中牟田俊男 : ウィキペディア(Wikipedia)
中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )は、日本のシンガーソングライター、ギタリスト、作曲家であり、海援隊のメンバー。通称「ムーさん」。福岡県福岡市出身。
来歴・人物
西南学院大学在学中の1971年に武田鉄矢を誘い、海援隊を結成。1972年にデビューする。武田は福岡県立筑紫中央高等学校の同級生。1982年にグループを解散後、『IT(イット)』『プレーン・グラス』などのアルバムをリリースした。『IT(イット)』では、海援隊時代の曲「涙がらがら」や武田がソロで歌った「声援」などをセルフカヴァーしている。1993年に海援隊を再結成する。その後、海援隊と並行してのソロ活動を、東京の「四谷コタン」を中心に展開。(イベント名:「点景」)。「四谷コタン」は2016年12月に曙橋へ移転。毎月第3土曜日に「点景」が開催されている。
大学時代、武田ともう一人の高校の同級生の野田を誘い、ヤングラディーズ(後の海援隊)を結成する。アメリカンフォークを得意としていた。その後、海援隊はオリジナル曲を歌うことが中心となり、メンバーが激減、中牟田と武田のみとなるが、中牟田が千葉を誘い、海援隊は3人組としてデビューすることとなる。
海援隊では大ヒット曲の「人として」(『金八先生』第2シリーズ主題歌、千葉和臣と共作)や「あんたが大将」などを作曲することとなる。また、『3年B組金八先生』の主題歌では、歴代8シリーズの主題歌は千葉の作曲が多いが、第6シリーズの「まっすぐの歌」は中牟田の作曲であり、海援隊が一時解散期で武田がソロ名義でリリースした第3シリーズの「声援」も中牟田の作曲である。
2016年1月6日食道癌を発症し、入院している事が海援隊ホームページにて公表された。ホームページに掲載された武田のコメントによると、中牟田から報告があったのは昨年12月半ばで、1月に入院して治療にあたるという。武田は「数年前は私自身の病で中牟田を待たせたことがありますので、今度は私が待つ番だと前を向きました」と記すとともに、「しばらく中牟田のいない海援隊が続きますが、この事情と中牟田の思いを汲みおかれましてどうぞお待ち下さい」とファンに呼びかけている。
同年7月11日、博多座公演の第二部海援隊トーク&ライブで仕事復帰を果たす。
代表曲
- 踊り子(『贈る言葉』B面)
- 涙がらがら
- 路上にて
- 俺の人生真中あたり
出演
- Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜 (2021年6月20日・27日、朝日放送ラジオ)
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/14 23:13 UTC (変更履歴)
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