スコット・クーパー : ウィキペディア(Wikipedia)

スコット・ケンドリック・クーパーScott Kendrick Cooper , 1967年10月13日 - )は、MLBボストン・レッドソックスなどに所属した元プロ野球選手。アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身。は三塁手。日本では1996年に西武ライオンズに所属した。

来歴・人物

1986年のドラフトでボストン・レッドソックス入りしたクーパーは、5年のマイナー生活の後、にメジャー初昇格を果たす。しかし1打席のみで結果は三振であった。翌もシーズンのほとんどをAAAですごした。は一塁をモー・ボーンと分け合う形で出場機会が増え、からはウェイド・ボッグスの去った三塁を守った。この年と翌は2年連続でレッドソックスからはただ一人、オールスターに選出された。1994年4月12日にはサイクルヒットを達成。同年7月8日のシアトル・マリナーズ戦の3回表、マリナーズのアレックス・ロドリゲスがメジャー初打席を迎えたが、この時に三塁ゴロをさばいたのがクーパーだった。

来日前年のセントルイス・カージナルスに移籍。118試合に出場しながら右肩・膝の故障の影響で打率.230、3本塁打、30打点に終わるなど力の衰えは否めなかった。

ライオンズで迎えたは前評判は高かったが、強肩はアピールできたものの三塁守備の安定感に乏しく、変化球を全く打てないことから打撃成績も徐々に低下していき、シーズン終了前の9月初めに退団した。12月にはカンザスシティ・ロイヤルズと契約、メジャー復帰を果たす。に独立リーグでプレーして引退したhttp://www.thebaseballcube.com/players/profile.asp?ID=10176。

西武時代は、前身の西鉄クリッパース以来「投手の背番号」で且つ「エースナンバー」として扱われている「21番」を着けた唯一の野手だった。しかも、在籍時の監督はその「21番のエース」の一人である東尾修だった他に島原幸雄・若生忠男・渡辺智男など。。

詳細情報

年度別打撃成績

BOS2110000000000000010.000.000.000.000
143735616420247000020020.457.486.6861.172
123378337349321051293311223700335.276.346.383.729
15659652667147293920963524358155818.279.355.397.752
10440636949104164131675303153021656.282.333.453.786
STL118430374298618231174003044933859.230.321.313.634
西武81318276276713071012712213702516.243.335.366.701
KC751821591232613491511221702324.201.283.308.591
MLB:7年59220301801197478941233695211710916193201129932.265.337.386.723
NPB:1年81318276276713071012712213702516.243.335.366.701

記録

MLB
  • MLBオールスターゲーム選出:2回(1993年、1994年)
  • サイクルヒット:1回(1994年4月12日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦、カウフマン・スタジアム)
NPB
  • 初出場・初先発出場:1996年3月30日、対近鉄バファローズ1回戦(西武ライオンズ球場)、3番・三塁手で先発出場、3打数1安打
  • 初本塁打:1996年4月21日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に小林昭則からソロ

背番号

  • 45(1990年 - 1992年)
  • 34(1993年 - 1995年)
  • 46(1995年)
  • 21(1996年)
  • 14(1997年)
  • 16(1997年)

参考資料

関連項目

  • ミズーリ州出身の人物一覧
  • 埼玉西武ライオンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/07/23 01:58 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「スコット・クーパー」の人物情報へ