ジュリエット・グレコ : ウィキペディア(Wikipedia)

ジュリエット・グレコ (Juliette Gréco、1927年2月7日 - 2020年9月23日)は、フランス出身のシャンソン歌手、女優。

約70年のキャリアを誇る、同国を代表する歌手の一人。世界的にも最高峰の歌手と称えられ、戦後のシャンソン界を牽引する存在であったが、2016年を最後に一線から退いた。

略歴

若年期と活動後

コルシカ島出身の父と、レジスタンス活動家の母との間に生まれる。ジュリエットは母方の祖父母に育てられるが、自身もレジスタンス活動に巻き込まれゲシュタポにより、パリ近郊のフレンヌ監獄の収容所に、母と姉はドイツのラーフェンスブリュック強制収容所に入れられた母・姉の同収容所の同ブロックには、シモーヌ・ヴェイユ (政治家)の姉ドニス・ヴェルネ (fr) がいた。のちにジュヌヴィエーヴ・ド・ゴール=アントニオーズが加わった。戦後の1946年に、母はフランス海軍についてフランス領インドシナへ行った。。若年だったため早期に釈放され、エレーヌ・デュック (fr 母の友人で、グレコのフランス語等の教師だった。のち女優。) が住むサン=シュルピス教会近くのパリ6区セルヴァンドニ通り (fr) 20番地同通り18-20番地はかつてオランプ・ド・グージュが居住した地になる。へやってきた。そこで寄留することになり、家にあったあり合わせの男物の服を着て、エレーヌの友人アリス・サプリッチ (fr) から靴をあたえられたりしたが、いわば“サンジェルマンスタイル”をこの時に創り出した。

ジュリエットは、たちまち戦後フランスのボヘミアンのスターに躍り出た。“サン=ジェルマン=デ=プレのミューズ”、“グレコ”あるいは“ラ・グレコ”などと呼ばれた。黒い長い髪をなびかせ、黒ずくめの衣装で歌うのがトレードマークで、彼女はジャン・ポール・サルトルやボリス・ヴィアンらアーティストのインスピレーションを刺激し、彼らから曲の提供を受けるなどして、一線で活躍した。ジャン・コクトーが映画『オルフェ』に起用した。『パリの空の下』のカバーや、また『枯葉』はバレー曲、映画音楽などとして作曲され、シャンソンとして歌詞がつき、その後ジュリエットの歌で流行り、マイルス・デイヴィスグレコは、サルトルのルイジアンヌ館 (fr) に居住し、のちに同建物に居住していたマイルス・デイヴィスとも近しい関係になった。もセッションの2曲目としてよく演奏したBS-TBS『SONG TO SOUL〜永遠の一曲〜』ジュリエット・グレコ「枯葉」 2018年12月23日放送。

以後、世界的にも最高峰クラスのシャンソン歌手と称えられ、近年までレコーディングした曲は500曲を超えている。

女優としても活動し、特に1950年代から1960年代の間には数多くの映画に出演している。日本には通算22回来日し、その間 日本にもシャンソン・ブームをもたらした。

2015年4月、現役は続行するものの、ステージからの引退を表明した。これまでの長いキャリアの上で応援をしてくれた全てのリスナーへ、感謝を込めて贈るベスト・アルバム『メルシー』を引っさげ、2016年に最後のコンサートツアーを実施。

2020年9月23日、老衰により93歳で死去。

私生活

私生活では、俳優フィリップ・ルメール (1953年–1956年)、俳優ミシェル・ピコリ (1966年–1977年) と結婚歴があり、1988年からピアニストのジェラール・ジュアネスト(2018年死去)を伴侶に迎えた。そのほか過去には、アメリカのジャズミュージシャン、マイルス・デイヴィスと恋愛関係にあったが、成就せず結婚には至らなかった。しかしその後も、生涯の友人関係として続いた。

ディスコグラフィ

スタジオアルバム

  • 1964: Gréco chante Mac Orlan
  • 1967: La Femme
  • 1991: Juliette Gréco chante Maurice Fanon
  • 1993: Vivre dans l’avenir
  • 1998: Un jour d’été et quelques nuits
  • 2003: Aimez-vous les uns les autres ou bien disparaissez …
  • 2006: Le Temps d’une chanson
  • 2009: Je me souviens de tout
  • 2012: Ça se traverse et c’est beau
  • 2013: Gréco chante Brel
  • 2015: Merci!
そのほか多数

ライブアルバム

  • 1965: Juliette Gréco à la Philharmonie de Berlin
  • 1966: Juliette Gréco in Deutschland
  • 1992: Juliette Gréco à l’Olympia
  • 1999: Juliette Gréco Odéon 1999
  • 2004: Juliette Gréco Olympia 1955 – Olympia 1966
  • 2004: Juliette Gréco Olympia 2004
そのほか多数

映画出演

  • 『この手紙を読むときは』"Quand Tu Liras Cette Lettre" (1953年)
  • 『恋多き女』"Elena et les Hommes" (1956年)
  • 『日はまた昇る』"The sun also rises" (1957年)
  • 『自由の大地』"The Roots of Heaven" (1958年)
  • 『悲しみよこんにちは』 "Bonjour tristesse" (1958年)
  • "Lily,Love me" (1975年)
  • 『ルーヴルの怪人』 "Belphegor,Phantom of the Louvre" (2001年)
  • "Everyman's Feast" (2002年)
そのほか多数

日本公演

日本には通算22回来日している。以下はその一部

  • 1976年
    6月17日 東京厚生年金会館、22日 中野サンプラザ
  • 1979年
    11月24日 - 29日 草月ホール
  • 1991年
    11月6日 川口リリア
    11月15日 東京厚生年金会館
  • 2014年
    9月24日 すみだトリフォニーホール、 9月26日 Bunkamura オーチャードホール、 9月30日 中之島フェスティバルホール

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/05/05 21:18 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「ジュリエット・グレコ」の人物情報へ