山内久 : ウィキペディア(Wikipedia)
山内 久(やまのうち ひさし、1925年〈大正14年〉4月29日 - 2015年〈平成27年〉9月29日)は、東京府(現・東京都)出身の脚本家。
父は弁士の山野一郎(本名:山内幸一)、兄は俳優の山内明、弟は作曲家の山内正、妻は脚本家の野田高梧の娘で脚本家の立原りゅうである。作曲家の小杉太一郎は義弟(妹の夫)、エッセイストの山内美郷は姪(兄の子)にあたる。
脚本を担当した「幕末太陽伝」(日活、1957年)の公開時はまだ松竹に在籍していたため、「田中啓一」というペンネームを使用しており、「盗まれた欲情」「果しなき欲望」(共に日活、1958年)の際には「鈴木敏郎」というペンネームを使用している。
人物
- 1950年に東京外国語大学卒業後、松竹大船撮影所脚本部に入社。
- 1959年に松竹を退社し、フリーとなる。
- 1990年紫綬褒章受章。
- 1991年、日本シナリオ作家協会理事長となる( - 1997年)。2001年 - 2005年に再任。
- 2015年9月29日、老衰のため死去訃報:山内久さん90歳=脚本家 毎日新聞 2015年9月30日閲覧。90歳没。
主な脚本作品
テレビドラマ
- 「若者たち」(フジテレビ、1967年)
- 「なかよし」(フジテレビ、1967年-1968年)
- 「みつめいたり」(フジテレビ、1968年)
- 「かあさんの明日」(フジテレビ、1974年)
- 「堂々たる打算」(NHK、1976年)
- 「松本清張シリーズ・依頼人」(NHK、1977年)
- 「素直な戦士たち」(NHK、1979年)
- 「復活」(NHK、1981年)
- 「街・若者たちは今」(NHK、1982年)
- 「街~美ら島は、今」(NHK、1983年)
- 「生きる」(テレビ朝日、1981年)
- 「うまい話あり」(NHK、1986年)
- 「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」(NHK、1990年)
- 「新・半七捕物帳」(NHK、1997年)
ほか
映画
- 「花のおもかげ」(松竹、1950年)
- 「離婚結婚」(松竹、1951年)
- 「この春初恋あり」(松竹、1952年)
- 「夏子の冒険」(松竹、1953年)
- 「ひばりの悲しき瞳」(松竹、1953年)
- 「裸形家族」(松竹、1954年)
- 「俺は死なない」(松竹、1956年)
- 「幕末太陽傳」(日活、1957年)
- 「盗まれた欲情」(日活、1958年)
- 「坊っちゃん」(松竹、1958年)
- 「果しなき欲望」(日活、1958年)
- 「未婚」(歌舞伎座、1959年)
- 「晴れて今宵は」(松竹、1959年) ※原作
- 「ハイ・ティーン」(松竹、1959年)
- 「明日への盛装」(松竹、1959年)
- 「「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち」(日活、1960年)
- 「豚と軍艦」(日活、1961年)
- 「水溜り」(松竹、1961年)
- 「母あちゃん海が知ってるよ」(日活、1961年) ※原作
- 「運が良けりゃ」(松竹、1966年)
- 「若者たち」(俳優座・新星映画、1967年)
- 「若者は行く -続若者たち-」(俳優座、1969年)
- 「私が棄てた女」(日活、1969年)
- 「若者の旗」(俳優座、1970年)
- 「朝やけの詩」(俳優座・東宝、1973年)
- 「わが青春のとき」(大映・俳優座、1975年)
- 「天保水滸伝 大原幽学」(大映、1976年)
- 「聖職の碑」(東宝、1978年)
- 「アッシイたちの街」(大映、1981年)
- 「あゝ野麦峠 新緑篇」(東宝、1982年)
- 「ブンナよ木からおりてこい(ダックスインターナショナル、1987年)
- 「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」(シネマ・ワーク、1995年)
著書
- 「若者の旗」共著:立原りゅう(文理書院、1970年)
- 「アッシィたちの街」(汐文社、1981年 同時代叢書)
- 「街〜若者たちは、今〜」(汐文社、1982年 同時代叢書)
- 「街〜美ら島は、今〜」(汐文社、1983年 同時代叢書)
- 「若者たち〜時代を駆けぬけた熱い青春がいま、甦る〜」(汐文社、1984年 同時代叢書)
- 「私も戦争に行った」(岩波書店、2000年 岩波ジュニア新書)
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/02 02:18 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.