吉田謙吉 : ウィキペディア(Wikipedia)
吉田 謙吉(よしだ けんきち、1897年2月10日 - 1982年5月1日吉田謙吉、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年3月5日閲覧。)は、日本の舞台装置家、映画の美術監督、衣裳デザイナー、タイポグラフィ作家である。
人物・来歴
1897年(明治30年)2月10日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)に生まれる吉田謙吉、大木靖、『日本大百科全書』、小学館、Yahoo!百科事典、2010年3月5日閲覧。。
17歳のとき、二科会に『演劇人』を出品、初入選を果たす。旧制・東京美術学校図案科(現在の東京藝術大学美術学部デザイン科)に入学、同校在学中の1920年(大正9年)、帰山教正が映画芸術協会で製作・監督したサイレント映画『幻影の女』、『白菊物語』の字幕タイポグラフィを制作する吉田謙吉、日本映画データベース、2010年3月5日閲覧。。1922年(大正11年)、同校を卒業する『日本美術年鑑 1967』、東京国立博物館、東京国立文化財研究所、1967年、p.319.。同年、大正期新興美術運動を担った古賀春江、神原泰、中川紀元、岡本唐貴、浅野孟府らのグループ「アクション」の設立に参加する。
1923年(大正12年)の関東大震災後、演劇復興のため、1924年(大正13年)に土方与志と小山内薫が創設した築地小劇場に宣伝・美術部員として参加、同年6月の第1回公演『海戦』の舞台装置・衣裳を手がけ、表現主義的な舞台装置を発表する。土方与志演出のロマン・ロラン作『狼』の舞台等で「丸太式組立て舞台」を発表、新進装置家として認められるところとなる。当時の弟子に図案科の後輩の河野鷹思がいる。
また関東大震災の頃から街中の看板等を写生する活動を始め、1924年、雑誌『建築新潮』に「バラク東京の看板美」を寄稿赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』、ちくま文庫、1986年、p.81。。これらの活動が後に「考現学」に発展し、1930年(昭和5年)には東京美術学校の先輩・今和次郎とともに共著『モデルノロヂオ』を上梓する。
1925年(大正14年)には、小山内が上梓した書籍『三つの願ひ 童話劇』の装丁を手がける日本児童文学館 第2集 17、国立国会図書館、2010年3月5日閲覧。。同年、日活京都撮影所第二部が製作した溝口健二監督の『無銭不戦』に「舞台衣裳考案」として参加している。1927年(昭和2年)には、小山内がミナトーキーで監督した初期トーキー作品『黎明』の美術装置を設計した。
1930年、単著『舞台装置者の手帖』を上梓。
1935年(昭和10年)からは、京都のJ.O.スタヂオ(のちの東宝映画京都撮影所)で現代劇の舞台装置・美術デザインを手がけ、1937年(昭和12年)にはドイツと合作したアーノルド・ファンク・伊丹万作共同監督による映画『新しき土』の装置を手がけた。
第二次世界大戦後は、吉田謙吉舞台美術研究所を設立、同研究所からは中林啓治、松下朗らを輩出した。
1982年(昭和57年)5月1日、死去した。満85歳没。
フィルモグラフィ
特筆のないものはすべて「美術」とクレジット。
- 『幻影の女』 : 監督帰山教正、映画芸術協会 / 国際活映、1920年 - 字幕
- 『白菊物語』 : 監督帰山教正、映画芸術協会 / 国際活映、1920年 - 字幕
- 『無銭不戦』 : 監督溝口健二、舞台装置亀原嘉明、字幕小栗美二、日活京都撮影所第二部、1925年 - 舞台衣裳考案
- 『黎明』 : 監督小山内薫、ミナトーキー、1927年 - 装置
- 『百万人の合唱』 : 監督富岡敦雄、J.O.スタヂオ・ビクターレコード、1935年
- 『小唄磯鳥追お市』 : 監督円谷英二、J.O.スタヂオ、1936年
- 『勝太郎小守唄』 : 監督永富映次郎、J.O.スタヂオ、1936年
- 『新しき土』 : 監督アーノルド・ファンク・伊丹万作、J.O.スタヂオ、1937年 - 装置
- 『奥村五百子』 : 監督豊田四郎、東京発声映画製作所・新日本映画研究所、1940年 - 美術・美術考証
- 『大地に祈る』 : 監督村田武雄、東京発声映画製作所、1941年 - 園真と共同
- 『海軍』 : 監督田坂具隆、美術工作浅野孟府、装置六郷俊、松竹太秦撮影所、1943年 - 美術考証、柴田篤二と共同
著書
- 『舞台装置者の手帖』四六書院、1930年
- 『南支風土記 絵と文』大東出版社、1940年
- 『たのしい舞台装置』みつばち文庫、国土社、1951年
- 『絵本ヨーロッパ 舞台装置家の眼』美術出版社、1954年
- 『女性の風俗』河出新書、1955年
- 『築地小劇場の時代 その苦闘と抵抗と』八重岳書房、1971年
- 『吉田謙吉が撮った戦前の東アジア』草思社、2020年。塩澤珠江(長女)解説
共著
- 『モデルノロヂオ 考現学』、共著今和次郎、春陽堂、1930年
- 『考現学採集 モデルノロヂオ』今和次郎共編、建設社、1931年
外部リンク
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