酒井文子 : ウィキペディア(Wikipedia)
酒井 文子(さかい あやこ、 天保15年6月24日(1844年8月7日) - 明治41年(1908年)3月16日『平成新修旧華族家系大成』上p.639)は、幕末から明治時代後期にかけての大名家・大名華族の女性で、雅楽頭系酒井家宗家の人物。播磨姫路藩5代藩主・酒井家18代当主酒井忠学の六女で、7代藩主・20代当主酒井忠顕の正室となった。最後の藩主で忠顕の娘婿であった23代当主酒井忠邦の早世後、忠邦の遺児忠興が満8歳となるまで24代当主を務めた。
生涯
1844年(天保15年)8月7日、姫路藩5代藩主酒井忠学の六女『平成新修旧華族家系大成』上p.638として生まれる。忠学は同年10月10日に死去した。忠学に男子はなく、婿養子(文子の長姉・喜曾の夫)に迎えた一族の忠宝が第6代藩主となった。文子は忠宝の養女となり、田原藩主三宅康直(酒井家出身)の子の稲若を婿養子に迎える。稲若改め酒井忠顕は1853年(嘉永6年)に家督を相続して第7代藩主となるが、1860年(万延元年)10月14日に死去した。
酒井家は以後も同族からの養子による跡目相続が3代続いたが、廃藩後の1879年(明治12年)4月17日に当主忠邦がまだ出生していない遺腹の子(忠興)を遺して死去した際、文子が家督を相続して当主となった。1884年(明治17年)に華族令が施行され、華族家の当主には5階の爵位が授けられたが、文子は女戸主のため爵位は授けられていない『平成新修旧華族家系大成』上p.640。1887年(明治20年)6月6日、満8歳となった忠興に家督を譲る。同年同月、忠興に伯爵が授けられた。
1908年(明治41年)3月16日、死去する。享年64。
親族
『平成新修旧華族家系大成』によれば以下の通り。
- 父:酒井忠学 - 姫路藩5代藩主
- 養父:酒井忠宝 - 姫路藩6代藩主
- 長姉:喜曾 - 酒井忠宝 正室
- 次姉:銉(肫子) - 九条幸経 夫人『平成新修旧華族家系大成』の酒井家の項(上p.638)では「銉」とし小書きで「肫子」と記すが、九条家の項(上p.537)では「肫子(あつこ)」とし「銉」を小書きしている。
- 三姉:玲 - 酒井忠強 正室
- 四姉:房 - 安部信宝 正室
- 五姉:鋼 - 戸田忠明 正室、松平勝成 継室『平成新修旧華族家系大成』の酒井家の項(上p.638)には「久松(松山)勝成夫人」とのみあるが、戸田家の項(下p.187)に忠明(安政3年没)の夫人として「酒井(姫路)忠宝養妹 鋼」とある。
系図
太字は当主、数字は代数。
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
関連項目
- 酒井氏#雅楽頭酒井家系譜
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/10 01:32 UTC (変更履歴)
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