編が如し。渥美清の登場も救いにはならず。絶対家族崩壊かと思ったのだが…
ピチピチの倍賞千恵子のみが救い。役名の民子で三部作になってるらしい、知らなかった。
評価は高いようですが、私的には三部作最終「遥かなる山の呼び声」には遠く及ばぬ一本であった。
希望
今よりももっと身近に死があり
今よりももっと身近に生があったのだな
もう50年も前の映画なのですね
そして自分の歳を思うと愕然とする(笑)
助け合い励まし合い悲しみや苦しみ辛さは分け合い忘れず引きずらず笑って日々を過ごせたのなら それが家族なのかな
昨夜、寝床に入りぼんやりとこんなことを考えていました
「あの映画のあの人はもういない、じゃあの映画のあの人は?
あれ、この映画のこの人も おいおい待てよちょっと待ってくれもういない人ばかりじゃないか
いやいや参ったな〜〜」 何てね
そんなこと考えたら少し寂しくもありますがこれは仕方がないこと、まだクリント・イーストウッドか現役でバリバリです!
彼の作品でテロ事件の映画がありますがこれになんと素人を主人公に撮ってましたね
山田さんの映画も地元の素人さんがよく出てきます、役者の方と馴染まれていてまるでドキュメンタリーのようでとてもリアルに感じます。
山田洋次監督で胸を打つ・・
山田洋次監督の作品。途中で涙が出た。赤ちゃんが亡くなった場面かな・・1970年当時は高度経済成長時代。大阪万博博覧会も開催されていた。もはや戦後ではないが、国民は皆貧しかった。1970年の松竹映画。
古き良き
大阪万博の頃、家族で九州から北海道まで開拓民の夢を抱く亭主について行く形で家族全員で大移動。
子供がなくなる時悲しかった。
おじいちゃんが、孫に買い物をする心得を教育するシーンは素晴らしかったです。
倍賞さんの美しさと明るさにも元気をもらえました。
餌釣ってこない亭主が私的にはウケなくて星4のところを3にしました。
そこが倍賞さんを引き立てているんだけどね…
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