劇場公開日 2007年7月28日

「今では『この世界の片隅で』が有名ですが」夕凪の街 桜の国 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0今では『この世界の片隅で』が有名ですが

2020年4月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 閣僚による「原爆投下しょうがない」発言が世間を賑わせた今夏(2007)。さらに原爆症認定問題もクローズアップされているなか、素晴らしい映画が登場したように思う。

 それでも、避け続けていた被爆者団体との面会を急いだのは、内閣支持率低下を食い止めようとしただけなのが情けないところだ。科学的に因果関係を解明できてないという口実は、裏を返せばそれだけ核兵器には未知なる影響力が存在することを示しているのだし、逃げ口上そのものが核容認の本音をも感じさせてしまう。

 被爆者の苦悩は物理的な苦痛だけではなく、伝染するというデマによって起こる差別も大きいことは、先日観た『ヒロシマナガサキ』でも明らかにされていました。その差別があるがために、自身が被爆者であることを言えない立場にしたり、自殺してしまう者も多かった。周りの人が皆死んでいるのに自分だけが幸せになることができない、死んだ人に申し訳ない・・・などと生き残った者の苦悩。『ヒロシマナガサキ』でも被爆者のそうした本音を知ることができたし、映画『父と暮らせば』でも心打たれたものだった。

 原爆による直接被害を描いた作品は数多くあれど、生き残った被爆者をテーマにした映画はまだまだ少ないように思う。戦後生まれの日本人が人口の75%を超えた現在、原爆が投下された日も知らない若者がいることも嘆かわしい事実なのですが、原爆症認定率の低下にも驚かされるのです。長年の苦痛に耐え、被爆したことをも隠していた人が、症状が悪化してやっとの思いで申請したら却下されるのである。

 映画はそうした政府や行政に対する怒りをぶつけるような内容ではなく、静かに叙情的に被爆者の心を描いたもの。ただ、前半「夕凪の街」では、「誰かに死ねばいいと思われた」とか「やった!また一人殺せた」などといった、今までにない戦争や原爆そのものを憎む直情的な言葉も登場するので、そのシーンでは心が痛む。また、原作漫画にはなかった防火用水への合掌や、悲惨な様子を描いた絵によって『ヒロシマナガサキ』をも思い出して涙を禁じえることができなかった。

 二部構成となっている後半「桜の国」では、安らかに眠る死者への鎮魂の想いを感じさせられるのですが、現代に生きる被爆二世の差別や、生きていくことの力強さがじんわりと響いてくるのです。薄幸の女性を演じた麻生久美子とボーイッシュで現代っ子的な田中麗奈の対比もさることながら、ケロイドの傷痕を曝け出しても誰も口にしない銭湯の様子とピチピチお肌が眩いくらいのラブホのバスルームのシーンが絶妙なコントラストとなっていました。さらに、伯母の死や父が敢えて選択した被爆者との結婚を見て、七波が生まれてくる決意をしたという、世代を越えてもしっかりと融合する脚本もよかったです。

〈2007年8月映画館にて〉

kossy
れいすけ(休眠中)さんのコメント
2021年7月29日

kossyさんてすごいね。1ヶ月映画見てませんでしたが感激。
確かにおっしゃるように、誰かに死ねばいいと思われた、やった!また1人殺せた、生きていていいのかな?
そんな直情的な表現がより深く深く心に突き刺さりました。全編が感動しかなく悲しみと逆に優しさに溢れた素晴らしい映画でした。kossyさんはまだまだいろんな映画をご存知なんですね。はー。

れいすけ(休眠中)