ダグラス・サーク : ウィキペディア(Wikipedia)
ダグラス・サーク(Douglas Sirk, 本名:Hans Detlef Sierck, 1897年4月26日 - 1987年1月14日)は、ドイツ出身の映画監督。ハリウッドでも活躍した。
略歴
デンマーク人の両親の元、ハンブルクに生まれ、ドイツとデンマークで育つ。ヴァイマル共和政の元で舞台監督としてキャリアをスタートさせ、1934年にはウーファで映画製作にも携わる。しかし妻がユダヤ人だったため、ナチスの弾圧を逃れ、1937年にドイツを離れアメリカへ亡命。デトレフ・ジールクというドイツ的な名では仕事につけないため、ダグラス・サークと改名する。
1942年にハリウッドで反ナチ映画『Hitler's Madman』を監督した。しばらく下積みが続いた後、1952年から1958年まではユニバーサル映画でメロドラマを連作、その他西部劇なども監督した。
1970年代にドイツに戻り、1987年にスイスで没した。
1955年(昭和30年)9月10日に来日している。
余談
作品の再評価により、1980年のカンヌ国際映画祭では審査委員長に選ばれる予定であったが、依頼の電文が手違いでカーク・ダグラスに送られてしまい、その年の審査委員長になることはできなかった『映画 果てしなきベストテン』(山田宏一、草思社、2013年)p387。
主な監督作品
- エイプリル・フール April April !(1935)
- 第九交響楽 Schlußakkord (1935)
- 思ひ出の曲 Das Hofkonzert (1936)
- 世界の涯てに Zu neuen Ufern (1937)
- 南の誘惑 La Habanera (1937)
- 誘拐魔 Lured/Personal Column (1947)
- 眠りの館 Sleep, My Love (1948) (シネクラブ上映)
- ちょっとフランス風 Slightly French (1948)
- ぼくの彼女はどこ? Has Anybody Seen My Gal? (1952)
- わたしの願い All I Desire (1953)
- 私を町まで連れてって Take Me to Town (1953)
- 異教徒の旗印 Sign of the Pagan (1954)
- 心のともしび Magnificent Obsession (1954)
- アパッチの怒り Taza, Son of Cochise (1954)
- 自由の旗風 Captain Lightfoot (1955)
- 天はすべて許し給う All That Heaven Allows (1955) (シネクラブ上映)※ビデオタイトルは「天が許し給うすべて」「天の許し給うものすべて」
- 風と共に散る Written on the Wind (1956)
- 大空の凱歌 Battle Hymn (1957)
- 間奏曲 Interlude (1957)
- 翼に賭ける命 The Tarnished Angel (1957)
- 愛する時と死する時 A Time to Love and A Time to Die (1958)
- 悲しみは空の彼方に Imitation of Life (1959)
日本語文献
- 『サーク・オン・サーク』、ジョン・ハリデイによるインタヴュー集、明石政紀訳、Infas パブリケーションズ、2006年
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/29 13:26 UTC (変更履歴)
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