デクスター・ゴードン : ウィキペディア(Wikipedia)
デクスター・ゴードン(Dexter Gordon、1923年2月27日 - 1990年4月25日)は、アメリカ合衆国のジャズ・テナー・サクソフォーン奏者。
来歴
1923年に西海岸カリフォルニア州ロサンゼルス の中流階級家庭に生まれる。父は黒人の医師で秀才の誉れ高く、母はフランス系カナダ人の白人だった。1945年、デクスターはビリー・エクスタインのバンドを離れニューヨークに行く。1945年から1947年にかけてサヴォイ・レコードのためのレコーディング・セッションを行い、バド・パウエル、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどの敏腕プレイヤーと共演。その成果は、『デクスター・ライズ・アゲイン』、『ロング・トール・デックス』http://www.bbc.co.uk/music/tracks/nnmjp9といったアルバムに収められた。更に、1947年にはダイアル・レコードのためのセッションを行い、ワーデル・グレイとの双頭クインテットで『ザ・チェイス』などを吹きこむ。
1950年代は麻薬禍のため活動が低迷、大部分の期間を麻薬更生施設で過ごす。そんな中、1952年2月にはグレイとジーン・ノーマン主催のジャスト・ジャズ・コンサートに出演し、『ザ・チェイス』を再演。1955年にはケニー・ドリューらとの『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』(Bethlehem)や、らと『デクスター・ブロウズ・ホット・アンド・クール』(Dootone)などのアルバムを録音する。
1960年代初頭から1976年にかけて渡欧し、フランスやデンマークを拠点に活動する。この頃は再び音楽活動が軌道に乗った時期で、1962年にサイドメンとして参加した、ハービー・ハンコックの初リーダー作『テイキン・オフ』(ブルーノート)、1963年に再びパウエルらとパリで録音した『アワ・マン・イン・パリ』(同)、1967年7月にドリューとともに出演したコペンハーゲンのジャズクラブ「モンマルトル」でのライヴ『モンマルトル・コレクション』(Black Lion)などが名高い。
なお、ゴードンがデンマークのゲントフテに滞在していた頃、現地のジャズ・クラブのマスターで元テニス選手であったトルベン・ウルリッヒと親しくなり、トルベンの息子の代父となる。その息子は、後にメタリカのドラマーとして成功を収めるラーズ・ウルリッヒであったメタリカ公式サイト内バイオグラフィー(2011年3月14日時点のアーカイブ)参照。
1976年にはアメリカに戻り、殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行った。後に有名サックス奏者となるジョー・ロヴァーノはこの時の演奏を生で聴いており、「私をサックス奏者として最も向上させてくれた経験だった」と述懐している。1986年には映画『ラウンド・ミッドナイト』で主役を務め、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。また、ロバート・デ・ニーロが主演した1990年のアメリカ映画『レナードの朝』(原題:Awakenings)にも出演し、ピアノで「デクスターズ・チューン」を演奏している。
1990年4月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで亡くなる。67歳だった。
関連項目
- ビバップ
- ジャズ
- メルバ・リストン
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/05/10 13:38 UTC (変更履歴)
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