スーザン・ソンタグ : ウィキペディア(Wikipedia)
スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日 / )は、アメリカ合衆国の作家(小説家、エッセイスト、批評家)、映画製作者、社会運動家。
生涯を通じ、アメリカを代表するリベラル派の知識人として、ベトナム戦争やイラク戦争に反対するなど、人権問題についての活発な著述と発言でオピニオンリーダーとして注目を浴びた。
生涯
東欧ユダヤ系移民の父ジャック・ローゼンブラット(Jack Rosenblatt)と母ミルドレッド・ヤコブセン(Mildred Jacobsen)の間に、アメリカ国籍者としてニューヨーク市で誕生した。父親は中国で毛皮の貿易会社を経営していたが、スーザンが5歳の時に結核で死去した。その7年後、母は同じ東欧ユダヤ系のネイサン・ソンタグ(Nathan Sontag)と親密関係になった。正式には結婚はしなかったが、スーザンとその妹のジュディスはその義父のソンタグ姓を名乗るようになった。
ソンタグはアリゾナ州ツーソンをへてカリフォルニア州ロサンゼルスで育ち、15歳でを卒業後は、学部生としてカリフォルニア大学バークレー校で学び始めたのちシカゴ大学に転校し、学士号を得て卒業。ハーバード大学大学院、オックスフォード大学のセント・アンズ・カレッジ、パリ大学の大学院でそれぞれ哲学、文学、神学を専攻した。
大学院修了後、アメリカユダヤ人委員会の機関誌『』の編集者となったのち、コロンビア大学などで哲学講師となる。そのかたわら、1963年に小説『恩恵者 The Benefactor』で作家デビュー。1966年には、初の評論集『反解釈 Against Interpretation』を出版。同作における、写真家が撮影した印象的なカバー写真は、ソンタグが「the Dark Lady of American Letters」としての名声を得るのを後押しした。
2004年12月28日、骨髄異形成症候群の合併症から急性骨髄性白血病を併発し、ニューヨークで死去。71歳没。彼女は30年間、進行性乳癌と子宮癌を患っていた息子のデイヴィッド・リーフによる『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最後の日々』(上岡伸雄訳 岩波書店 2009年)に詳しい。遺体はパリ・モンパルナスの共同墓地に埋葬された。
親族
シカゴ時代の17歳のとき、ソンタグは社会学者からの熱烈な求婚を受け、結婚。8年の結婚生活を経て、1958年に離婚した。ソンタグは晩年、1989年に出会った写真家のアニー・リーボヴィッツと交際していた。
息子のはアメリカの出版社Farrar, Straus and Giroux(FSG)でソンタグの担当編集者となったのち、作家、政策アナリストに転身した。
主な著書(邦訳)
- 小説
- 『死の装具』1967(斎藤数衛訳 早川書房 1970年)
- 評論、エッセイ、手稿、講演集
- 『ハノイで考えたこと』(邦高忠二訳 晶文社 1969年)
- インタビュー集
- 『スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー』(ジョナサン・コット著 木幡和枝訳 河出書房新社 2016年)
外部リンク
関連項目
- キャンプ (様式)
- ニューヨーク知識人
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/12/24 19:12 UTC (変更履歴)
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