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「自由には責任が伴う」という使い古しの常套句を、まるでタバコの先端を押し付けるように嫌味ったらしく再認させてくる一作。
平穏な生活を享受している主人公のもとへ、ある日死んだはずの友人から電話がかかってくる。その危険な香りに誘われた先で、主人公は秘密結社の胡散臭い幹部に「あなたの人生を変えてみせましょう」と持ちかけられる。なんでも顔から指紋まですべてを整形し、文字通り「第二の人生」を提供してくれるのだという。
特に自分の生活に過不足を感じない主人公は秘密結社の申し出に難色を示すが、秘密結社の老人は言葉巧みに主人公を籠絡する。「銀行員で満足?本当に?小さい頃なりたかったものは?自由が欲しくありませんか?」
整形手術を終えた主人公は「ある有名画家」というキャリアを得て第二の人生へと踏み出す。有名画家として仕事に恋に社交に躍起になる彼だったが、次第に違和感が増幅していく。
いよいよ耐えきれなくなった彼は、適当な理由をでっち上げて前世(という形容で正しいのか?)の妻に会いに行く。妻は目の前にいる有名画家が元夫であるとはまさか気がつかず、生前の夫の振る舞いについてあれこれと述懐する。「何を考えているのかわからない人でした」。
そこで彼は違和感の正体に気がつく。自分が自分の人生に対してなんらの責任も負おうとしてこなかったことを。
妻や家族を蔑ろにし、銀行員という与えられた仕事に没頭するフリをしてきた。整形手術に関してもそうだ。具体的にどうなりたい、こうなりたい、というビジョンもろくに提示せず、秘密結社の老人の誘導尋問に流されるままに画家を採択した。画風もキャリアも生き様もすべてが偽造の「有名画家」を。
主人公は秘密結社に第三の人生を懇願する。今度こそはすべてを自分で決定するのだと意気込みを語る。しかし秘密結社は「あなたが次の被検体を用意できないなら無理です」と固辞する。秘密結社は非合法組織のため、クチコミによって販路を拡大させるしかなかったのだ。
紆余曲折を経て2度目の手術に漕ぎ着けた主人公は、再度秘密結社の老人と対話する。主人公は秘密結社のフレキシビリティの低さに憤慨するが、老人はこう弁明する。「ウチも他社との折り合いがありまして…」
あれほど顧客に自由を喧伝していた秘密結社もまた、他社との経済的ないし社会的均衡という責任に雁字搦めにされていたことが判明する示唆的なシーンだ。
その後、主人公は第三の人生に歩み出す前に殺されてしまう。仕方あるまい、それが一度責任を放棄した者への手厳しい罰則なのだ。
自由には責任が伴う、という摩耗しきった価値観を奇妙奇天烈でグロテスクなSFのもとで再提起した秀作だと感じた(とはいえここで言われている「自由」がほとんど自己中心的な「放恣」に等しいことは指摘しておかねばならないだろう)。
要するに自己中はよくない、という実に単純明快な作品構造なのだが、奇抜でサイケデリックな映像がそこに妙な説得力を与えている。テリー・ギリアム的な悪夢とオーソン・ウェルズばりに凝ったカメラワークが連続して頭が変になる。
そうそう、映画の妙味ってこういうとこだよな、と原点回帰的な気持ちにさせられた。「映像がすごいからサイコーなんだよ!」という肯定にもきっと、いや、絶対に価値はあるのだ。