劇場公開日 2024年3月22日

「野良猫の扱いについて疑問は残るが良い作品。」猫と私と、もう1人のネコ yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0野良猫の扱いについて疑問は残るが良い作品。

2024年4月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

今年129本目(合計1,221本目/今月(2024年4月度)3本目)。
(前の作品 「オーメン ザ・ファースト」→この作品「猫と私と、もう1人のネコ」→次の作品「インフィニティ・プール」 ※明日予定)

 こちらの作品は、シアターセブン(ミニシアターで、インディーズ映画での監督さんの登竜門的な位置にあたる映画館)で見た映画になります。

 いわゆるヤングケアラー問題と、野良猫の扱い(動物愛護法ほか)をミックスした作品で、ともに日本では問題提起がさかんであるため、両方を取り上げた点は理解できますが、どちらも「一つの見方・提示の仕方」で済む問題ではないので(そうであればリアル社会で問題はとっくに解決している)、ややどちらかに寄せて、もう一方はサブ筋くらいであればよかったかな、といったところです。

 ヤングケアラー問題については映画の描き方として理解はできますが、父親の蒸発の点についてはやや身勝手かな…というそしりは免れず(母親が倒れる点は理解できるし、実際に起こりうる問題)、また、この映画では表立って問題視されていませんが「女子大にいって家政科でも専攻して…」という母親の発言があるように、いわゆる男女同権思想における学習権の確保という論点も裏では絡んできます。

 後半はその話とかわって、あるいは並行して、野良猫の扱いについての描写になりますが、ここは「野良猫」といっても広義の意味で、「迷い猫」(飼い猫が離れてしまったもの)か、純粋な意味での「野良猫」かによって扱いが異なり(後述)、この点については行政法の観点からの問題提起もあってしかるべきで(これも後述)、そこについて言及が少なかったのは残念でした。

 とはいえ、美大生(芸術学部)を目指すという、母親からすれば「もう少し実のある学問に」という「古い」考え方に対し「本人が何をしたいか(学習したいか)」という対立については厳しく問題提起されていた点が良かったです。

 関西圏では少しお休みで、5月ごろから神戸で放映されるとのことですが、「ヤングケアラー問題」と「野良猫問題」の両方、あるいはどちらかにアンテナを張っているのであればおすすめ以上といったところです(ミニシアターで、インディーズ映画の登竜門として多くの放映がされるシアターセブンで放映される映画の中では、ひとつランクが上といった判断)。

 採点については以下まで考慮しています。

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 (減点0.2/野良猫に関する扱い、地方行政の在り方についての描写・問題提起が不十分)

 以下で詳しく触れますが、「迷い猫か」「捨て猫か」「野良猫か」によって扱いが全くことなる上に、さらに地方行政の動物愛護の在り方等から考えると、もう少し正確な描写が欲しかったです(映画内でも、迷い猫か野良猫かは微妙な状態。おそらく野良猫?)。
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 (減点なし/猫の扱いと地方行政の在り方)

 猫がどのような扱いになるのかによって3つの区分に分かれます。
なお、以下は行政書士の資格持ちレベルの解釈です。

 (大前提) どの解釈をするとしても、猫を発見して動物病院などで緊急治療を依頼する行為は、準委任(委任の一種)になるため、契約が発生し、依頼主がその治療費用の請求を受けることになります。

 (パターン1) 迷い猫の場合
 迷い猫が道にいるとき、またそこで怪我をしているとき、適切な医療を第三者がかわって受けさせることは事務管理にあたります。この場合は本人(飼い主)に対して費用請求権があります(697条以下)。ただし、本人の意に沿わない事務管理は「本人の利益のある範囲」に減縮されます(697条以下)。

 ただ、その場合でも、動物は民法上「物」(ぶつ)であるため、建て替えた手術代が払われない限り、返せない限り猫も返さないという、留置権を主張可能です。ただ、日本の民法ではそうであるだけで、動物愛護法に精神にてらしたとき、まったくの素人が留置権を盾にとって民法上は「物」にすぎないものの、動物愛護法で保護される「猫」を留置権の対象にして返還を拒むことができるか?というと、民法上の問題とは別に動物愛護法の精神から微妙な部分があります(法の想定していない範囲になる)。

 (パターン2) 捨て猫の場合
 「所有権の放棄」が民法上認められるか?という根本的な問題がありますが(ただ、通説はあるというのが普通。そうでないとゴミ出しもできない)、仮にどうであろうと、この場合は相手方が覚知できないので建て替え費用の請求権は行使しえても実際に期待できないので無駄な話です。

 (パターン3) 野良猫の場合(猫が猫を生んだ、という場合)
 この場合は、元の所有者という概念自体が存在しないので完全に無関係です。

 ただ、どの解釈を取るとしても、そもそも、猫を発見したとき「迷い猫・捨て猫・野良猫」のいずれかは通常、誰も(この映画では、拾った人。法律上は事務管理の管理者)はわからない事項です。そのため、事務管理が成り立つかどうかは不明であっても、動物病院などで治療を依頼することは考えられますが、そうすると「連れて行った人に費用を請求される」(映画内の描写と同じ)点は変わらず、そこは法律上も解釈の揺らぎはありません。

 一方、上記のように、どのパターンでも、何らか急変の字体にある猫・犬を動物病院につれていって緊急治療を受けさせた結果、その費用は本人に請求されてもそれを回収する目立てがないと、最終最後は「放置するのが経済的に一番リスクが少ない」ということであり、ここで「国・地方行政の動物愛護の観点からの、そうした緊急治療を受けさせた場合の当事者に対する補助制度の有無」が問題になるところです(法制度上はなく、条例等ではありうるか、という程度)。これらがないか不十分な地方(条例に規定がない等)においては、まさに「放置するのが一番良い」ことに実際問題なってしまうわけですが、それはそれで「民法上の扱い」であって、動物愛護法の観点でいうと「それでいいのか」という問題になりますので(道路のいたるところに、猫・犬、他の動物が危篤な状態であっても誰も保護しないという社会はそれもそれで動物愛護法の精神からして危うい)、ここは何らかのケアが欲しかったです(ただ、調べた限り、このように緊急状態にある猫を保護した人に治療費の一部を後から補助するといったところはない模様)。

yukispica