ネロ・リージ : ウィキペディア(Wikipedia)
ネロ・リージ(、1920年4月21日 - 2015年9月17日)は、イタリアの詩人、映画監督、脚本家であるNelo Risi, Internet Movie Database , 2010年9月17日閲覧。
来歴・人物
1920年(大正9年)4月21日、イタリアのロンバルディア州ミラノ県ミラノで生まれる。父はスカラ座専属の医師、30歳離れた兄フェルナンドが撮影・照明の技術者で、4歳上の兄ディーノはのちに映画監督になったItalian director Dino Risi dies, BBCニュース 、2008年6月7日付、2010年9月15日閲覧。。
1956年(昭和31年)、ジャコモ・マッテオッティの暗殺に取材した短篇ドキュメンタリー映画『マッテオッティ暗殺』を監督したのが、最初の監督作である。1959年(昭和34年)、短篇ドキュメンタリー『ロッセリーニ兄弟』を発表、1960年(昭和35年)、同作でナストロ・ダルジェント賞短篇映画賞を受賞した。
時期は不明であるが、エディス・ブリュックと結婚している。1966年(昭和41年)に発表した『悲しみは星影と共に』はエディスと共同で脚本を執筆し、ネロが監督した作品である。
1968年(昭和43年)、『ふれあい』を監督、1970年(昭和45年)、同作の脚本でナストロ・ダルジェント賞脚本賞を受賞した。同年に監督した Ondata di calore で、サン・セバスティアン国際映画祭金の貝殻賞を受賞した。
フィルモグラフィ
特筆以外はすべて監督作である。劇映画の監督作に関してはフルリストである。
- 『マッテオッティ暗殺』 Il delitto Matteotti : ドキュメンタリー映画、1956年 - 初監督作
- Souvenir d'Italie : 監督アントニオ・ピエトランジェリ、1957年 - 原案
- 『ロッセリーニ兄弟』 I fratelli Rosselli : 1959年
- 『豊かなる成熟』 Le italiane e l'amore : オムニバス映画、1961年 - "Le Ragazze madre" 篇
- 『明日に太陽を』 Jusqu'au bout du monde : 監督フランソワ・ヴィリエ、1963年 - 脚本
- La strada più lunga : テレビ映画、1965年 - 監督・脚本
- 『悲しみは星影と共に』 Andremo in città : 原作・脚本エディス・ブリュック、1966年 - 監督・脚本
- 『ふれあい』 Diario di una schizofrenica : 1968年 - 監督・脚本
- Flashback : 監督ラッファエーレ・アンドレアッシ、1969年 - 脚本
- 『ランボー 地獄の季節』 Una stagione all'inferno : 1970年
- Ondata di calore : 1970年 - 監督・脚本
- La colonna infame : 1972年 - 監督・脚本
- Un amore di donna : 1988年
- Per odio per amore : テレビ映画、1991年
関連事項
- フェルナンド・リージ (Fernando Risi , 2010年9月10日閲覧。)
- ディーノ・リージ
- クラウディオ・リージ ([[:it:Claudio Risi]])
- マルコ・リージ ([[:it:Marco Risi]])
- ラッファエーレ・アンドレアッシ ([[:en:Raffaele Andreassi]])
- エディス・ブリュック ([[:it:Edith Bruck]])
註
外部リンク
- - movie-fan.jp
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/01/16 01:39 UTC (変更履歴)
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