クリフトン・ウェッブ : ウィキペディア(Wikipedia)

クリフトン・ウェッブClifton Webb, 1889年11月19日 - 1966年10月13日)は、アメリカ合衆国の俳優・ダンサー・歌手である。クリフトン・ウェブとも表記される。 主に舞台で活躍したが、映画でもアカデミー賞に3度ノミネート(主演男優賞1回、助演男優賞2回)されたことのある名優(いずれも受賞ならず)。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに映画分野で名前が刻まれている。

生涯独身を通し、母親と暮らしていた。ゲイだったと言われている。

経歴

1889年(1891年 とも)にインディアナ州ビーチグローブで生まれる。13歳で音楽と絵を勉強するために学校を辞める。10代でニューヨークのプロ・ダンサー(社交ダンス)になる。当時のダンスパートナーには後の女優メイ・マレーがいた。その後、20代の半ばにはブロードウェイやロンドンでミュージカルなどの舞台にも立つようになり、サイレント映画にも出演するようになる。以降も舞台を中心に活動し、1930年代にはブロードウェイを代表する名優としての地位を確立する。

1944年の映画『ローラ殺人事件』で初めてハリウッド映画に出演する。プロデューサーのダリル・F・ザナックは女性的な印象のウェッブの起用に反対であったが、監督のオットー・プレミンジャーの強い推薦で出演が決まった。本作の演技で第17回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされる。この作品以降、映画にも出演するようになる。

1946年の映画『剃刀の刃』で第19回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされ、第4回ゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞。

1948年の映画『愉快な家族』で第21回アカデミー賞の主演男優賞にノミネート。

1952年の映画『Stars and Stripes Forever』で第10回ゴールデングローブ賞の主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) にノミネート。

1960年に同居していた母親が91歳で亡くなる。その後は健康を害したこともあり、ビバリーヒルズの自宅で世捨て人のような生活を送る。

1966年に心筋梗塞で死去。

主な出演作品

公開年邦題原題役名備考
1920 ポリーの身の上Polly with a Past ハリー・リチャードソン クレジットなし
1944 ローラ殺人事件Laura ウォルド・ライデッカー
1946 闇の曲り角The Dark Corner ハーディ
剃刀の刃The Razor's Edge エリオット・テンプルトン ゴールデングローブ賞 助演男優賞 受賞
1948 愉快な家族Sitting Pretty リン・ベルヴェデーレ
1949 我輩は新入生Mr. Belvedere Goes to College リン・ベルヴェデーレ
1950 一ダースなら安くなるCheaper by the Dozen フランク・バンカー・ギルブレス
1953 タイタニックの最期Titanic リチャード・ウォード・スタージェス
1954 愛の泉Three Coins in the Fountain ジョン・フレデリック・シャドウェル
ニューヨークの女達Woman's World アーネスト・ギフォード
1957 島の女Boy on a Dolphin ヴィクター
1959 リオの若い恋人たちHoliday for Lovers ロバート・ディーン
1962 誘惑の夜Satan Never Sleeps ボヴァード神父

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/08/27 19:22 UTC (変更履歴
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