高橋光宏 : ウィキペディア(Wikipedia)
高橋 光宏(たかはし みつひろ、1962年7月19日競輪打鐘読本、86頁。 - )は、元競輪選手。群馬県高崎市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)56期生。現役時代は日本競輪選手会群馬支部所属。師匠は松岡征四郎。血液型はB型。自転車はサムソン。愛称は「ミツ」。
来歴
群馬県立高崎工業高等学校では自転車部に在籍競輪打鐘読本、87頁。。卒業後は2年間製鉄会社に勤務するが、賃金の低さに不満を覚え、競輪選手になることを決意。競輪学校には56期生として入学し、在校成績は43勝で6位だった。
初出走は1985年9月14日の豊橋競輪場で、初勝利も同日。デビュー当初から追い込みを得意戦法とした競輪打鐘読本、88頁。。デビュー後は順調にS級に昇格し、1994年には第10回全日本選抜競輪で特別競輪(現在のGI)初優勝を果たす。ただ、この時は初戦の一次予選特別選抜競走着順に関係なく、全員が二次予選に勝ち上がれるレース。で失格しており、失格選手が優勝したという矛盾が問題となった。これを受けて1992年に制定された「特別競輪で失格した選手は次の特別競輪に斡旋しない」というルールが、1995年より「特別競輪でも失格即欠場」というルールに改められたただし、失格の内容次第ではあるが、基本的に次の特別競輪には斡旋される。。
しかし翌1995年の第38回オールスター競輪で優勝し、2つ目のタイトルを獲得したことで、自らその実力の高さを証明して見せた。
40歳を超えてからも長い間S級で活躍したが、2011年下半期からA級降格が決定したこともあり、2011年6月22日の向日町競輪場第6RS級一般戦8着をもって現役引退を表明した。
2011年6月27日、選手登録消除。通算成績2024戦257勝、優勝23回(うち特別競輪2回)。
主な獲得タイトル
- 1994年 - 全日本選抜競輪(大垣競輪場)
- 1995年 - オールスター競輪(熊本競輪場)
競走スタイル
高橋曰くあまり攻撃的な性格ではなく、番手で競るよりも競らずに3番手につけることをよしとする競輪打鐘読本、89-90頁。。典型的な追込選手。しかし「ここ一番」という時の実力には目を見張るものがあり、決勝レースに出走した時は、かなりの好成績を残している。現在評論家の緒方浩一は、高橋の競走について「三番手を回らしたら日本一」と評価していた。高橋は瞬発力と展開、コース取りなどに関する判断のよさが自身の武器であると述べている競輪打鐘読本、90頁。。
注釈
出典
参考文献
関連項目
- 後閑信一
- 稲村成浩
外部リンク
- 現役時代の成績 - KEIRIN.JP
- S級1班リレーインタビュー 高橋光宏 - keirin.jp
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/18 09:14 UTC (変更履歴)
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