永松健夫 : ウィキペディア(Wikipedia)
永松 健夫(ながまつ たけお、本名:永松 武雄、1912年〈明治45年〉3月1日 - 1961年〈昭和36年〉11月17日)は、日本の紙芝居作家、絵物語作家。『黄金バット』の造形を生み出したことで有名。
来歴
大分県出身。戦前は紙芝居作家として活動し、1930年(昭和5年)、鈴木一郎脚本の紙芝居『黒バット』内で初めて黄金バットの絵を描く。戦後には主に少年雑誌向けの絵物語を執筆。田代寛哉(田代かんや)の妹と結婚する。この結婚で、のちの人形劇団プーク代表曽根喜一(小曽根喜一)の妻で作家の田代巴(田代ともえ)が義理の妹になる曽根喜一『戦後人形劇風雲録』晩成書房、1998年、p.103-104。1961年(昭和36年)、胃癌で死去。
エピソード
上京後は足立区島根町に暮らし、北野家の近所だったと、北野大が自伝に記している。
主な作品
- 黄金バット
- アトム騎士
- 花も嵐も
関連項目
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/17 08:47 UTC (変更履歴)
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