ジョン・カリー : ウィキペディア(Wikipedia)
ジョン・カリー(John Curry、1949年9月9日 - 1994年4月15日)は、イギリスのバーミンガム出身の男性フィギュアスケート選手。1976年インスブルックオリンピック男子シングル金メダリスト。1976年世界フィギュアスケート選手権優勝。
バレエのメソッドを取り入れた演技でフィギュアスケートを「スポーツ」から「芸術」へと昇華させ、そのエレガントなスタイルから「スケート界のヌレエフ」と評された。
経歴
7歳のころスケートを始める。 1970年 全英選手権準優勝。1971年および1973年~1976年 全英選手権優勝。 1974年 アメリカに渡り、カルロ・ファッシとに師事。
1975年 世界選手権で銅メダル。翌1976年、ヨーロッパ選手権とインスブルックオリンピック、世界選手権で優勝、三冠という偉業を成し遂げた。 同年、大英帝国勲章(将校)を受勲。
その後はプロに転向。ツアーカンパニーを設立し、主役を務めながら振付・衣装デザイン・芸術監督も兼任。イギリス・ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(1984年)、アメリカ・ニューヨークのブロードウェイ(1978年)、同メトロポリタン歌劇場(1984年)を含む世界各地でアイスショー公演をおこない、芸術としてのフィギュアスケート作品を数多く世に送り出した。 カンパニーのメンバーとしてローリー・ニコル、リー=アン・ミラーら多くのスケーターが参加した。また、サー・ケネス・マクミラン、トワイラ・サープ、などダンス界のアーティストたちと協働した。
1991年、世界フィギュアスケート殿堂入り。
インスブルック五輪優勝直後、自らのセクシュアリティに関するオフレコの談話がセンセーショナルに報道され、予期せぬアウティングに曝されることとなった。1987年 HIVと診断され、1991年にエイズ発症。晩年、その病名とゲイであることをメディアに公表した。1994年4月15日 エイズによる心臓発作のため死去。44歳没。 俳優のアラン・ベイツがその死を看取ったことを後に伝記で明かしている。
影響
- ISUジュニアグランプリシリーズの一つとして、2007年、2008年および2010年に「JGPジョン・カリー記念」がイギリス・シェフィールドにて開催された。
- ビル・ジョーンズによる評伝『Alone: The Triumph and Tragedy of John Curry』に基づき、ジェイムス・エルスキン監督が『氷上の王、ジョン・カリー』としてドキュメンタリー映画化。2018年2月にイギリスで劇場公開。コペンハーゲン国際映画祭やなどでも上映され、高い評価を得た。2019年5月、日本でも劇場公開(配給・宣伝:アップリンク、字幕翻訳:牧野琴子、字幕監修・学術協力:町田樹)。
主な戦績
大会/年 | 1970-71 | 1971-72 | 1972-73 | 1973-74 | 1974-75 | 1975-76 |
---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 11 | 1 | ||||
世界選手権 | 14 | 9 | 4 | 7 | 3 | 1 |
欧州選手権 | 7 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
イギリス選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 |
外部リンク
- 映画『The Ice King』, 日本語版
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/18 03:32 UTC (変更履歴)
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