佐藤淳一 : ウィキペディア(Wikipedia)

佐藤 淳一(さとう じゅんいち、1980年12月26日 - )は、プロレスの元レフェリーである。神奈川県横浜市出身。アイスリボンに専属していた。

経歴

学生プロレス出身。当時は松永智充らとトリオを組んで活動していた回復と復活!! - GENTARO日記「乙女の愛の夢」 2014年3月23日。

1999年、IWA・JAPANに入社し、翌年2000年3月16日、つくば市大会でレフェリーデビュー。2003年、退社。その後フリーとして 主にDDT・ガッツワールドと男子インディー団体を中心に活動。

2007年から2010年までガッツワールド専属で活動。退団後は引退を決めていたが、アイスリボンから声をかけられたことで、最後の団体と決めて専属へ。

2017年11月をもってレフェリーを引退。アイスリボンにて引退興行が開催され、DVDが発売された。引退理由は一言でいうと「奥さん孝行」のためhttp://iceribbon.com/event_detail.php?id=1859。メインレフェリーは愛弟子である斉藤一二三へ引き継がれた。

人物

アイスリボンの関係者からは淳一さん、または淳ちゃん、などと呼ばれていて涙もろい性格から「泣き虫レフェリー」とも呼ばれている。Twitterを行っていないが自身の近況などは世羅りさにツイートしてもらいたい文面と画像をメールで送り世羅が「#淳一通信」というハッシュタグをつけてメールの内容を定期的にツイートしている。

男子インディー団体出身で、星野勘九郎(大日本プロレス)ら男子レスラーとも親交がある。

かつてはリッキー・フジのファンクラブ会長を務めていた。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/04 14:26 UTC (変更履歴
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