松田翔太 : ウィキペディア(Wikipedia)

松田 翔太(まつだ しょうた、1990年5月17日 - )は、大阪府箕面市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。石川ミリオンスターズ時代の登録名は「翔太」。

経歴

小学3年時から北摂ドリームス小学部で本格的に野球を始め、箕面市立第二中学校では北摂ドリームスで投手として活躍。高校入学直前に一度は野球を辞めることを考えたが、石川県の金沢学院東高に野球留学することを決めた中国新聞特集「輝け 新球場1期生」

高校時代は、1年夏からベンチ入りした。高校2年生だったの高校野球石川県予選で、チームを創立初となるベスト4に導く活躍を見せた。また9連続奪三振を記録した。の高校野球石川県予選はベスト8に終わったが、大会屈指の左腕として注目を集めた。

周囲からは大学進学を勧められたが、「夢だった世界に入りたい」という思いから、2008年9月15日に大野練習場で行われた入団テストを受験。合格には至らなかったがスカウト陣がセンスを惚れ込み、育成枠の候補としてあげられた(この時唯一合格したのが4位に指名された申成鉉)。他にもロッテ・日本ハムの入団テストを受けていた。ちなみにロッテの入団テストには日生学園第三高(現・自由ヶ丘)の山林芳則と一緒に受けている。これらの経緯で、2008年10月30日のドラフト会議で広島東洋カープから育成選手として指名を受けた。

シーズンは、二軍で10試合に登板するも防御率7.15、シーズンは二軍で10試合に登板し防御率5.23であった。

シーズンも二軍で16試合に登板し防御率4.09であった。同年10月13日に戦力外通告を受けた。11月7日、自由契約公示された。なお、オフには12球団合同トライアウトを受けた。

2月、BCリーグの石川ミリオンスターズからドラフト指名を受け、2月27日入団発表された。登録名は「翔太」。オフにはBCリーグからの派遣でコロンビア・ウインターリーグに参加した。

7月25日に福井ミラクルエレファンツへ移籍。登録名も本名に戻すことになった。

シーズン終了後に現役引退を発表し、退団。

選手としての特徴・人物

体のバランスが良く、肘の使い方が上手い。持ち味は、最速143kmの直球と「中学から打たれたことがない」というパームボールなどの多彩な変化球である。反面、四死球が多いなど制球力に課題を残している。

多彩な投法で投げることができる器用な投手で、オーバースロー、スリークォーター、サイドスローに加えて、左腕では珍しいアンダースローでの投球も行うことができるでこれら全ての投法で投球していることが確認できる。。

遠縁の親戚には、元プロボクサーで俳優の赤井英和がおり、祖父の松田博文は1965年の世界柔道選手権68kg以下級の金メダリスト。「ケンカは苦手です」と笑うが、マウンド上では声を張り上げるなどの闘志を見せている。

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

独立リーグでの投手成績

年度球団登板完投勝利敗戦セ丨ブ勝率打者投球回被安打被本塁打与四球与死球奪三振暴投ボ丨ク失点自責点防御率WHIP
石川291770.500472107.01087487714065504.211.46
100020.0006813.016011270015139.002.08
福井150000----6015.0132501400331.801.20
'13計250020.00012828.0292162210018165.141.61
300320.60027961.1713263373035304.401.59
通算:3年84110110.476879196.120812901212970118964.411.52

背番号

  • 123 (2009年 - 2011年)
  • 14 (2012年 - 2013年途中)
  • 38 (2013年途中 - 2014年)

登録名

  • 松田 翔太 (まつだ しょうた、2009年 - 2011年、2013年途中 - 2014年)
  • 翔太 (しょうた、2012年 - 2013年途中)

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧
  • 石川ミリオンスターズの選手一覧
  • 福井ネクサスエレファンツの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/19 00:50 UTC (変更履歴
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