劇場公開日 1992年12月26日

「バブル崩壊と石狩挽歌」男はつらいよ 寅次郎の青春 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0バブル崩壊と石狩挽歌

2021年8月28日
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鑑賞方法:VOD

1992年公開
バブル崩壊です
株価はすでに1989年の大納会が最大ピークでした
真っ赤に過熱したフライパンが冷めるには時間がかかるように、しばらくはバブルの余韻が続いていました
また反転して好況になる、なんて甘い見方がまだまだ支配的だったのです
それは地価が、まだ高値を維持していたからです
その地価も1991年頃からついに下がり始め、1992年には路線価の下落としてはっきりと目に見えるに至りました
この年の春「このままでは戦後最大の不況となる」という見通しが経済紙に掲載されると、株価がさらに急落します
とうとう夏には東証株式の時価総額は1989年のバブルのピーク時の半分以下にまでなってしまったのです
ラストシーンの下呂温泉での正月の商売をする寅さんの口上にもバブル崩壊というワードがでてくるほどです

泉ちゃんの母礼子のクラブも閑古鳥が鳴いています
仕事が上手くいかなくなると、体調までおかしくなってしまうものです
礼子も本作の終盤で入院してしまいます

タコ社長の印刷工場には、外国人の工員が働くようになっていました
この頃から確かに外国人が方々で働いている姿が目に着くようになってきました
今では何も珍しくもないことでしょう
というかコンビニとか飲食とか、彼らがいないと仕事が回らないところばかりです

当時、飯田橋だったかの純和風の居酒屋に会社の同僚達と入ったら、注文を取りに来たホール係が外国人で驚いたことを思いだしました
注文を通すのに一苦労しました
今では考えられないことです

泉ちゃんは、結局、原宿表参道のCDショップで働いています
採用されなかった会社と違うものの楽器店には就職できたのですが、楽器部門ではなくCDショップの部門に配属されたのだと思われます
不本意でしょうが、真面目に働いているようです
満男のいる東京で働けるのですから我慢できるのです

場所は不明ですが、寮から通っているようです
火曜日はお店が定休日なので、満男はお店まで行って、お客さんのフリをして、今夜は家に来て一緒に夕飯を食べようよと誘います

そのとき満男が手にしていたレコードはモーツァルトの「フィガロの結婚」です
演奏はクレイグ・スミス指揮、ウイーン交響楽団
この後、理髪店、蝶子とつづく伏線でした

21世紀の目でみると、定休日というものがあるのが奇異に感じるかも知れません
当時は定休日がどんな店でも週一回有るのが普通だったのです
商店街で曜日が統一されていたりしてたんです
定休日があるとシフトが凄く回し易いことは、シフト組んだことがある人ならよく分かると思います
営業時間も、百貨店なら朝10時から夕方18時まででした
スーパーなら朝10時から19時閉店です
20時なら遅くまで開いている方です
21世紀生まれの人ならびっくりするでしょう
いつ買いに行けるの?と
だって現代では仕事が終わるのは深夜近くなんですから

当時の楽器店経営のCDショップなら、表参道のお店でも19時閉店でおかしくありません
閉店してすぐ待ち合わせして柴又に向かえば8時頃には満男の家に着くでしょう
それに早番だったら19時前にあがれます

定休日が無くなっていったのはこの頃からです
1996年には元旦営業のスーパーが現れて仰天しました
今では驚くこともありません

営業時間もどんどん遅くなりました
深夜営業しているスーパーなんて、都心の限られた店ぐらいだったのが、今では地方でも終電時間頃まで開いているのが当たり前のようになりました
CD ショップなら21時閉店に変わるのは、もう2~3年後のことでしょう
2000年には23時閉店が普通になっていたと思います

なんでそうなったのかって?
それはバブル崩壊でどんどん売上が低下していったから、定休日もなくして営業時間を長くしないと、昨年と同じ売上も維持もできなくなっていったからです
営業時間が延びればその分、従業員の数をふやさないとならないのですが、そんな余裕はありません
だからフルタイムの正社員はどんどん減って、短時間のバイトばかりになっていったのです

つまり今につながる失われた30年のスタートはこの1992年だったのです
来年がとうとう30年目です

泉ちゃんは満男の家で好きなグラタンをご馳走してもらって、彼女は作り方を教えて貰おうかなとか言ってます
サクラと並んで食器を洗う姿は、お嫁さんと姑さんに見えます
この人がお姑さんならいいな、この家の家族になりたいという彼女の心の声が聞こえます

♪今じゃ寂れてオンボロロ、オンボロローロロ
博が言い当てたように北原ミレイの1977年のヒット曲「石狩挽歌」です
このフレーズは2番のサビの部分です
その前段には
♪あれからニシンはどこへいったやら~
ともあります
そして2番の最後は
♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見る

劇中では変なお客さんが2番まで歌ったと彼女は言うのみで歌われませんが、観客の脳裏の中では
♪あれからニシンはどこへいったやら~という歌詞が再生されています
バブル崩壊のこと歌っていると観客の脳裏で聞こえているのです

やっぱり泊まっていくことになって、満男が引いてくれた布団に寝転ぶのですが、何故か彼女は虚ろです
♪オンボロローロと小さく口ずさんで天井をぼんやり見上げてています

そのシーンの前で、立ち仕事で足が痛いと、畳に座ってスカートからでた足を彼女は満男の横で揉みます
ほのかな色っぽさがあります
満男はそれをみているだけです
じゃあ、俺が揉んでやるよ、とか言えれば
きゃあ!、だめ~エッチ!という展開になるのに
「つらいか仕事」とか優しい言葉を言ってくれますが、少しも進展しないのです

宮崎での友人の結婚式に出席する話を満男にしてみても、自分達の将来を語ってもくれないのです

こんなんじゃ、♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見るなんてことになりそうだなあ…とか考えているのだと思います
彼女には、その歌が恋愛を先に進めてくれない満男への不満の歌として聞こえているのです

その宮崎で、実際に友人の綺麗な花嫁衣装をみるとますますどうなってるの?と思ってしまうのです
その友人が高校時代好きだと言っていた満男と、
今では自分がつきあっていて、彼のの家に出入りして、彼の母親と仲良くもなってまでいるのに、結婚どころか、そこに向かう道に少しも進展していない自分が不安になってくるのです

満男が宮崎に向かう飛行機で座っていたのは、通称「お見合い席」
CAさんの座席と向かい合う席で、足を伸ばせるスペースがあるので人気があります
自分もよく指定したものです
でも満男みたいに飛び乗って指定が取れるのは、よほど空いてる便ぐらいです

1960年代後半から70年代後半にかけて、宮崎は新婚旅行のメッカだったそうです
つまり団塊世代が新婚旅行先に人気だった観光地だったわけです
観客の多くの団塊世代が懐かしく観る光景なのです

本作では宮崎の鬼の洗濯岩とかの名所も紹介されますが、大部分の舞台は宮崎空港から南に小1時間下った日南市油津の漁港町です
♪今じゃ寂れてオンボロロ、オンボロローロロ
そのままの風情の町です

風吹ジュンが演じる床屋の蝶子が、「今じゃしおれた花にしがみつくように、こん町にべったりしがみついちょるとよ」と自嘲します
しかし、しおれた花は、この油津の町だけでなく、バブル崩壊でしおれてしまった日本全体を表しているのだと思います

蝶子は、演じる風吹ジュンと同じ年齢とすれば40歳です
「どっかにええ男でもおらんじゃろか」と嘆息をこぼす姿は、バブル崩壊に不安を感じている当時働き盛りの団塊世代の人々の気持ちを代弁しているのだと思います

そして泉ちゃんは、自分はいつまでも待ち続けて彼女のようになりたくない、と蝶子をみています

♪あたしゃ涙で、娘盛りの夢を見る
そんなの嫌だ

寅さんとの偶然の出会いによって、彼女は満男と
このかっての新婚旅行のメッカで会うことになります

寅さんは満男の顔をみると、お前たちはどこまで進展したのか聞くのですが、男女の関係はおろか恋愛関係としては何の進展もないままで呆れはてて心配し始めます

泉ちゃんは彼女のできる精一杯の言葉で、結婚に向かって進みたいと懸命に満男に訴えています
「幸せがくるのを待つなんて嫌」
そのあといろいろ言いますかが、結局のところ彼女がいいたいのはそれだけです
「奪い取る方だよ」って鳥取でいってくれたのにと思っているのです
いま、それを言わそうとしているのです
「ああ、これが幸せだというものを私の手で掴むの」とはそういう意味だと思います

しかし彼は寅さんが蝶子から逃げ出したのと同じ理由で彼女の想いを正面から受け止めることが出来きず、それきりになってしまうのです

バブル崩壊
満男と泉ちゃんの関係も同じでピークを越えてしまったのです

礼子の突然の入院で、泉ちゃんは東京の就職先を僅か半年で辞めるしかなく名古屋に帰っていきます
礼子は、演じる夏木マリと同じ年齢とすれば、彼女もまた40歳
身体に変調が出始める頃です
そこにバブル崩壊です
実際、団塊世代の人が何人も身体をこわして去っていったのを見ました

新幹線のドアが閉まります
けれど満男はホームのままです
泉ちゃんと満男は新幹線のドアで隔てられます
これが後から考えれば決定的な瞬間でした
この時、満男と泉ちゃんの運命が定まってしまったのです

もし日田の時のように、またドアが閉まるまえに飛び乗っていたら?

青春
青くさいほどに誠実です
必ず迎えにいくといえないほど誠実だったのです

満男は23歳、泉ちゃんは19歳
当時、女性の結婚適齢期は24歳から25歳くらいで、男性は27歳くらい
いまよりずっと早婚です
それなのに満男にはまだ結婚はもっともっと先のことであると思いこんでいたかも知れません

愛してる、卒業して就職したら結婚しよう
そんなシンプルなことなのに、幸せにする自信がなくて空手形になるかも知れないから口にできないのです
それほど、馬鹿げてるぐらい誠実だったのです

寅さんの言うとおりです、愛を口にだして、抱きしめてあげなければ、何も伝えてないのと同じなのです
将来の夢を語らなければならなかったのです

それなのに新幹線のホームの自販機の陰で、別れ際にキスをしたのは、満男ではなく泉ちゃんの方でした

閉まったドアの向こうで泉ちゃんは、なんと言っていたのでしょうか?
「お正月は、会いに来て」
そんな口の動きに見えました

1993年の正月
今年は泉ちゃんは来ませんでした
彼女の母礼子の看病があるから無理なのでしょう
ならば満男が名古屋に行けばいいのです
なのに父と正月からランニングしています
泉ちゃんがどれだけ落胆しているか、寂しくしているか
まるでわかってないのです
彼が泉ちゃんに送った手紙がナレーションされます
誠実な手紙の内容とは思います
しかし泉ちゃんには別れを予感してしまうよそよそしいようなものでした

満男はやっぱり「花をそのままにしておこう」という人なんだと彼女をあきらめさせてしまうような手紙です

馬鹿です、本当に馬鹿です
情けないほど馬鹿です
彼女のことを考えていない、身勝手さに腹が立ちます

しかしそんなことは、いまの年齢の自分だからそう思えることです
青春の真ん中では、そんなこと全然分かっていないのです

バブル崩壊は始まったばかりです
奈落の底に転落していくのはこれからなのです

バブルは何故崩壊するのでしょうか?
それは、これから先まだまだ良くなると信じ切れなくなったからです
一度先行きが不安になると、不安が不安を呼んで、悪循環のスパイラルに入っていくからです

本作の物語と時代とのリンクの凄さ
山田監督の力量は恐るべきものです

あき240