高橋博 : ウィキペディア(Wikipedia)

高橋 博(たかはし ひろし、1913年10月11日 - 1982年10月1日)は、芸能評論家、話芸家、アナウンサー。日本演劇協会会員、日本大学芸術学部講師。愛称は、博さん(はくさん)

経歴

銀座生まれ浅草育ち。1936年にNHK入局(同期に志村正順等)。

学生時代から芝居好きで、脚本なども書き、芝居の世界との付き合いもあったせいもあり、主に舞台中継、朗読を担当。抑制した口調と独特の間の置き方で「語り」の世界を作り上げた。

敗戦後、戦意高揚に関わった責任を取ってNHKを辞職。1954年にニッポン放送へ移籍。同時期に坂本荘、中村要輔(両名ともNHKの後輩。当時はラジオ東京)とともに東北放送で教育も行った。

ニッポン放送初代アナウンス室長、フジテレビ初代アナウンス室長(1958年より)、ニッポン放送編成局編成総務、ニッポン放送嘱託(フジテレビ編成局付)を歴任。1968年にニッポン放送を退職。

1969年から1979年まで、断続的に(計7回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門 )の審査員を務めた。

戸板康二の勧めから「語り」を芸として確立したいという熱意のもと、「物語」の語り手として三越名人会や鈴本演芸場、国立演芸場などの舞台に立ち国立演芸場は昭和55(1980)年9月11日~20日、9月定席公演に出演。肩書は「物語」。、アナウンサー時代の名調子を聞かせたこともあった。立川談志からの評価も高かった。

1982年10月1日に脳卒中のため、東京都台東区元浅草の永寿病院で死去。

担当作品

著書

  • 芸術教育叢書 大衆芸能 - その歩みと芸人たち(教育史料出版会、1980年11月)ISBN 9784876520589

関連人物

  • 西澤實(盟友)
  • 本田寿賀(NHK時代の部下・第3回紅白歌合戦紅組司会)
  • 高橋圭三(NHK時代の後輩)
  • 今井彬(ニッポン放送・フジテレビ時代の部下、後にフジテレビアナウンス室長)
  • 山田祐嗣(同上)
  • 東海林のり子(同上)
  • 露木茂(フジテレビ入社当時、高橋に指導を受けた)
  • 髙木美智子(フジテレビ時代の部下)
  • 内藤和美(高橋に師事)
  • 斉藤由織(同上)
  • 小栗久江(同上)
  • 西村奈歩(同上)
  • 塙野ひろ子(同上)
  • 塚越孝(ニッポン放送アナウンサー(当時)、晩年の高橋と交流があった)

参考文献

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/06 22:19 UTC (変更履歴
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