ピーター・セテラ : ウィキペディア(Wikipedia)
ピーター・セテラ(Peter Cetera、1944年9月13日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン。シンガー・ソングライター。
1969年から1985年まで、ブラス・ロック・バンドであるシカゴにボーカリスト兼ベーシストとして在籍。その後、ソロ・シンガーとして活動している。
略歴
生い立ち
イリノイ州シカゴでポーランド系移民の両親のもとに産まれる。ポーランド語名は Piotr Cetera(ピョートル・ツェテラ)。敬虔なカトリック教徒としての教育を受け、幼少より教会で合唱、ポーランド人会でアコーディオンとギターを習った。彼の述懐によれば、高校時代に一年間、司祭予備神学校に通ったのは、母親が自分には司祭になってほしいという希望を持っていたからだという。
1967年、シカゴの前身に当たるブラス・ロック・バンドのザ・ビッグ・シングにボーカリスト兼ベーシストとして加入。彼の加入によってシカゴのオリジナル・メンバー7名が揃った。彼はキーボーディストのロバート・ラム、ギタリストのテリー・キャスとリード・ボーカルを分担した。
シカゴ
1969年、ザ・ビッグ・シングはシカゴ・トランジット・オーソリティと改名してデビューアルバムを発表。1970年に発表したセカンド・アルバムからシカゴを名乗った。
シカゴはアメリカン・リベラルのロック・バンドの代表的存在としてベトナム戦争反対や民主党リベラルを支持し、「ビギニングズ」「クエスチョンズ67&68」「ぼくらに微笑みを」「サタディ・イン・ザ・パーク」「ダイアログ」「俺たちのアメリカ」「君とふたりで」など、ヒット曲を連発した。セテラはラムやキャスと共に中心メンバーになり、「長い夜」などのヒット曲のリード・ボーカルを務めた。
彼等は1974年ごろから音楽性を変化させたが、同年発表した『シカゴ7』からシングル・カットされた「遥かなる愛の夜明け」は不評だった。1975年には一時的にブラス・ロック・サウンドを復活させ、『シカゴ8』から「拝啓トルーマン大統領」「追憶の日々」をヒットさせたが、1976年からはAOR/アダルト・コンテンポラリーのバンドに変質していった。同年6月には『シカゴX』からセテラ作のラブ・バラード「愛ある別れ」が初の全米1位を記録第19回グラミー賞で数々の賞を受賞した。。1977年に発表した『シカゴXI』からは、セテラ作「朝もやの二人」がシングル・ヒットした。
1978年にキャスが事故死した後、シカゴの新作アルバムの売り上げは落ち込み、彼等は1980年代には低迷期に入った。セテラは1981年に初のソロアルバムを発表するが、さほど話題にもならなかった。1982年、レコード会社を移籍したシカゴは楽曲監督としてデイヴィッド・フォスターを迎え、セテラはラムに代わってそれまでより積極的に作詞作曲に参加した。同年発表されたアルバム『シカゴ16』はビッグ・ヒットとなり、セテラとフォスターの共作「素直になれなくて」は全米1位を記録した Allmusic Rovi Corporation 4 December 2024。
1984年のアルバム『シカゴ17』も引き続きアメリカで700万枚を売り上げる商業的成功を収めたが、ブラス・ロック時代に比べて、音楽評論家、音楽メディアの評価は低かった。1985年、セテラはソロ・シンガーとして成功する自信を深め、シカゴを脱退した。メインボーカリストであった彼はシカゴがそれまで行っていた頻繁なツアーは体力的な負担が大きすぎると感じ、個人の自由時間を欲しいと訴えたが、他のメンバーに受け入れられなかった。脱退の真相は、バンド活動とソロ活動を同時に行なわない確約を含んだ契約書面への署名を迫られ「自分が拒否したため」であることを、本人が言明している。1987年のピープル誌のインタビューでは「バンド・メンバーとの別れは良好ではなかったが、最悪ではなかった」と語っているChicago songs .1986 billboard.com 2024年12月4日閲覧。セテラ脱退後のシカゴは、彼によく似た声質のジェイソン・シェフを新しいボーカリストに迎えた。
ソロ活動
1985年に、映画『ベスト・キッド2』の主題歌「グローリー・オブ・ラヴ」、翌1986年にはエイミー・グラントとのデュエット曲「ネクスト・タイム」がそれぞれ全米1位の大ヒットを記録。両曲を収録したアルバム『ソリテュード〜ソリティア』もベストセラーとなった。
1987年、ボビー・コールドウェルが提供した「STAY WITH ME」が日本映画『竹取物語』の主題歌となり、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1987年10月12日付から4週連続1位を獲得オリコンのデータ協力による “全曲、80年代の週間オリコンチャートNo.1” の洋楽コンピが登場!、ソニーミュージック、2017年8月8日。。1988年には「ワン・グッド・ウーマン」が全米4位、1989年にはシェールとのコラボレーション曲「アフター・オール」も全米6位となった。
2009年12月13日、15日、17日の3日間、東京駅前のコットンクラブでシカゴ脱退後初めての日本公演を行った。2010年10月にはデイヴィッド・フォスター&フレンズの一員として再来日し、「素直になれなくて」などフォスターと共作したシカゴの曲を数曲演奏し、フジテレビの『情報プレゼンター とくダネ!』にも生出演し、フォスターのピアノ伴奏で「素直になれなくて」を歌唱した。2012年1月には東京と名古屋で公演を行い、同年11月12日にはデイヴィッド・フォスター&フレンズの一員として東京国際フォーラムで「素直になれなくて」や「グローリー・オブ・ラヴ」などシカゴ時代とソロのヒット曲を歌唱した。
セテラは21世紀になってからもシカゴのことについては語りたがらず、ソロ名義のベスト・アルバムでもシカゴ時代の曲をキーを下げて再録音して収録している『[[:en:You're_the_Inspiration:_A_Collection|愛ある別れ - ピーター・セテラ・ベスト・コレクション]]』(1997年)には、「愛ある別れ」「君こそすべて」「朝もやの二人」の再録音版が収録されたが、いずれもキーが下げられていた。。2016年、シカゴがロックの殿堂入りしてオリジナル・メンバー7名が受賞者に選ばれた時には、バンド側との間で再結成の話し合いが進んでいたが決裂し、彼は授賞式もパフォーマンスもパーティーも欠席したアイスホッケーの試合を見に行っていたとされる。。決裂の理由は、セテラが今の自分のバンドの曲を演奏したがっていたこと、ヒット曲「長い夜」のキーをAからEに下げたがっていたブラスがあるため、このような大きなキーチェンジは難しかった。ことだったのが、ラムの『ローリング・ストーン』誌でのインタビューで判明した。
2017年、ソングライターの殿堂入り。
最近では数年ぶりにベースを持ち「アイム・ア・マン」や「愛のきずな」などシカゴ時代の曲をキーを下げて披露している。近年のライブでのシカゴの曲は増えている。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『夢のライムライト』 - Peter Cetera (1981年) ※旧邦題『ピーター・セテラ』
- 『ソリテュード〜ソリティア』 - Solitude/Solitaire (1986年) #23 US
- 『ワン・モア・ストーリー』 - One More Story (1988年)
- 『ワールド・フォーリング・ダウン』 - World Falling Down (1992年)
- 『ワン・クリア・ヴォイス』 - One Clear Voice (1995年)
- 『アナザー・パーフェクト・ワールド』 - Another Perfect World (2001年)
- You Just Gotta Love Christmas (2004年)
コンピレーション・アルバム
- 『愛ある別れ - ピーター・セテラ・ベスト・コレクション』 - You're the Inspiration: A Collection (1997年)
- The Very Best of Peter Cetera (2017年)
シングル
- "Livin' in the Limelight" (1981年)
- "[[:en:Hold Me 'Til the Mornin' Comes]]" (1983年) ※with ポール・アンカ
- 「グローリー・オブ・ラヴ」 - "Glory of Love" (1986年)
- 「ネクスト・タイム」 - "The Next Time I Fall" (1986年) ※with エイミー・グラント
- "[[:en:I Wasn't the One (Who Said Goodbye)]]" (1987年) ※with アグネタ・フォルツコグ(元ABBA)
- 「ビッグ・ミステイク」 - "Big Mistake" (1987年)
- 「愛だけが証し」 - "Only Love Knows Why" (1987年)
- 「STAY WITH ME」 - "Stay With Me" (1987年) ※映画『竹取物語』主題歌
- 「ワン・グッド・ウーマン」 - "One Good Woman" (1988年)
- "Best of Times" (1988年)
- "You Never Listen to Me" (1988年)
- 「アフター・オール」 - "After All (Love Theme From Chances Are)" (1989年) ※with シェール
- "Restless Heart" (1992年)
- "Feels Like Heaven" (1993年) ※with チャカ・カーン
- "Even a Fool Can See" (1995年)
- 「フォーエヴァー・トゥナイト」 - "(I Wanna Take) Forever Tonight" (1995年) ※with クリスタル・バーナード
- "One Clear Voice" (1996年)
- "Faithfully" (1996年)
- "You're the Inspiration" (1997年)
- "Do You Love Me That Much" (1997年)
- "She Doesn't Need Me Anymore" (1998年)
- "Perfect World" (2001年)
- "You Just Gotta Love Christmas" (2005年)
- "Silent Night" (2005年)
- "Something That Santa Claus Left Behind" (2005年)
注釈
出典
関連項目
- ボビー・コールドウェル
- ヴォイセス・ザット・ケア
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/11/19 17:15 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.