ドミニク・ダン : ウィキペディア(Wikipedia)
ドミニク・ダン(Dominique Dunne、1959年11月23日 - 1982年11月4日)は、アメリカ合衆国の女優。『ポルターガイスト』出演後、恋人に殺害され呪われたとされる3つのホラー映画 - ライブドアニュース、23歳の誕生日を前に死去した。
生涯
カリフォルニア州サンタモニカ出身のアイルランド系。母は裕福なアリゾナの大牧場の娘、父も裕福な資産家の息子で映画プロデューサーのドミニク・ダンhttp://www.trutv.com/shows/dominick_dunne/photo_gallery.html?curPhoto=4(日本語では同じドミニクだが、父親はDominick、娘はDominique)、叔父は『スター誕生』(1976年)の脚本家のジョン・グレゴリー・ダン、義叔母は文筆家のジョーン・ディディオン、兄が2人おり、一人は『マイ・ガール』のグリフィン・ダン。父方の曾祖父はアイルランドから移民して八百屋業から銀行の経営者に登りつめた成功者で、祖父も有能な外科医として病院長を務めていた。父親の兄弟はすべてハーバード、プリンストン、イエールなど名門大学に進学し、裕福なワスプ社会に暮らす一族だったDeath in the Family by Dominick Dunne, Vanity Fair, 2004年3月。
両親の離婚後、ロサンゼルス市内のビバリーヒルズに引っ越す。父親と叔父夫婦は共同で映画会社を経営していたが、喧嘩別れしたあと、叔父夫婦が脚本を書いた『スター誕生』が大ヒットしたため、嫉妬に苦しんだ父親は酒浸り・薬漬けになり、ドラッグ売買の罪で逮捕された。叔父夫婦が保釈金を払い釈放され、オレゴン州に引きこもる。
1972年にテレビ映画『ヒッチハイク・ギャル/危険な17才』でデビューする。
出演作『ポルターガイスト』の公開直後の1982年11月4日、ウェスト・ハリウッドの自宅で交際相手に絞殺され、22歳で死去した。父親は雑誌『ヴァニティ・フェア』の依頼で犯人の裁判傍聴記を執筆し、これがきっかけで有名人や富裕層の事件・裁判専門の書き手としてベストセラー作家になった。
事件概要
ドミニク・ダンを殺害した犯人はレストランの副シェフで、1981年に知り合い、一時は彼女と同棲していた。しかし独占欲が強く、ドミニクに暴力を振るようになったため、ドミニクが別れを切りだし、2人は同棲を解消した。しかし、男は復縁を迫ってドミニク宅を何度も訪れ、ある日、男優と自宅で稽古中だったドミニクと口論になり、首を絞めた。懲役6年半の有罪判決が出たが、3年ほどで出所した。判決を不服とした両親は、犯人が出所後もしばらく行き先を調査しつづけた。犯人は再び料理人として働きはじめたが、ドミニクの父親の通報によってクビになったため、以後、名前を変えて暮らしているAmerican Tragedy That Brought Death to Actress Dominique Dunne Now Brings Outrage to Her Famil, People, October 10, 1983。
主な出演
- ヒッチハイク・ギャル/危険な17才 Diary of a Teenage Hitchhiker (1979年) テレビ映画
- ポルターガイスト Poltergeist (1982年) - ダナ・フリーリング 役
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/01/17 22:40 UTC (変更履歴)
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